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《櫻井ジャーナル》

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2013.12.02
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 EUと政治経済の分野で関係を強化するため、ウクライナは「連合協定」を締結する方向で動いていた。ところが署名を8日後に控えた11月21日、ウクライナ政府は締結に向けての準備を停止、ロシアとの協議を再開すると発表する。怒った「締結派」は火炎瓶が投げ、ブルドーザーを持ち出して抗議を始めた。そのデモ隊が掲げている旗を見ると、EUやウクライナだけでなく、ネオナチの旗(三本指)も含まれている。

 最近ではギリシャやスペインのように巨大資本のカモになり、「緊縮財政」を押しつけられて悲惨な状態になっているEU加盟国も少なくない。庶民は身を削って富裕層に貢ぐという点ではTPPと共通するところがある。そのため、EUから離脱すべきだという声が出てくるのも不思議ではない。

 旧ソ連圏から既にポーランド、ハンガリー、チェコ、エストニア、ラトビア、リトアニア、スロバキア、スロベニア、ブルガリアが加盟しているが、結局のところ、「西側」を拠点とする巨大資本の食い物になっているだけ。そうした状況であるにもかかわらず、ウクライナではEUに憧れる人がいるようだ。

 ウクライナを「西側」へ接近させる切っ掛けになったのが2004年から05年にかけての「オレンジ革命」だ。この政変で権力の座についた人物がビクトル・ユシチェンコであり、スポンサーはボリス・ベレゾフスキーだった。ユシチェンコは2005年から10年まで大統領を務めている。

 ベレゾフスキーはボリス・エリツィン時代のロシアで巨万の富を築いた富豪で、少なくとも一時期はイスラエルの市民権を持っていた人物。チェチェンの犯罪組織を背後に持ち、エリツィンの娘を含むクレムリンの黒幕集団と結びついていたようだ。エリツィンが退場してウラジミル・プーチンが実権を握ると、ベレゾフスキーはロンドンへ亡命、今年3月に死亡している。

 亡命先でベレゾフスキーは「西側」の有力者と親しくしていた。例えば、ジョージ・W・ブッシュの弟でS&Lの金融スキャンダルで名前が出てきたニール・ブッシュ、1980年代に「ジャンク債」で有名になったマイケル・ミルケン、「メディア王」のルパート・マードック、そしてジェイコブ・ロスチャイルド卿と息子のナサニエル・ロスチャイルド。ユシチェンコの背後にはこうした人脈があったということだ。

 ベレゾフスキーが一時期、共同でビジネスを展開していたジョージ・ソロスは1979年にニューヨークで「オープン・ソサエティ基金」を設立、ソ連圏を揺さぶる活動をしていた。

 1981年にアメリカの大統領となったロナルド・レーガンもソ連圏を揺さぶるプロジェクトを実行している。「プロジェクト・デモクラシー」だ。1983年、大統領はNSDD 77に署名、NSC(国家安全保障会議)の内部にSPGを設置して心理戦を始めている。「デモクラシー(民主主義)」という看板を掲げてターゲット国の体制を転覆させるというプロジェクトだ。最近は「人道」とか「人権」を使っている。





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最終更新日  2013.12.03 00:56:46



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