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《櫻井ジャーナル》

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2023.07.05
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 NATO(北大西洋条約機構)は7月11日から12日にかけてリトアニアのビリニュスで首脳会議を開く予定だ。ソ連消滅後、NATO軍は1995年8月から9月にかけてボスニア・ヘルツェゴビナを空爆、1999年3月から6月にかけてユーゴスラビアを攻撃、アメリカの侵略マシーンとして活動を本格化させたが、昨年2月からウクライナでロシア軍と戦闘をはじめ、窮地に陥った。そこから抜け出そうとする国も出てくるだろう。

 アメリカがウクライナで政権転覆工作を始めたのは2013年11月。翌年の2月にはビクトル・ヤヌコビッチ大統領の排除に成功した。その時の工作でバラク・オバマ政権が手先に使ったのはNATO諸国で訓練を受けたネオ・ナチだ。

 クーデターでキエフや西部地域は制圧できたものの、ヤヌコビッチの支持基盤だった東部や南部の住民はクーデター体制を拒否、南部のクリミアはロシアの保護下に入り、東部のドンバスでは内戦が始まる。

 内戦でキエフのクーデター政権は勝てないとアメリカやEUは判断、軍事力の増強を図る。そうした時に結ばれたのがミンスク合意。ドイツやフランスが仲介したのだが、​アンゲラ・メルケル​元独首相は昨年12月7日にツァイトのインタビューでミンスク合意は軍事力を強化するための時間稼ぎだったと認め、その直後に​フランソワ・オランド​元仏大統領はメルケルの発言を事実だと語っている。

 その後、8年をかけてアメリカ/NATOはクーデター政権に兵器を供給、兵士を訓練、ドンバスの周辺に要塞線を築いた。アゾフ特殊作戦分遣隊(アゾフ大隊)が拠点にしていたマリウポリや岩塩の採掘場があるソレダルの要塞は特に有名だ。

 アメリカ/NATOはウクライナ軍を2022年春にドンバスへ軍事侵攻させ、住民を虐殺して、ロシア軍を要塞線の内側へ誘い込もうとしていたと推測する専門家もいる。そこでロシア軍を足止めさせ、その間にクリミアを別の部隊に攻撃させようというわけだ。ロシア軍がキエフへ部隊を向かわせたのはクリミアへの攻撃を阻止するためだったという見方もある。

 しかし、ロシア軍は地上部隊をドンバスへ送り込まなかった。すでにドンバス周辺に集結していたウクライナの軍や親衛隊、各国の軍人や傭兵をミサイルで攻撃、壊滅的な打撃を与えた。地上で戦っていたのはドンバス軍とワーグナー・グループだ。この段階でキエフ政権は停戦交渉を始めている。

 停戦交渉を仲介した人物はイスラエルの首相だったナフタリ・ベネット。​彼によると、話し合いで双方は妥協に応じ、停戦は実現しそうだった。ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領はNATOへの加盟を諦めるとしたいう​。

 3月5日にベネットはモスクワでウラジミル・プーチン露大統領と数時間にわたって話し合い、ゼレンスキーを殺害しないという約束をとりつけた。その足でベネットはドイツへ向かい、オラフ・シュルツ首相と会っている。

 ところが、​その3月5日にゼレンスキー政権の交渉チームに加わっていたデニス・キリーエフをウクライナの治安機関SBUのメンバーが射殺してしまう​。クーデター直後からSBUはCIAの下部機関化しているので、アメリカ政府が殺したと言えるだろう。

 ​ベネットによると、恐怖から掩蔽壕に隠れていたゼレンスキーはロシア政府がゼレンスキーを殺害しないと保証したことを確認した2時間後にゼレンスキーはオフィスで「私は恐れない」と宣言したという​。

 停戦交渉はトルコ政府の仲介でも行われた。アフリカ各国のリーダーで構成される代表団がロシアのサンクトペテルブルクを訪問、ウラジミル・プーチン大統領と6月17日に会談しているが、その際、​プーチン大統領は「ウクライナの永世中立性と安全保障に関する条約」と題する草案を示している​。その文書にはウクライナ代表団の署名があった。つまりウクライナ政府も停戦に合意していたのだ。

 停戦交渉の進展でロシア軍はウクライナ政府との約束通りにキエフ周辺から撤退を開始、3月30日にはブチャから撤退を完了した。​31日にはブチャのアナトリー・フェドルク市長がフェイスブックで喜びを伝えているが、虐殺の話は出ていない​。

 ところが、ウクライナ政府は停戦合意を破棄する。破棄させたのはアメリカ政府やイギリス政府だ。合意を潰すため、西側の有力メディアは4月に入ると西側の有力メディアはロシア軍がブチャで住民を虐殺したと宣伝し始めるが、マクサー・テクノロジーズなる会社から提供された写真の分析などからキエフ政権の親衛隊が殺害した可能性が高いと言われている。

 そうした中、​4月9日にボリス・ジョンソン英首相はキエフへ乗り込んでロシアとの停戦交渉を止めるように命令​。4月30日にはナンシー・ペロシ米下院議長が下院議員団を率いてウクライナを訪問、ゼレンスキー大統領に対し、ウクライナへの「支援継続」を誓い、戦争の継続を求めている。そこからウクライナでの戦闘でロシア軍と戦う相手はNATOへと移っていく。

 プーチン大統領はNATO軍との戦闘を想定、昨年9月21日に部分的な動員を実施すると発表した。集められた兵士の大半は訓練に回され、前線に出たのは一部にすぎなかった。NATO軍の軍事侵攻に備えているとも見られている。その後、ワーグナー・グループは解体され、兵士はロシア軍に吸収されることになった。

 ワーグナー・グループは傭兵会社で、経営者は料理人のエフゲニー・プリゴジン。軍事の分野では素人であり、軍事作戦に関与してきたとは思えない。創設にはロシア軍参謀本部の第1副本部長を務めているウラジーミル・ステパノビッチ・アレクセーエフ中将が関係したと言われている。同中将は多くの秘密作戦に参加、民間企業とロシア国防省の契約を仲介してきたともいう。

 ワーグナー・グループはバフムート(アルチョモフスク)で勝利した直後、5月20日にプリゴジンは「解放」を宣言、25日から部隊を撤退させると発表した。その際、セルゲイ・スロビキン上級大将とミハイル・ミジンチェフ上級大将に謝意を表している。

 スロビキンは昨年10月からドンバス、ヘルソン、ザポリージャの戦闘を指揮している軍人。ミジンチェフはマリウポリを解放した作戦の指揮官だった。今年5月4日からミジンチェフはワグナー・グループの「副司令官」を務めているが、料理人のプリゴジンではなくミジンチェフが本当の司令官だと考える人もいた。

 ロシアの連邦保安庁(FSB)はNATOの軍事演習「エア・ディフェンダー23」が終了した6月23日、武装反乱の呼びかけ容疑でプリゴジンの捜査を開始した。プリゴジンは25,000人の兵士が行動を共にすると主張したようだが、実際は8000名程度で、将校は動かなかったという。

 プリゴジンは部隊を率いてロストフ・オン・ドンへ入り、ロストフ・オン・ドンからモスクワへ向かうように命令したと言われているが、ロシアの軍や治安機関に目立った動きは見られなかった。アメリカなど西側の「専門家」はプーチン政権の崩壊を妄想、有力メディアも内戦と殺戮を期待していたようだが、そうしたことは起こらなかった。

 24日の午後にはロシアにおけるワグナー・グループの行動を中止することでベラルーシのアレクサンドル・ルカシェンコ大統領とプリゴジンが合意し、ロシア政府はワーグナー・グループの幹部に対する訴追を取り下げると発表した。プリゴジンはベラルーシに「追放」される。

 プリゴジンはどこかの時点で西側の情報機関に買収されたと考える人もいる。1980年代にアメリカのCIA人脈はソ連のKGB幹部を買収したと言われているので、ありえないことではないが、買収されたふりをしたという見方もできる。軍事力が強くないベラルーシに戦闘部隊を送り込む演出と推測する人もいる。

 ウクライナでの戦闘はロシア軍が圧勝している。ワグナー・グループの件でロシア国内を混乱させたかったのかもしれないが、そうした展開にはならなかった。2014年にウクライナで戦争を始めたネオコンに残された手段は多くない。

 6月12日から23日にかけてNATO軍は「エア・ディフェンダー23」と名付けられた軍事演習を実施した。25カ国から約1万人が参加したというが、これは演習を装った実戦ではないかと疑う人もいた。

 アメリカやEUの内部にはそうしたことを考えそうな人が少なくないのだが、NATO内には同調しない国が増えているようだ。NATO軍を動かすためには何か大きなショックが必要だ。例えば、原子力発電所の破壊、「汚い爆弾」の使用など。イギリスの有力メディアはすでに予定稿を書き上げているという噂もある。






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最終更新日  2023.07.05 01:10:41



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