生誕100年のいわさきちひろ。
子どもの頃から好きだった。
「いわさきちひろ、絵描きです。」展へ。
第I章
私の娘時代はずっと戦争のなかでした
映像ダイジェスト「黒柳徹子さんと『いわさきちひろ』」を通して、
軍国主義に協力した両親、特に母親は満蒙開拓団の「大陸の花嫁」を推進し
娘のちひろをも満州に嫁がせたと知りショックを受けた。
黒柳氏によれば敗戦が画家ちひろの自立を促したそうだが...
満州で精神を病み帰国したちひろ。
満州の多くの日本女性の運命にも思いをはせ、震撼もした。
第II章
働いている人たちに共感してもらえる絵を描きたい
丸木位里・丸木俊夫妻との交流もあり、
「原爆の図」でちひろが二人のモデルになったデッサン画も。
「原爆の図」は子どものころ見たきりで、ちひろが描かれているとは知らなかった。
ちひろが画を描いた
オー・ヘンリー O. Henry「最後の一葉
The Last Leaf」の幻燈を見る(学芸光画の「光画」=幻灯)。
寄りと引きが(ほぼ)交互に現れるシーンの演出が特徴。
紙芝居・幻灯らしからぬダイナミックさというか...
最後の一葉にしっかり翳が描かれているのも印象的。
ふたりの美大生の服も、おしゃれなちひろらしくモダンでセンスよく描かれていた。
プロレタリア美術に連なるのが幻灯や紙芝居だが、
ちひろの最初の教育紙芝居「お母さんの話」も観た。アンデルセン原作。
その後の紙芝居は福引に気を取られて家が火事になり焼き出されてしまう母子家庭の少女や
門限を守れなかった女子学生の話も。
現代の感覚、豊かになった日本の感覚からの若干の隔たりも感じながら観ていた。
油絵の重く暗いトーン、色遣いは水彩画のちひろと対照的だが
また別の魅力があって心に残った。
ただ、黒目だけの瞳は水彩画とも変わらない。
ちひろは
マリー・ローランサン Marie Laurencinの画が好きで
このような瞳の描き方になったらしい。
第III章
私は、豹変しながらいろいろとあくせくします
子どものころちひろの画の白抜きが強い印象を残していたことを思い出す。
幼稚園で習う、画用紙に白色等のクレヨンで描いた上から水彩絵の具を塗ると
クレヨンが絵具を撥く手法。
ろうけつ染めのような撥水、防染で白を残す技法だろうか、と考えてもいたから。
実際の手法は「白抜き」で、クレヨンで水彩絵具を撥いているわけではなかった。
他に、たらし込み、没骨法(
俵屋宗達のよう)
渇筆法、潤筆法、デカルコマニー(décalcomanie)も使われているそう。
第IV章
童画は、けしてただの文の説明であってはならない
ちひろの原画と絵本になった絵を見比べると
原画の繊細なタッチは印刷では再現出来ないのだなぁ、とさびしく思うが
(あらためて、線ひとつひとつのかすれの絶対的説得力に魅了される)
高畑勲による「拡大原画」は、それに対するひとつの解なのかもしれない...
高畑勲監督『かぐや姫の物語』で描かれた
草花にいわさきちひろを感じ、想起していた...
かこさとしも川崎セツルメント等、
プロレタリア美術に連なる表現の一つ、紙芝居を残していた。
そして反戦への思いも
いわさきちひろと共通する。
子どもの頃から親しんでいるから、というだけでなく
その画や作品に込められた意思も忘れ得ない。
東京のちひろ美術館は何度か訪れていたが
もっと広い会場でじっくりちひろの半生を知ることが出来てとても良かった。
中川李枝子、大村百合子姉妹の「いやいやえん」や
石井桃子も子どものころ読んだ。
to be continued...!?
buzz KOREA
Click...
にほんブログ村 韓国映画
にほんブログ村 映画
にほんブログ村 映画評論・レビュー
にほんブログ村 韓国情報
にほんブログ村 K-POP
にほんブログ村
Copyright 2003-2025 Dalnara, confuoco. All rights reserved.
本ブログ、サイトの全部或いは一部を引用、言及する際は
著作権法に基づき出典(ブログ名とURL)を明記してください。
無断で本ブログ、サイトの全部あるいは一部、
表現や
情報、意見、
解釈、考察、解説
ロジックや
発想(アイデア)・
視点(着眼点)、
写真・画像等も
コピー・利用・流用・
盗用することは禁止します。
剽窃厳禁。
悪質なキュレーション Curation 型剽窃、
つまみ食い剽窃もお断り。
複製のみならず、
ベース下敷きにし、語尾や文体などを変えた剽窃、
リライト、
切り刻んで
翻案等も著作権侵害です。