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《櫻井ジャーナル》

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2016.03.23
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 3月22日の爆破事件で37名以上が死亡したというブリュッセルはベルギーの首都であると同時にNATO本部の置かれた都市でもある。NATOが創設された当初、SHAPE(欧州連合軍最高司令部)はパリに置かれていたのだが、1966年にフランス政府はNATOの軍事機構から離脱を決め、翌年にはSHAPEをパリを追い出している。その当時のフランス大統領はシャルル・ド・ゴールで、アメリカとは一線を画す姿勢を見せていた。

 フランスでは第2次世界大戦後、早い段階でアメリカがヨーロッパを支配する仕組みを作っていることに気づいていた。例えば、1947年に誕生した社会党系の政権は、政府を不安定化することを目的とした右翼の秘密部隊が創設された主張している。その年の7月末か8月上旬には米英両国の情報機関に操られた秘密部隊が「ブル(青)計画」と名づけられたクーデターを実行する予定で、シャルル・ド・ゴールを暗殺する手はずだったと言われている。

 このクーデターが計画された当時、フランスの情報機関SDECEはCIAにコントロールされていたようだが、ド・ゴールが大統領になると自立する。1961年には反ド・ゴール派の秘密組織、OAS(秘密軍事機構)が創設され、アルジェリアでのクーデター計画が話し合われている。アルジェリアの主要都市を支配し、パリを制圧するという内容で、4月に決行されるが失敗する。ド・ゴールは計画の背後にアメリカの情報機関がいると判断した。

 本ブログでも指摘してきたが、1961年にアメリカ大統領となったジョン・F・ケネディは情報機関や軍の好戦派と対立、フランスでの動きに関しても、ジェームズ・ガビン駐仏大使に対し、必要なあらゆる支援をする用意があるとド・ゴールへ伝えるように命じている。アルジェリアを拠点にしてクーデター軍がパリへ攻め込んだ場合、ケネディ大統領はアメリカ軍を投入するという意思を示したわけで、CIAは驚いたようだ。(注1)

 こうしたケネディの迅速な動きもあってアルジェリアでのクーデターは失敗、ド・ゴールはSDECEの長官を解任、その暗殺部隊と化していた第11ショック・パラシュート大隊を解散させた。クーデター派の残党が1962年8月にド・ゴール暗殺を試みるが、これも失敗する。これが1966年にフランスがNATOの軍事機構から離脱した背景だ。

 一方、アメリカでは1963年11月にケネディ大統領が暗殺される。その葬儀から帰国したド・ゴール仏大統領は情報大臣だったアラン・ペールフィットに対し、ケネディに起こったことは自分に起こりかけたことだと語ったという。(注2)

 今回、ブリュッセルで引き起こされた爆破事件の4日前、昨年11月13日にフランスのパリで引き起こされた「襲撃事件」の容疑者をベルギーの当局が逮捕している。それと今回の事件とを関連づける見方もあるが、今回の爆破には1週間以上の準備期間が必要だとみられ、逮捕と結びつけるべきでないとも指摘されている。

Charlie Hebdo

AK-47で撃たれたはずの頭部に変化が見られない

 昨年、パリでは2度の「テロ」があった。まず1月7日に「風刺画」の雑誌を出しているシャルリー・エブドの編集部が襲われ、11名がビルの中、また1名が外で殺されている。襲撃したのはふたりで、AK-47、ショットガン、RPG(対戦車ロケット弾発射器)で武装し、マスクをしていたという。歩道上に倒れていた警官が頭部をAK-47で撃たれて殺されたことになっているが、映像を見る限り、その痕跡はない。骨や脳が飛び散ったり、血が吹き出たりしていないのだ。地面に当たって破片が致命傷を負わせたとしても大量の出血があるだろう。事件の捜査を担当したエルリク・フレドゥが執務室で拳銃自殺したことも疑惑を深める一因になっている。

 2度目は11月13日。パリの施設が襲撃され、約130名が殺され、数百人が負傷したとされているのだが、その痕跡が見あたらない。映像をチェックしても「血の海」と言える光景はなく、遺体がどこにあるのかといぶかる人もいる。こうした事件の場合、「治療の甲斐なく死亡」という人がいるはずで、死者数は増えていきそうなもの。ところがそうしたことはなかった。犠牲者の氏名も明確でない。

 昨年1月に襲われたシャルリー・エブドは「反イスラム」だと言われても仕方のない編集をしていた。「言論の自由」を掲げて預言者モハメッドを愚弄するなどイスラム教徒を挑発する漫画を掲載する一方、ユダヤ教には敏感。

 例えば、サルコジの息子がユダヤ系の富豪と結婚、自身もユダヤ教に改宗したことを風刺した漫画を描いたモーリス・シンの場合、2009年に「反ユダヤ」だとして解雇されてしまった。シャルリー・エブドを創設したオンリー・ルセルは、彼の後継者が雑誌を親シオニスト/反イスラムにしてしまったと批判している。

 西側のメディアは「私はシャルリー・エブド」というキャッチコピーを流したが、その編集部が行ってきたことはイスラムに対する「ヘイト・スピーチ」だとする批判は消えない。本ブログでも指摘したが、公的に認められた襲撃のシナリオに対する疑惑も残されている。ある種の人びとから見ると昨年1月の襲撃がフランス社会に与えた影響は小さかったのだろう。そして11月の事件が起こる。この襲撃が引き起こされる数カ月前からフランスのユダヤ人共同体の中では国内でテロ攻撃があると警告されていたという。当然、フランス政府もこうした情報を入手していたはずだ。

 フランスから流れて来る情報によると、攻撃参加者は重武装、高度に組織化され、アメリカあたりの情報機関員や軍人から短期間に訓練を受けたようなレベルではなかったという。1月の襲撃で歩道の警官を襲った人物の動きもプロフェッショナルを感じさせた。

 また、事件のあった地域にはアル・カイダ系武装集団アル・ヌスラ/AQIやダーイッシュ(IS、ISIS、ISILなどとも表記)の幹部が住み、その活動資金はカタールが出しているという。

 今回のケースでも襲撃グループのリーダーとされているアブデル・ハミド・アバーウドはシリアとベルギーをギリシャ経由で行き来し、それを西側の情報機関は把握していただろう。

 西側諸国、ペルシャ湾岸産油国、イスラエルなどは現在、狙いを付けた国の体制を破壊するためにアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュを使い、シリアに対する攻撃はトルコが重要な拠点であり、そこでもそうした武装集団のメンバーは自由に行動しているようだ。トルコでは、政府とそうした武装集団との緊密な関係に触れることは許されない。

 戦略的に重要な位置にあるシリアの破壊を国外の侵略勢力が諦めるとは思えないが、彼らはそのためにもEUを不安定化させようとしている。アメリカの支配層が最も恐れているのはロシアとEUが手を組むことだ。シリアを攻撃している一因も、EUが石油をアメリカの影響下にあるサウジアラビアやカタールに依存するように仕向けることにある。

(注1)David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015
(注2)David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015






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最終更新日  2016.03.23 23:34:47



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