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《櫻井ジャーナル》

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2012.11.15
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 今月の9日にデービッド・ペトレアスCIA長官が辞任した。メディアは「三角関係」を面白おかしく伝えたり、ベンガジのアメリカ領事館襲撃との関係を議論しているが、それだけでなく、通信の秘密も話題になっている。

 ペトレイアスは情報機関を統轄していた人物であり、その愛人とされているポーラ・ブロードウェルは「元」情報将校。こうした人びとの通信が、本人の知らない状態で監視されていたということは、一般庶民にプライバシーは存在しないことを示しているからだ。

 かつて、CIAの監視プログラムが発覚、問題になったことがある。1967年にスタートさせた「MHケイアス」だ。ベトナム戦争が泥沼化、反戦運動の高まりに危機感を持って始めたのだが、CIAはアメリカ国内での情報活動を禁止されていた。つまり、このMHケイアスは違法活動。

 CIAの内部でも秘密にされていたこの違法活動を指揮していたのはジェームズ・ジーザス・アングルトン。防諜部門を統括していた人物で、ファシストやシオニストと緊密な関係にあった人物だ。アレン・ダレスの側近としても知られている。

 この国民監視プロジェクトは1974年に終わりを告げる。調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュが報道、この事実を知ったウィリアム・コルビーCIA長官がアングルトンをCIAから追放してしまったのである。

 ちなみに、ハーシュは1969年にミ・ライ事件(ソンミ村事件)を暴露したことで有名な記者。この事件が引き起こされたのは1968年3月16日だ。ソンミ村のミ・ライ地区とミ・ケ地区で村民が虐殺されたのだが、その数は米軍によるとミ・ライだけで347人、ベトナム側の主張ではミ・ライとミ・ケを合わせて504人だという。

 ベトナム戦争の実態を知らせるショッキングな事件だったのだが、この虐殺はCIAと特殊部隊が実行していた農民虐殺計画、フェニックス・プログラムの一環だった。このプログラムは、リンドン・ジョンソン大統領の特別副補佐官を務めていたロバート・コマーの発案で、MACVとCIAの共同プロジェクトだ。

 当時、MACVの司令官だったのはウィリアム・ウェストモーランド。イタリアの「緊張戦略」でも名前が出てくる軍人だ。コマーは1967年、プロジェクトを指揮するためにベトナムのサイゴン(現在のホーチミン)へ入っている。

 コマーの後任に選ばれたのがウイリアム・コルビー。1968年8月あら1971年5月までの期間に、フェニックス・プログラムで殺されたベトナム市民は2万0587人に達すると、コルビーは後に議会で証言した。4万1000名近くという推計もある。ジェラルド・フォード政権でコルビーはCIA長官を解任され、ジョージ・H・W・ブッシュに交代しているが、その理由のひとつは、コルビーの議会での証言にあった。

 ペトレアスCIA長官を監視したFBIも反戦運動を監視している。1950年代に始めたプロジェクト「COINTELPRO」の場合、当初はコミュニストがターゲットだったが、ベトナム戦争が泥沼化すると、平和運動を支援していた著名人の尾行、電話盗聴、郵便開封、さらに銀行口座の調査も実施している。

 国防総省のDARPAも国民監視システムの開発に熱心で、個人の学歴、銀行口座の内容、ATMの利用記録、投薬記録、運転免許証のデータ、航空券の購入記録、住宅ローンの支払い内容、電子メールに関する記録、インターネットでアクセスしたサイトに関する記録、クレジット・カードのデータなどあらゆるデータの収集と分析が可能なシステムを実現させている。





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最終更新日  2012.11.16 05:45:26



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