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さすがに画像のネタが尽きてきましたので、中世・ルネサンス美術秘史の講釈はこのへんで一区切りといたしますが・・・
それでも、こうして見ていくと、一般民衆たちが教会の中で語られる「正統派」の聖書物語に親しんでいた蔭で、美術家たちはその裏に隠された真実に肉薄していたのだと思わざるをえません。磔刑のとき、事実は遠くから見守ることしか許されなかったとしても、表現上は十字架の真下の、もっともイエスの近親者の席を占めるに値したのは誰か。そして降ろされた遺体を、真っ先に抱く権利を有していたのは本当は誰なのか。・・・たとえ教会の態度を気にしながら、おずおずとではあったかもしれませんが、彼らは聖書から読み取ったと信じた真実に忠実であろうとしたのだと思います。 昨日書き落としていたのですが、ミケランジェロの最後の作品、未完成の「ロンダニーニのピエタ」。私はどうも、あの「マリア」の完成形は「最後の審判」と同じ姿、つまりフードをかぶっただけのヌードではなかったかと思えてならないんです。自分の死期を前にして、ミケランジェロはついに教会に対して公然と自己を主張しようとしたのではなかったのでしょうか・・・ ミケランジェロのいくつかの例では、聖母マリアにみせかけたマグダレーナ、という仮説をお聞かせしましたが、これ私の独創だけじゃないんですね。近いことを言っている人もいますし、禁じられた信仰の対象を、他の対象にすりかえてしまう、という手は、わが祖先の隠れキリシタンたちの「奥の手」でしたし(汗)他にも文化史上いくつも類例があることですから。 南フランスといえば、聖母マリア信仰が盛んなことで有名で、そのあたりではイエス・キリストより親しまれているといわれます。そういえばその辺は「ルルドの泉」など、現代でもマリア様があらわれたとかの奇跡談も多いですね。ところがこれ、もとをたどれば、異端として教会の弾圧をうけつづけた「聖マドレーヌ信仰(もちろん Marie Magdelene ですね。フランス語ではgを発音しませんから)」が変遷してきたものだということがわかっています。マグダレーナに対する信仰を聖母マリアのことにすりかえているうちに、いつのまにか軒を貸して母屋を取られたということでしょうか(汗)・・・まあ名前が同じだけに、この2人のマリアはいたるところで混同されてきたようですから。 マルセイユを中心としたプロヴァンス地方では、ユダヤから海を渡ってきた聖女マドレーヌがこの地に住み着いて布教したのが、フランスにおけるキリスト教のはじまりと信じられていて、その中には「ダ・ヴィンチ・コード」のネタにもなっているとおり、聖マドレーヌはイエスとの間に子供を作り、その血筋は中世フランス王家に残されている、という伝説もあるんですね。今でも聖マドレーヌのお祭りは熱狂的で有名ですし、「マドレーヌ」を聖女の名前とは知らない人でも、お祭りで焼かれる貝殻型のケーキの名前は、いまや知らぬ人はありません(爆) 激しい弾圧のなかでその信仰を守るために、信仰の対象をシンボルに置き換える、いわゆる暗喩という手法も、洋の東西を問わず行われてきました。現在では聖母マリアを象徴するものとして広く親しまれている「Maris Stella(海の星)」という言葉が、もとをただせばはるか東方から海を越えてやってきた聖女をたたえるシンボルであったことも、知る人は少ないようですね・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.11.14 00:30:50
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