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フランスとドイツで多くの死傷者を出す出来事があった。7月14日はフランスの革命記念日(バスチーユの日)。ニースでも多くの人が花火を見物していたのだが、その中へトラックが突入して84名が死亡、22日にはドイツのミュンヘンにあるショッピング・モールで銃撃があり、10名が殺されたという。
フランスのフランソワ・オランド首相は事件を口実にしてシリアやイラクへの攻撃を強化、非常事態を3カ月間、延長すると発表している。国民の支持を完全に失っているオランド政権が、たとえ一時的であっても、絶対的な権力をてにしたわけだ。 しかし、この事件でも疑問を口にする人は少なくない。例えば、現場が血の海になっていないのはなぜか、トラックに血がこびりついていないのはなぜか、190名近い人に衝突しているにもかかわらず、トラックが大きく損傷していないのはなぜか、警官隊が容疑者を生きたまま逮捕しようとしなかったのはなぜか、などだ。 さらに、ここにきて新たな疑問が浮かび上がった。フランスのSDAT(対テロ警察)は地元当局に対し、監視カメラを含む映像から事件が写っている部分を消去するように要求、当局がそれを拒否したというのだ。映像が外部へ流れることを恐れたというが、対テロ警察が証拠を隠滅するように求めるとは尋常でない。 ドイツの事件も詳細は不明だが、目撃者としてメディアの登場した人物を見て驚いた人がいる。ニースの事件を目撃したとしてメディアに語っていたジャーナリストのリヒャルト・グートヤーがドイツの事件も目撃していたというのだ。しかも、この人物の家族が興味深い。グートヤーが結婚しているエイナット・ウィルフは、かつて将校としてイスラエルの電子情報機関8200部隊に所属していたことがあるのだ。この部隊はアメリカのNSAとも連携、両機関は共同でイランの核施設をサイバー攻撃したこともある。民間企業として別働隊が存在、世界のコンピュータ業界に強力なネットワークを張り巡らせているようだ。ウィルフはシモン・ペレス副首相の外交政策顧問やマッキンゼーの戦略顧問だったこともあるという。 勿論、グートヤーは偶然、ふたつの事件に遭遇したのかもしれない。ただ、話題になって当然の偶然だ。事前に何らかの情報を持っていた可能性も否定できない。 こうした疑惑を強める一因は、グラディオによる「テロ」という経験があるからだ。本ブログでは何度も取り上げたNATOの秘密部隊で、1960年代から80年代にかけて「赤い旅団」を装って爆弾攻撃を繰り返している。イタリアは歴史的にコミュニストの影響力が強い国だったが、その爆弾攻撃で「左翼」は大きなダメージを受け、治安体制は強化された。 この組織の存在が表面化する切っ掛けを作ったのはイタリアの子ども。イタリア北東部の森の中にあった武器庫のひとつを偶然見つけたのだ。発見から3カ月後、カラビニエーレ(国防省に所属する特殊警察)の捜査官が調べていた不審車両が爆発して3名が死亡、ひとりが重傷を負うという出来事が起こり、警察は「赤い旅団」が事件を起こしたとして約200名のコミュニストを逮捕するが、捜査は中断して放置された。(Philip Willan, "Puppetmasters", Constable, 1991)(注) その事実に気づいた判事のひとりが操作の再開を命令、警察が爆発物について嘘の報告をしていたも発覚する。追い詰められたジュリオ・アンドレオッチ首相は1990年7月に対外情報機関SISMIの公文書保管庫を捜査することを許可、そこでグラディオの存在が確認され、報告書を出さざるを得なくなったわけだ。このあと、NATO加盟国で同じような秘密部隊が存在、ネットワークを形成していることも明らかになる。このネットワークを指揮してきたのは米英の情報機関だ。 全てのNATOにこうした秘密部隊は存在、それ以外でもオーストリア、フィンランド、スウェーデン、スイスなどにもあるとされている。スペインは1982年にNATOへ加盟する前から存在していた。つまり、フランスにもドイツにも存在している。 (注)赤い旅団の幹部はひとりを除いて逮捕、収監され、残された若者に何らかの破壊活動をする能力はなかった。残った幹部のひとりは途中で入った人物で、背後にCIAが存在すると言う人もいる。
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最終更新日
2016.07.23 20:01:15
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