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《櫻井ジャーナル》

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2015.03.14
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 今から70年前、1945年3月9日から10日にかけて東京の下町は火の海になった。約300機と言われるB29爆撃機が飛来、深川、城東、浅草などの地域に焼夷弾を投下、10万人、あるいはそれ以上の住民が焼き殺されたのである。1941年12月7日(現地時間)にハワイの真珠湾を日本軍が奇襲攻撃したとき、大多数の日本人はそうした事態が訪れるとは予想していなかっただろう。つまり、殺し、奪うことしか考えていなかった。

 しかし、1942年6月5日のミッドウェー島沖での海戦で日本軍は致命的な敗北を喫し、ソ連へ攻め込んでいたドイツは1943年2月に壊滅、敗走を始めた。日本とドイツの降伏は不可避の状況になったと言える。

 そうした中、1943年11月28日から12月1日にかけてアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領、イギリスのウィンストン・チャーチル首相、そしてソ連のヨセフ・スターリン人民委員会議長はテヘランで会談、ドイツ降伏後にソ連は日本と戦争を始めることで合意、1945年2月にウクライナ南部の都市ヤルタで開かれた会議でドイツ降伏から3カ月後にソ連は日本へ宣戦することが決まる。

 すでに1942年の冬に入るとナチス親衛隊(SS)は戦況の悪化を認識、アメリカとの単独講和への道を探るためにOSSのアレン・ダレスに接触した。1944年になるとダレスの側近だったフランク・ウィズナー(戦後、破壊工作機関OPCを率いた)を介し、ドイツ軍でソ連に関する情報を担当していた情報将校のラインハルト・ゲーレン准将(ドイツ陸軍参謀本部第12課の課長)がダレスのグループと接触している。

 ヤルタ会談とドイツ降伏の間に重大な出来事が起こった。4月12日にルーズベルト大統領が執務室で急死、JPモルガンをはじめとするウォール街が主導権を奪還したのだ。ルーズベルトが初めて大統領選挙で勝利し、大統領に就任した1933年にJPモルガンを中心とするグループはファシスト体制の樹立を目指すクーデターを計画した。この事実はスメドリー・バトラー海兵隊少将が議会で証言している。

 関東大震災(1923年)からルーズベルトが大統領選で勝利(1932年)まで、JPモルガンは日本に大きな影響力を及ぼしていた。その巨大金融資本を率いていたジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアが結婚した相手と親戚関係にあった人物がジョセフ・グルー。

 妻のアリス・ペリーは「黒船」で有名なマシュー・ペリー提督の末裔で、大正(嘉仁)天皇の妻、貞明皇后(九条節子)とは華族女学校(女子学習院)から親しくしていた。グルー自身は1932年から駐日大使を務め、戦後はジャパン・ロビーの中心人物として日本の支配システム構築で重要な役割を果たすことになる。

 1945年3月23日にはアメリカ軍の艦隊が沖縄への攻撃を開始、その3日後に慶良間諸島へアメリカ軍が上陸、4月1日には読谷、嘉手納、北谷へ上陸して地上戦が開始された。牛島満司令官は6月23日に自殺して指揮系統は崩壊するが、戦闘は続き、アメリカ軍が沖縄戦の終了を宣言したのは7月2日だった。日本側の死者は18万8136名(そのうち一般人は9万4000名)、アメリカ側は1万2520名とされている。

 5月7日にドイツは降伏、ソ連は3カ月後までに対日参戦することが決まっている。そこでチャーチル首相はJPS(合同作戦本部)にソ連を攻撃する作戦を立案するように命令、できあがったのが「アンシンカブル作戦」だ。7月1日に米英軍数十師団とドイツの10師団が「第3次世界大戦」を始める想定になっていたが、これは参謀本部が拒否して実現しなかった。(Stephen Dorril著『MI6』Fourth Estate、2000年など)

 この攻撃プランをチャーチルの単なる思いつきだと考えるわけにはいかない。1939年頃、イギリスには「日本・アングロ(米英)・ファシスト同盟」を結成しようという案があったのである。(Anthony Cave Brown著『"C": The Secret Life of Sir Stewart Graham Menzies』Macmillan、1988年)ただ、これは反ファシスト、反植民地を掲げるルーズベルトの存在が障害になって実現していない。

 そして1945年8月にアメリカ軍は2発の原爆を日本へ投下した。6日にウラン235を使った「リトルボーイ」を広島市へ、また9日にはプルトニウム239を利用した「ファット・マン」を長崎市へ落とし、その年の12月末までに広島では約14万人、長崎では7万4000人程度が死亡したと言われている。勿論、この数字は熱戦や急性障害の犠牲者であり、晩発性の障害や遺伝的な影響は含まれていない。

 当然、アメリカはヤルタでの取り決めを知っているわけで、原爆投下はソ連の対日宣戦布告を見越してのことであり、ソ連を意識してのことだ。実際は取り決めより1日遅れの8月9日にソ連は日本との戦争を開始する。

 こうした事態を受けて開かれた「御前会議」で日本はポツダム宣言の受諾、つまりアメリカ、イギリス、中国、ソ連に降服することを決め、8月10日夜半には同盟通信の海外向け放送でこの決定を明らかにしている。最終的な受諾通告は8月14日。

 8月15日に「終戦勅語」がラジオで放送されたが、堀田善衛氏の言葉を借りるならば、その内容は「負けたとも降服したとも言わぬ」不審なもので、日本に協力させられた国々に対しては、「遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス、という、この嫌みな二重否定、それきり」で、「その薄情さ加減、エゴイズム、それが若い私の軀にこたえた」(堀田善衛著『上海にて』)代物だった。

 その翌日、日本軍に停戦命令が出るが、重光葵と梅津美治郎が降伏文書に調印したのは9月2日であり、この日、日本の敗北が正式に決まった。7月26日にアメリカ、イギリス、中国が連名で出した「ポツダム宣言」を日本が受け入れることを日本が正式に認めたということだ。

 2発の原爆を含む空爆は住民の大量殺戮を目的としたものだが、それを指揮していたのがアメリカ空軍のカーチス・ルメイ。1945年3月から8月の間に彼が殺した日本の民間人は100万人以上だと言われている。大戦後、アメリカにはソ連への先制核攻撃を目論む好戦派が存在したことは本ブログでも繰り返し書いてきたが、ルメイはその中心グループに属している。

 大戦後、ルメイたちはソ連に対する先制核攻撃を目論む。1948年から57年にかけてルメイはSAC(戦略空軍総司令部)の司令官を務めているが、このSACが1954年に立てた計画によると、600から750発の核爆弾をソ連に投下、2時間で約6000万人を殺すことになっていた。

 1956年にルメイたちは1000機近いB47爆撃機をアラスカやグリーンランドの空軍基地から飛び立たせ、北極の上空を通過、ソ連の国境近くまで飛行してUターンさせるというソ連攻撃の演習を実施、ようするにソ連を挑発している。

 テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、アメリカ軍がソ連に対する先制核攻撃計画をスタートさせたのは1957年初頭。先制核攻撃に必要なICBMを準備できるのは1963年の終わりだとルメイなどの好戦派は見通していた。

 1961年に大統領がドワイト・アイゼンハワーからジョン・F・ケネディに交代、その直後にCIAの支援を受けた亡命キューバ人の部隊がキューバへの軍事侵攻を試みて失敗、アメリカ軍の介入を拒否した。7月には軍や情報機関の幹部が核攻撃のプランを新大統領に説明するが、これも拒否、その後、アレン・ダレス長官をはじめCIAの幹部を追放、統合参謀本部議長だったライマン・レムニッツァーの再任を拒否している。

 そして1963年11月22日、ケネディ大統領はダラスで暗殺された。このケネディと対立していた好戦派のルメイに対し、日本政府は翌年の12月7日に勲一等旭日大綬章を授与している。

 フランクリン・ルーズベルトは「民主的国家そのものより強大なところまで私的権力が成長することを人びとが許容するなら、民主主義の自由は危うい」としたうえで、「個人、グループ、あるいは私的な権力をコントロールしている何かによって政府が所有されていることがファシズムだ」と1938年に語っている。

 最近のアメリカ支配層の好戦派はカルト色が濃いが、その基盤には戦争ビジネスや金融機関といった巨大資本の強欲さがある。こうしたアメリカの好戦派に従属し、その利益のために奉仕、自らも儲けようとしているような人たちが集まって安倍晋三政権を作っている。つまり安倍政権はファシストであり、アメリカ支配層と同じ理念を持っている。

 そのアメリカの好戦派は中東/北アフリカでイスラムとは無関係の「イスラム武装勢力」、ウクライナではナチスにつながる武装勢力を使って体制を転覆させ、傀儡国家を作り上げようとしている。その事実に触れようとする鳩山由紀夫元首相を「外務省」なる「顔なし妖怪」が批判するのは必然。何しろ自分たちの富と権力がかかっている。アメリカの好戦派に逆らうと全てを失うと恐れているのだろう。





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最終更新日  2015.03.15 06:10:00



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