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《櫻井ジャーナル》

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2016.03.30
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 日本には「戦争特需」という表現がある。戦争は儲かるということなのだろうが、第2次世界大戦の終わりに日本の諸都市がどのようになったのか、沖縄で何があったのかを忘れてしまったようだ。

 アルゼンチンの大統領だったネストル・キルシュネルに対し、大統領時代のジョージ・W・ブッシュは「経済を復活させる最善の方法は戦争」だと力説、「アメリカの経済成長は全て戦争によって促進された」と話していたという。この証言はオリバー・ストーンが制作したドキュメンタリー、「国境の南」に収められている。

 しかし、ベトナム戦争はアメリカを衰退させる大きな要因だった。戦争が儲かる、あるいは経済成長を促進させるという主張には、戦争で勝利するという前提がある。歴史を振り返ると、戦争に勝った国は領土を拡大し、資源を奪うことができ、賠償金を要求したり、その国にある財宝を奪ったりしてきたが、負ければ無惨。「勝てば官軍、負ければ賊軍」ということであり、それを熟知している日本人は「強そうな」勢力や人物につき、必然的に多数派となる。

 日本の場合、1917年11月にロシアで「十月革命」が成功した後、翌年の8月にイギリス、フランス、アメリカと一緒に軍隊を派遣している。「二月革命」はイギリスなどの資本家にとって都合の良いものだったが、その直後にドイツが戦争に反対していたボルシェビキの指導者を亡命先からロシアへ帰国させ、社会主義の看板を掲げる体制が出現、慌てたわけだ。その時にイギリス、フランス、アメリカは約7000名の規模だったが、日本は1万2000名を送り込み、10月には7万2000名まで増やしている。

 その年の11月に大戦は終了するが、日本軍は1922年まで留まった。憲政会の中野正剛が質問して広く知られるようになったが、この干渉戦争で日本軍は1万2000キログラムの金塊(177箱)を持ち帰ったと言われている。そのうち143箱は旅順の火薬庫に保管した後、朝鮮銀行の下関支店に運ばれ、そこから大阪造幣局へ移され、またルーブル金貨は朝鮮銀行か横浜正金銀行で日本の通貨に換金されたと推測されている。

 中国を侵略した際には「金の百合」という財宝略奪プロジェクトが実行され、その一部は日本へ運ばれたが、残りはフィリピンに隠されたと言われている。戦後の混乱期、日本国内でも宝石や金塊などが発見されて話題になり、ナチス時代のドイツが行った金塊略奪(ナチ・ゴールド)との絡みで日本の略奪財宝の話が出てくることもあった。

 大戦後、「山下兵団の宝物」に関する詳しい情報を最初に聞き出したのはエドワード・ランズデール大尉(当時)だと言われている。この人物は戦時情報機関OSSに所属、つまりウイリアム・ドノバンやアレン・ダレスの下で活動していた。後にランズデールはCIAの秘密工作に参加することになる。

 財宝に関する情報を上官へ報告するため、ランズデールは東京へ向かう。そこでダグラス・マッカーサー元帥、チャールズ・ウィロビー少将、コートニー・ホイットニー准将に報告、さらにワシントンへ飛び、ジョン・マグルーダー准将や大統領のスタッフに説明した。マグルーダー准将はドノバンOSS長官の部下だった人物。

 ランズデール中佐(当時)は1950年に「テロ部隊」OPCの責任者としてフィリピンに戻り、フクバラハップ(抗日人民軍)の制圧を指揮したとされているが、実際は日本軍が隠した略奪財宝を回収することが目的だったという見方もある。

 「山下兵団の宝物」が世界的に知られる切っ掛けは、フェルディナンド・マルコスの失脚。1986年2月、ネオコンの大物であるポール・ウォルフォウィッツの指示でフィリピンを支配していたマルコスがアメリカ軍によって連れ出され、文書や証言が出始めたのである。マルコスがいなくなった宮殿から財宝に関する文書が出てきたほか、「マルコスの資産」やその源泉をめぐる裁判が起こされたことが大きい。裁判にはジョン・F・ケネディ政権で司法次官補を務めたノーバート・シュレイが弁護士として関わる。

 シュレイが1991年1月7日に書いた覚書によると、当初は吉田茂とダグラス・マッカーサーが資金を管理し、警察予備隊(自衛隊の前身)を組織する際に200億円が使われたという。憲法の問題があるため、資金的な問題を解決するために闇資金を利用したというのである。平和条約と安保条約が発効した後、闇資金(いわゆるM資金)は日米両国で管理することになる。(Norbert A. Schlei, “Japan’s “M-Fund” Memorandum”, January 7, 1991)

 この覚書が書かれた翌年の1月、シュレイの依頼主が囮捜査で逮捕され、シュレイ自身も巻き込まれてしまう。1997年に控訴審でシュレイは無罪になるが、この裁判でシュレイは弁護士活動を封じられ、破産状態に追い込まれた。

 日本では政府だけでなく、「アカデミー」の世界も有力マスコミもこの問題はタブーだが、世界的には広く知られている。戦争は略奪で儲かるのである。中東/北アフリカやウクライナの戦闘で石油の話が出てくる理由と同じだ。そうしたことを庶民はよく知っている。だからこそ、日露戦争で勝利したと信じる庶民は講和条件に対する不満を爆発させ、内相官邸、警察署、交番などを焼き討ちし、戒厳令が敷かれるという事態に発展したわけである。安倍政権が従属するネオコンは弱く、ロシアや中国に勝てないということを知られたなら、戦争に反対する意見が大きく増えるかもしれない。





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最終更新日  2016.03.30 20:31:18



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