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《櫻井ジャーナル》

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2015.02.28
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 外交だけでなく、破壊活動の拠点としてアメリカは大使館を使ってきた。日本もそうだと言われている。最近、IS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISIS、ISIL、IEIL、ダーイシュとも表記)の司令部はイラクのアメリカ大使館にあるとイランの義勇兵組織、バスィージのモハマド・レザ・ナクディ准将は語っているが、それだけではない。

 ウクライナのクーデターでもアメリカ大使館が拠点になったと言われているが、その前に行われた「カラー革命」でも同じ。旧ソ連圏のケースではリチャード・マイルズの名前が出てくる。この人物は1992年から93年までアゼルバイジャン駐在大使、96年から99年まではユーゴスラビア駐在の最高責任者、99年から2002年まではブルガリア駐在大使、02年から05年まではグルジア駐在大使を務めていた。

 ユーゴスラビアではスロボダン・ミロシェビッチ体制を倒して国を破壊、グルジアへ移動してミヘイル・サーカシビリに実権を握らせる工作を行い、2003年の「バラ革命」につながる。サーカシビリがアメリカやイスラエルの影響下にあり、そうした国の支援を受けて南オセチアを奇襲攻撃し、ロシア軍の反撃で惨敗するということもあった。現在、刑事事件の容疑者になっているが、アメリカを後ろ盾にしてウクライナ大統領の顧問になっている。

 アメリカはロシアでも同じことをしている。2012年1月14日にマイケル・マクフォールがアメリカ大使としてモスクワに到着したが、その3日後にロシアの反プーチン/親アメリカ(親ウォール街)派のリーダーがアメリカ大使館を訪れた

 「戦略31」のボリス・ネムツォフとイーブゲニヤ・チリコーワ、「モスクワ・ヘルシンキ・グループ」のレフ・ポノマレフ、選挙監視グループ「GOLOS」のリリヤ・シバノーワらだ。この中のひとり、ネムツォフが2月27日に赤の広場近くの路上で射殺されたということである。このグループのロシアにおける影響力は大きく低下、アメリカにとって役に立たない存在。日本にはアメリカ大使館の指示に従って動く人びとを「民主的」と崇拝する人がいるのかもしれないが、ロシアでは見限られている





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最終更新日  2015.02.28 19:13:12



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