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《櫻井ジャーナル》

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2013.12.05
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 参議院の安全保障特別委員会で「特定秘密保護法案」が可決され、本会議に緊急上程されたという。質疑の途中で自民党の石井浩郎議員が採決を求める動議を提出、中川雅治委員長が採決を強行し、自民党と公明党が賛成してのことだった。

 国会の会期末である6日までに参議院本会議で可決しようと必死らしい。国外からの批判もあり、先に伸びれば伸びるほど可決が難しくなると踏んでいるのかもしれない。大きな選挙は2015年春の統一地方選までないため、ここで強引なことをしても有権者は忘れるに違いないと高をくくっている可能性もある。

 言うまでもなく、この空白期間ができたのは民主党の野田佳彦が「自爆解散」を強行したおかげ。いわば、安倍晋三と野田は共犯関係。菅義偉官房長官は1999年の「通信傍受法案(盗聴法案)」を引き合いに出し、「成立から1〜2週間で国民にも分かっていただき始めた」と国民をなめきった発言をしている。

 法案が成立した後、しばらくの間は静かにしているかもしれないが、法案が成立するということは首にロープを巻き付けられるに等しい。いつ人びとの首を絞めるかは、支配グループ、つまり官僚の胸三寸。「絞首」の準備ができるということであり、いつ吊されるかわからない。盗聴法は何が行われているかがわからないので皆、静かなだけだ。

 安倍晋三政権は「特定秘密保護法案」だけでなく「国家安全保障基本法案」を成立させて官僚独裁を確立、TPPでアメリカの巨大資本に日本を売り飛ばそうとしている。関東大震災からの復興資金を調達するために日本はJPモルガンに頼るが、それを切っ掛けにしてこの巨大金融機関の影響下へ日本は入る。その時からフランクリン・ルーズベルトがアメリカ大統領に就任するまでの期間と同じ構図になるということだ。

 1932年1月にはドイツでアドルフ・ヒトラーが首相に選ばれ、2月には国会議事堂の放火事件を口実にしてコミュニストを非合法化、ナチスの独裁体制が築かれていく。ナチスの母体になったのはトゥーレ協会という秘密結社で、メンバーの大半は貴族。資金面を支えていたのはドイツの産業資本やアメリカの金融資本だった。

 JPモルガンを中心とするウォール街の勢力は1933年から34年にかけて反ルーズベルトのクーデターを計画するが、当時、軍の内部に大きな影響力を持っていた伝説的な軍人、スメドリー・バトラー少将に阻止されている。クーデター派はファシズム体制の樹立を目指していた。これは本ブログで何度か触れた事実。

 当時、日本は中国を侵略しはじめていた。その侵略戦争が行き詰まり、アメリカとの戦争に突入するわけだ。ところが、マスコミや学者の多くはアメリカと戦争したことを無謀だったと言うものの、東アジア侵略に関してはあまり語らない。

 その一方、日米開戦の責任はルーズベルトにあると主張する人も少なくない。ハワイの真珠湾を日本軍が実際に攻撃したことを棚に上げ、事前にアメリカ政府は攻撃を知っていたはずだから日本は悪くないという人までいる。ルーズベルトではなく、JPモルガンの操り人形が大統領になっていれば日本は中国で心置きなく略奪することができ、戦争責任を問われることもなかったと思っている人もいるに違いない。

 C・アンソニー・ケイブ・ブラウンの『スチュワート・メンジス卿の秘密の生活』によると、ソ連と戦うために「日本・アングロ(米英)・ファシスト同盟」を結成するという案が1939年頃にあったという。この年、ドイツは行き詰まった領土交渉を打開するためにポーランドへ9月に軍事侵攻するが、その前月にソ連と不可侵条約を結んでいた。このポーランド侵攻を切っ掛けにして第2次世界大戦が勃発するが、米英の内部にはドイツと手を組んでソ連を攻撃しようと考える勢力も存在していたのかもしれない。

 開戦から2年間はアメリカが参戦せず、ヨーロッパ戦線ではドイツ軍が優勢。そうした状況を変化させる一因になったのが1941年12月の日本軍による真珠湾攻撃だった。これでアメリカが参戦し、流れが変わる。しかも、1942年から43年の初めまで続いたスターリングラードの攻防戦でドイツが敗北、ソ連が反撃を開始した。この段階から「西側」はソ連の西への勢力拡大を止めるために動き始める。

 1945年4月にルーズベルトが執務中に急死、5月にドイツが降伏するのだが、その頃、イギリスのウィンストン・チャーチル首相はソ連へ軍事侵攻するための作戦を立案するように合同作戦本部へ命令した。そこで考え出されたのが「アンシンカブル作戦」。

 5月22日に首相へ提出されたこの作戦では、7月に数十師団の米英軍とドイツの10師団がソ連を奇襲攻撃することになっていた。この計画を参謀本部は拒否して実行されなかったが、チャーチルもファシストと手を組もうとしていたことを示している。

 1941年、真珠湾攻撃の直前に制定されたのが「国防保安法」。この法律は外交、財政、経済その他に関する重要な国務に関係する事項が対象で、秘密を指定するのは「主務大臣又は会議の長」。その内容を一般国民は知らされず、何が秘密かも秘密だった。

 内容を検討した人は異口同音に「特定秘密保護法案」と「国防保安法」との類似性を指摘する。思想弾圧に使われた「治安維持法」は悪名高いが、この「国防保安法」も1937年に改訂された「軍機保護法」と同様、弾圧の道具として猛威をふるうことになった。「特定秘密保護法案」には、そうした危険性があるということだ。

 アメリカで憲法の機能を停止させた「愛国者法」は1982年から始まったCOGプロジェクトで基盤は作られていた。20年近い熟成期間があったということだ。日本の場合は、「国防保安法」や「軍機保護法」をベースにして「特定秘密保護法案」を作った可能性がある。





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最終更新日  2013.12.06 02:39:47



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