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《櫻井ジャーナル》

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2016.01.02
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 昨年9月からアメリカの統合参謀本部で議長を務めているジョセフ・ダンフォード海兵隊大将は就任早々、ロシアをアメリカにとって最大の脅威だと発言したが、2011年10月から15年9月まで議長だったマーチン・デンプシー陸軍大将はアル・カイダ系の武装集団やそこから派生したISを最も危険だと考えていた。シリアからのバシャール・アル・アサド大統領排除を最優先しているバラク・オバマ大統領はデンプシー議長の警告に耳を貸さず、やむなく2013年秋からアル・カイダ系武装集団やIS(ISIS、ISIL、ダーイッシュなどとも表記)に関する情報をアメリカ軍は独断でシリア政府へ伝え始めた。先月の下旬、イギリスで発行されている「ロンドン書評」誌に掲載されたシーモア・ハーシュの記事で明らかにされている。

 前にも書いたように、DIA(国防情報局)が2012年8月に作成した報告書によると、シリアで政府軍と戦っている戦闘集団の主力はサラフ主義者、ムスリム同胞団、アル・カイダ系武装集団のAQIで、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとしている。アル・ヌスラとは、AQIがシリアで活動する際に使っている名称にすぎないという。

 サラフ主義者はワッハーブ派とも呼ばれ、アル・カイダ系武装集団やISに参加している戦闘員の大半を占める。ムスリム同胞団は1954年にエジプトのガマール・アブデル・ナセルを暗殺しようとして失敗、非合法化され、多くのメンバーはサウジアラビアで保護されたが、その際、ワッハーブ派の強い影響を受けた。

 アメリカ政府は「穏健派」を支援すると主張してきたが、DIAは遅くとも2012年の段階でそうした集団は事実上、存在しないと考えていたことがわかる。これまでにも多くの人が指摘してきたように、「穏健派」の支援とはAQI/アル・ヌスラやISの支援にほかならず、アメリカ政府の政策を続ければサラフ主義者/ワッハーブ派の支配地がトルコやイラクにつながるシリア東部にできると警告していた。この報告書が作成された当時のDIA局長、マイケル・フリン陸軍中将は、AQI/アル・ヌスラやISの勢力拡大をアメリカ政府の決定が原因だと語っている

 アメリカの統合参謀本部がオバマ政権に反旗を翻したのは2013年秋だが、その年の9月に、ベンヤミン・ネタニヤフ首相の側近として知られるマイケル・オーレン駐米イスラエル大使はシリアのアサド体制よりアル・カイダの方がましだとメディアに話していた。

 アメリカ政府に対する反旗を政府側が気づかないはずはなく、統合参謀本部議長はデンプシーからダンフォードへ交代、その前、昨年2月には国防長官が戦争に消極的なチャック・ヘーゲルから好戦派で2006年にハーバード大学で朝鮮空爆を主張したアシュトン・カーターへ交代している。好戦的な方向へオバマ政権は動いている。そして昨年9月30日にロシア軍は空爆を開始、AQI/アル・ヌスラやISは司令部や兵器庫を破壊されるだけでなく、資金源の盗掘石油に関連した施設や燃料輸送車も攻撃され、トルコから物資を運び込む兵站ラインもダメージを受けた。

 アメリカはシリアだけでなくリビアやウクライナでも戦乱を拡大させている。それを主導しているネオコン/シオニストは「イスラエル第一」の人びとで、アメリカの衰退を意に介していない。それでもカネの力で議会を支配、巨大資本も動かしている。

 シオニストがアメリカ政府に強力なネットワークを張り巡らせていることは1980年代に「イラン・コントラ事件」が発覚した際に判明、ジョージ・H・W・ブッシュ(父親)政権では国防総省を支配したが、それでも反対勢力は存在した。ビル・クリントン政権ではネオコンの影響力が弱まり、外部からの「提言」という形で働きかけるしかなかった。そうした中、クリントン大統領はスキャンダル攻勢をかけられた。

 状況が一変するのは2001年9月11日。この日、ニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃され、多くの人がショックで判断力を失っている間に国内のファシズム化と国外での軍事侵略を本格化させた。

 ジョージ・W・ブッシュ(息子)政権はこの攻撃を利用してイラクを先制攻撃しようとしたが、統合参謀本部は攻撃に理由がなく、作戦が無謀だとして反対、開戦は約1年延びて2003年3月になったといわれている。

 アメリカの正規軍には、シリアでAQI/アル・ヌスラやISを支援することに反対する勢力が存在しているが、逆にこうした武装集団を支援しているのがCIAや特殊部隊。正規軍とCIA/特殊部隊の対立という構図はベトナム戦争の際にも見られた。

 CIA/特殊部隊はベトナムで住民皆殺しを目的としたフェニックス・プログラムを実行する一方、麻薬の密輸で資金を調達していた。ベトナムでは侵略者のアメリカと戦う「南ベトナム解放民族戦線」や北ベトナムを支援する農民は多く、兵站を叩く目的もあっただろう。1968年3月に引き起こされた「ミ・ライ(ソンミ村)事件」もフェニックス・プログラムの一環。(Douglas Valentine, "The Phoenix Program," William Morrow, 1990)この事件を1969年11月に書いたのもシーモア・ハーシュだ。この作戦に正規軍は組織的な関与をしていなかった。

 1967年5月17日にアメリカ第6艦隊のウイリアム・マーティン司令官はソ連海軍が脅威だと発言、6月5日にはイスラエルがエジプトを空爆、第3次中東戦争が勃発する。その際にアメリカは上空から撮影した写真をイスラエルへ提供し、政治的に支援していた。(Alan Hart, “Zionism Volume Three”, World Focus Publishing, 2005)アメリカ政府はエジプトを攻撃することだけを認めていたのだが、イスラエルを信用できないこともあって情報収集船のリバティを派遣する。

 そのリバティをイスラエル軍は6月8日に攻撃する。午後2時5分に3機のミラージュ戦闘機が攻撃を開始、ロケット弾やナパーム弾を発射した。最初の攻撃で通信設備が破壊されたが、通信兵は2時10分に寄せ集めの装置とアンテナで第6艦隊へ遭難信号を発信することに成功、イスラエルはジャミングで通信を妨害し、その後もイスラエル軍は執拗にリバティに対する攻撃を繰り返した。

 遭難信号を受信した第6艦隊の空母サラトガの甲板には、すぐに離陸できる4機のA1スカイホークがあり、艦長は戦闘機を離陸させる。イスラエルが攻撃を開始してから15分も経っていない。そこからリバティ号まで約30分で、2時50分には現場に到着できる。

 リバティが攻撃されたことはリンドン・ジョンソン大統領へすぐに報告されたが、ロバート・マクナマラ国防長官は第6艦隊に対して戦闘機をすぐに引き替えさせるようにと叫んだという。(Alan Hart, “Zionism Volume Three”, World Focus Publishing, 2005)このとき、在欧アメリカ海軍の司令官だったジョン・マケイン・ジュニア、つまり後のジョン・マケイン3世上院議員の父親も事実の隠蔽に荷担している。

 アメリカ側がリバティへ戦闘機と艦船を派遣すると至急電を打ったのは3時5分。空母サラトガと空母アメリカがリバティを救援するために8機の戦闘機を派遣するように命令したのは3時16分。39分に艦隊司令官はホワイトハウスに対し、戦闘機は4時前後に現場へ到着すると報告、その数分後にイスラエルの魚雷艇は最後の攻撃をしている。そして4時14分、イスラエル軍はアメリカ側に対し、アメリカの艦船を誤爆したと伝えて謝罪、アメリカ政府はその謝罪を受け入れた。この時の交信を記録した大量のテープを電子情報機関のNSAは破棄したという。(前掲書)

 もしイスラエルが目論んだようにリバティが艦隊へ連絡できないまま沈没、生存者がいなかったならば、ソ連軍に攻撃されたということにされた可能性もあり、米ソの軍事衝突に発展しても不思議ではなかった。「偽旗作戦」として側面もあったかもしれない。

 アメリカとイスラエル、両国の支配層間で事件は決着したのかもしれないが、イスラエル軍がアメリカ軍の艦船を意図的に攻撃し、34名が殺され、172名が負傷した事実は消えない。こうした出来事もあり、アメリカ軍の内部にはイスラエルを快く思っていない人は今でも少なくない。そのイスラエルの中でも狂信的好戦勢力のためにアメリカ軍を働かせようとしているのがネオコン。その結果がアメリカにとってよくないことだとわかっているとき、どこまで政府や議会に軍人が従っていられるだろうか?買収されない軍人もいる。





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最終更新日  2016.01.03 10:01:30



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