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邪宗教からの脱会のための日記 [全956件]

2012.05.27楽天プロフィール Add to Google XML

所詮、日蓮正宗の信仰を否定するのは、文献莫迦である。

色んな法華講のブログや掲示板にて、散々出されているのですが、大御本尊。二箇相承を必死になって、否定するのは、ただの文献莫迦である。

大御本尊に関して、御書のどこにも書かれていない。からと、否定に躍起になってるが、実際に大聖人御真筆本尊は、150以上あり、その全てに御本尊の事が書かれていない。

万年救護本尊や、独歩が言ってる日禅師授与本尊すら、文献に書いて無い。書いて無いから、おかしいとか、偽物だと騒いでいる。

では、独歩に騙されている者に聞く、独歩が言ってる日禅師授与本尊について、書かれている日蓮大聖人の御真筆の御書を出すがよかろう。独歩のような習い損ないの学者風情の論では、全ての御真筆本尊であろうとも、御書に無ければ、偽物か?

莫迦を言うものでない。それも、北山所有の偽作本尊たる日禅師授与本尊でる。今現在大石寺が所有してる日禅師授与本尊で無い。文献にこだわる独歩一派に問うが、北山所有の偽作日禅師授与本尊が、文献にあるのか?

答える事は、できまい。

日禅師授与本尊と、大御本尊の違いは、何回も御虫払法要。御開扉をしてる我々法華講ならばl違いがハッキリ分かる。

何?信用できないとな?

では、宇宙に行った宇宙飛行士の宇宙から見た地球の話しも、信用出来ないであろう。

実際に見た者の話しが信用出来ないならば、独歩のいう経歴も信用できまい。違いますかな?

所詮、大御本尊も日禅師授与本尊も、法華講以外は見る事出来ない。

ある大莫迦者は、独歩のあの偽造写真が、大御本尊だと豪語した。理由が、法華講の者が、ネットで本物だと言ったかあだという。では、その者が信用出来るのか?

ならば、あの写真が偽造とする証明は、前から二列目で拝見しても、独歩のあの写真の見え方はしない。鶴丸徳利は、下に見える。

これは、私は正々堂々と独歩のあの写真は、偽作と言えるのである。実際に見た者の実際の話しである。

これが、信用出来ないというならば、見た事無い奉安堂内部をどう証明するのだ?

不可能であろう。否定するならば、否定するのに文献でなく現実の事で、証明すべきであろう。実際に見た事無いのを必死に否定しても意味は、無いのだ。




Last updated 2012.05.28 04:50:53


2012.05.26

とある批判への反論。

破邪蘭室からの転載である。



? 本日、一時の暇を得て、何気なく種々のブログを閲覧していたら、そこには「日蓮宗」への批判が
述べられていた。

其の内容とは、

『戦後、日蓮宗系から数々の問題ある教団が誕生したが、実にその元凶は、日蓮の排他的な教えに
ある。そして、日蓮宗系の最大宗派の身延日蓮宗(寺院数5,200ヶ寺、直系信徒330万人)が言うには、
「日蓮聖人のは教えは悪くないのだ。悪いのは、日蓮聖人の教えを間違って伝えている創価学会や
顕正会なのだ」との事であるが、これは無理な主張だろう。日蓮の思想は、あくまでも他宗を禁じ、
法華宗を国教化する事であり、布教方法も強引である。そもそも日蓮が書き残した遺文に於いても、
「されば人是を用ひず機に叶はずと云へども強いて法華経の五字の題名を聞かすべきなり、是なら
では仏になる道はなきが故なり」とあり、これをそのまま実行したのが創価学会、顕正会なのだ。
其れに引き替え、寺檀制度の伝統の上にあぐらをかき、大衆の反感を買うのを恐れ、日蓮の教えの
うち、過激なものにはフタをして、無難なものだけ宣揚している身延日蓮宗こそ、欺瞞ではないか。
また、日蓮宗には霊断師会という組織があり、ここでは「九識霊断法」という占いを行ない「倶生
霊神符」というお守りを売っている。私は別に、これはいいと思うが、見る人が見れば奇異に映る
だろう。奇異と言えば、日蓮宗の大本山に中山法華経寺というお寺があり、ここには大荒行堂があ
って、祈祷師を養成している。毎年、真冬に行われ、毎日2時間の睡眠時間で、粗衣粗食、水行、
木剣、読経の修行に専念する。祈祷師とは、法華経の力を借りて、生霊、死霊、畜生霊を退治する
という文字通りの霊能者である。大声の読経で声は潰れ、冷水で手足の肉が破れる。それは毎年、
死人が出るという凄まじさである。このように、日蓮宗は決して「常識的」な宗派ではない。
常識的宗派でないにも関わらず、常識的な顔をして、他宗教を非難するのであれば、これは欺瞞だ
ろう。自己反省もできぬ者が、どうして他人を糾弾できるのか』

というものである。

うむ。

して見れば、的を得ている部分もあり、又、間違っている部分もある。

しかし、身延日蓮宗への客観的批判については、大いに的を得ている。

抑も「九識霊断法」とは、高佐日煌(日蓮宗霊断師会創祖・小西法縁連合会会長・昭和四一年死去)が
創始したものであるが、今や身延日蓮宗に於いては、それら霊断法を用いる「霊断師」が、荒行を
得ない僧侶の上に位置して、祈祷師よろしく呪(まじな)いをするのである。して其の「霊断師」には
「一級霊断師」というのがあって、それら「一級の霊断師」が住職となって、訪れる信徒を前にして、
其の信徒を専門に守る守護神(倶生霊神)に対し霊断を用い、其の信徒の運命を聞くというのである。

小笑。 何とも訝(いぶか)しい風景であるが、抑も、其のような霊断法など、日蓮大聖人の仏法には
存在せず、まして、荒行を終えた髭面の修法師(木釼[ぼっけん]を持つ祈祷師)の存在など、大聖人が
御教示さる文底独一本門の大法からして、まったく邪義邪法の態である事は、間違いのである。

其の意味からして、上記の批判は的を得ているものであり、そういう修験者まがいの修行が、一体
何処の御文証を以って正当化されているのか。其れこそ『文献莫迦』の者共は、我ら興門正統への
相伝書を云云する前に、そういう出鱈目(デタラメ)な創作修行について、其の莫迦たる真骨頂を今
こそ発揮すべきなのである。

其れにしても、霊断師による占法とか、修法師による加持祈祷とか。鼻笑。

一体、お前ら身延日蓮宗の教学はどーなっておるのだ!?

本より、教学も本尊も定まっておらんから、北山も顕本も中山も仲間に引き入れて、勝手気ままな
法義修法を行なっているのであろう。哀笑。ったく、どーしようもない宗団である。

尚、上記の批判文で「日蓮聖人の折伏をそのまま実行したのは創価学会…」とあるが、今や創価は
折伏の牙はとうに抜けて、智天使ケルビムを讃嘆し、バラモン教さえも尊敬する外道教団となって
おるから、その認識については間違っている。

さても身延よ。そして、其の身延に屈した顕本の異流よ。

お前らが自慢する大荒行の正義を、日蓮大聖人の大仏法から示してみよ。そして、撰法華経を首に
ぶらさげ、和風カスタネットを狂った様に打ち鳴らす、あの髭ずらの修験者の姿が、日蓮大聖人の
門下に連なる僧としての正體の姿であるのか、其の文証を此(ここ)に提示せよ。

学者坊主・文献莫迦の弁からして、まさか江戸時代の創作などとは言わせまいぞ。よろしいか。
?
さて、よく日蓮正宗を知らないで、創価学会と顕正会が誕生させた日蓮正宗がおかしいと、ネットで騒いでいる大莫迦者が多い。

同じ南無妙法蓮華経と唱えていようと、全く日蓮正宗と異なる団体に堕ちた異流義である。

異流義とは、異なる流れの義であるからして、日蓮正宗とは異なる教え教義である。顕正会は、国立戒壇を捨てきれずまた、当時の創価学会本部に街宣車を出して大騒ぎをしたので、破門された。

また、創価学会は古来からの出家に従う仏教の根本を嫌がり、破門され魂の独立と言ってる団体である。

そう。顕正会も創価学会も、師の指導が気に食わないという事です。

まるで、校則に従わない。不良少年そのものである。

このブログの初期に学校を例えて説明をした。

私からすれば、顕正会も創価学会も、仏教異端児でしかない。不良少年団体である。

結論から言えば、勝手に仏法から離れて、勝手に自分勝手な教義を言ってる団体という事である。

さて、それでも日蓮正宗から、創価学会と顕正会が誕生したと思うのであれば、その証明をきちんとすればよかろう。それも出来ずに、調べもせずに、ただ感情で騒いでいるのは、私からしたら、常識もない者である。




Last updated 2012.05.26 18:13:03

2012.05.25

顕正会員150よ万人は、純粋な信心をしてるのか?

ふと思ったのでありが、顕正新聞を見ると、鉄壁の150万とか、何だかんだお、いかにも顕正会には、真面目な信者が150万もいるように書いている。

でも?顕正会って、10万人もいない団体である事は、有名な事である。

実際に150万は、退転も死んだ者も含まれます。つまり、顕正会員は150万人いないし、この数が純粋に信心もしていないのである。

そんな顕正会員は、新聞を見て150万人もいる。純粋な信者がいると思い込みをしてるのです。

顕正会で昔は、日達上人の御指南を誹謗していた。


日達上人が昭和49年11月17日の御説法において、

「日本国全人口の三分の一以上の人が、本門事の戒壇の御本尊に、純真な、しかも確実な信心をもって、本門の題目・南無妙法蓮華経を異口同音に唱え奉ることができた時、その時こそ、日本国一国は広宣流布したと申し上げるべきことである」

との御指南あそばされたのは、「舎衛の三億」だから三分の一入信でオッケー、などという軽々しい意味ではありません(それは学会の説です)。

日達上人は学会の説に対して、釈尊御在世の舎衛国を順縁広布のモデルケースと見立てて三分の一という数字を目標にするとしても、それは少なくとも「三分の一以上」が、いかなる難に遭うとも決して退転することのない護法の決意、すなわち「純真な、しかも確実な信心」に立っていなくてはならない、と御指導あそばされたのです。

三分の一という数字にこだわることが、必ずしも本義ではありません。

ここで「三分の一以上」というのは、一国の大勢を左右するに足るだけの一定の成果を表す、象徴的な数としてお示し下されているものと拝するべきであります。たとえ十分の九が信心していようとも、一国の大勢が未だ不安定な状勢ならば、それは未だ立正安国の実現ではありませんから広布達成とも言えません。

まだ、背いたり熱心に信じてみたりを繰り返す不確実な信心の人や、あるいは未入信の人も残っていたりはするわけですが、数の上では全員入信・全員成仏という最終の果には至らずとも、一国の大勢が決するだけの「純真・確実」な信心に立つ人々が自行化他の題目を行ずるに至ったならば、それは既に、因果倶時の広宣流布の相が満ちた時と見るべきです。その時点を以って一国広布のひとつの節目と定めても、実際上何ら問題はないではありませんか。

全員入信という形が整うまで建物は一切御供養しない、内拝も許さないで大御本尊様は御宝蔵にほったらかしておくなどという妙な完璧主義に囚われていては、一閻浮提の広布などいつまでたっても進みません。

この世界には日々、新しい命が生まれておりますが、その子供たちとて、みな未入信の状態で生まれてくるのです。

未だ「純真・確実」の信心に至らざる残りの人々に対する折伏教化の修行は、まさしく御書の文字通りに全人類が「純真・確実」な信心に至る日の来ることを大目標としながら、末法万年にわたって、続いていくものなのです。



Last updated 2012.05.25 19:40:46

これこそ魔の通力である。

とあるビルで、そこに商売繁盛の札を貼ってました。その札貼っても、商売繁盛にならず結局はがしたところ、去年の震災で水道管破裂し、部屋全てが使えない状況になった。

その後、火事になりやっと復旧したが、幽霊騒動があった。

お札を剥がしたからか?という迷信をいう者もいました。

そもそも、神や仏って罰を与えません。こういう現象を作る事で魔が苦しめるために、働くものです。

不幸のどん底に落として喜ぶのが、魔です。

もし、お札をまた貼ったら商売繁盛になって、その後また何らかの不幸のどん底に落としていくのです。


Last updated 2012.05.25 17:06:00

2012.05.23

公開詰問状及び公開法論





【公開詰問状 及び 公開対論申込み】

                    浅井昭衛殿

                  法華講員 樋田昌志




1 公開詰問状

【主題】

貴殿が 『日布上人大幅御形木御本尊』 と称する"本尊(もどき)について


【結論】

貴殿もしくは貴会顕正会等が作成した完全な偽物と断ずる。


【理由】

貴殿の証言

▼ 『顕正新聞』昭和60年3月15日号

「松本尊能師には私の意をよくお聞き下され、自ら護持されていた大幅の常住御本尊七幅と、日寛上人書写の御形木御本尊数百幅を私に託して下さった。この七幅の常住御本尊とは、二十八代日詳上人・五十四代日胤上人・五十五代日布上人・五十六代日応上人・六十代日開上人・六十四代日昇上人等の歴代上人御書写の御本尊であり、このうちの日布上人書写の御本尊が高知会館に御安置されたのである。」


● この時貴殿は、手に入れた(もしくは奪取したか?)本尊を、ここまで詳細に、得々と述べているにもかかわらず、標題の『日布上人大幅御形木御本尊』と称する"本尊"には全く言及していない。

更に貴殿は


▼ 平成5年6月15日 松本日仁元住職第17回忌法要における浅井会長講演

「尊能化は、『妙信講が広宣流布の御奉公をするのに、御本尊がなければ困るでしょう』とおっしゃって、日寛上人の御形木御本尊を大量に、私に託して下さった。実は昭和四十一年以降、宗門では末寺で授与する御本尊を、日達上人の御本尊に替えたが、それ以前の三十年代には、どの末寺でも日寛上人の御形木御本尊を授与していたのです。松本尊能師はその日寛上人の御本尊を大量に蔵しておられ、それを私に託して下さったのであります。そのほか、本部会館安置の御本尊を含めて、歴代上人の大幅の常住御本尊七幅も、お渡し下さった。」(顕正新聞平成5年6月25日号)


● とも述べ、日寛上人の御形木御本尊の数が「数百幅」では、全国の個人拠点の数からして矛盾が起きると想ったからか、「大量」にと、狡猾に言い換えてはいるが、大綱は前掲の顕正新聞の趣旨と同様である。
ここでも、標題の『日布上人大幅御形木御本尊』と称する本尊には全く言及していない。

ところが、


▼ 平成11年4月12日 本部指導会における浅井会長指導

「ここに、松本尊能化は、妙縁寺に所蔵するところの歴代上人の御直筆御本尊七幅、それから日寛上人の御形木御本尊、並びに日布上人の御形木御本尊を多数用意して下さったのであります。」(顕正新聞 平成11年4月25日号)


▼ 平成11年4月12日 本部指導会における実際の浅井会長発言

「ここに、松本御能化がですね、妙縁寺に所蔵するところの、歴代上人の直筆の御本尊七幅、それから、日寛上人のお形木御本尊、並びに、日布上人の大幅お形木御本尊を多数、用意して下さって、私に託して下さったわけであります。」


● と、突如、標題の 『日布上人大幅御形木御本尊』 と称する本尊が登場する。

昭和60年や、平成5年の浅井会長指導には一切なかった、「日布上人大幅御形木御本尊」の件を、平成11年になり突如言い出した。

これは誰が見ても、不自然であり、非合理である。

それまで、貴殿が「託された」という本尊のことを詳細に得意気に説明していたにもかかわらず、何故、平成11年まで、「日布上人大幅御形木御本尊」の件を黙っていたのか?
何故、公表できなかったのか。

これは、

「貴殿は昭和60年には、顕正会の将来の展望も予想も予見も予知もできぬまま、手に入れた本尊の事を得意気に説明してしまったが、後に建設されていく顕正会館に安置するための本尊に困り、貴殿が密かに独自に作成した『日布上人大幅御形木御本尊』なるものを誤魔化すために、後付けで、さも当初から入手していたように言い繕っているに過ぎない!」

と断じられても致し方のないことである。
また、事実多くの顕正会員はそのように貴殿や顕正会を疑い、多数脱会しているのである。

もし、「そうではない!日布上人大幅御形木御本尊は間違いなく日蓮正宗妙縁寺に所蔵されていた本尊である!」と、当方の追求を否定するのであれば、即刻、日蓮正宗宗務院に確認し、「日布上人大幅御形木御本尊」とやらが、日蓮正宗の正統な経緯を経て作成された本尊であることを証明して見せよ。

それができないかぎり、当方は

「顕正会館安置の本尊は、浅井昭衛氏が勝手に作成した不当なニセ本尊である。」

と糾弾し続ける。




2 公開法論申込み

上記1 『日布上人大幅御形木御本尊』 と称する"本尊"(もどき)に 関して、当方は浅井昭衛氏に公開法論を申し込む。

貴殿は、かつて日蓮正宗・御法主上人(当時)日顕上人(現御隠尊猊下)へ、稚拙な駄文を送付し、法論を申し込んだが、その内容たるや一読噴飯、再読抱腹絶倒の愚昧さである。
このレベルの駄文に、教学絶倫の日顕上人がお相手する必要など微塵もなく、青年僧侶邪義破折班が、詳細に完膚無きまでに微塵切りにし破折されており、少しく日蓮正宗の正統教学を学んだ者がこれを読めば、誰でも貴殿の邪義が悉く粉砕されていることが知れるのである。

自称冨士大石寺顕正会会長浅井昭衛の
最後に申すべき事"を砕破す

 浅井昭衛の欺瞞の悪書最後に申すべき事を徹底して破折
 過去より現在に至るまで、顕正会員を欺いてきた浅井昭衛の悪行を、悉く白日の下にさらした顕正会員必読の書。 
(平成17年11月7日浅井昭衛に送付)


 【過去二度の浅井昭衛に対する破折】
御法主日顕上人猊下に対する浅井昭衛の不遜なる「対決申し入れ書」を破折す
(平成17年4月1日)
自称富士大石寺顕正会会長浅井昭衛の「重ねての対決申し入れ書」の悪義を破折す
(平成17年5月4日)





しかも、貴殿から、この破折班の論文に対して反論は全く為されていない。
つまり頬被りを決め込んだままである。


しかも、無知な会員達には、「日顕管長が対論から逃げている」等と喧伝し、蒙昧な会員達は、現場で法華講員から破折されると、全く反論不能になり
結局は
「トップ同士が法論すればいいじゃないですかぁ。日顕管長が逃げているんじゃないですかぁ。末端があれこれやってもしょうがないじゃないですかぁ・・」
などと囀って、トップ対決などという貴殿が仕掛けた荒唐無稽な"猿芝居"へ頑迷に逃げ込むのである。
実に卑怯・卑劣・臆病この上ない惨めな醜態を晒している。


そもそも、貴殿如きの教学レベルなど日顕上人ほどの教学の大家が相手にする立場でもない。
貴殿は、"顕正会のトップと宗門のトップとのトップ同士の対論。。"などと思い上がっているかも知れないが、それは己の立場を弁えない全くの自意識過剰、慢過慢と言うものである。


顕正会会長である貴殿から送付された「質問状」には、既に日蓮正宗宗務院として公式に青年僧侶邪義破折班が対応し、木っ端微塵に粉砕し尽くしているのである。
つまり、日蓮正宗としては、顕正会及び貴殿に対して公式に対応しているのである。
貴殿こそ、日蓮正宗から公式な返答である破折文書に全く対応できていないのが現状である。


既に日蓮正宗宗門として公式に反論し、破折し尽くしている一介の"ただの謗法者"に、なんで態々一宗の管長猊下がお出ましになる必要があるのか。


日蓮正宗から破門された一異流儀の団体の責任者からどのように法論を望まれたとしても、日蓮正宗として直ちに一宗の責任者が対応する責務など全く存在しない。
日蓮正宗としては既に公式に貴殿に対応しているのである。


一般的にも、社会的に立場ある団体に、ある与太者が「責任者を出せ!」などとイチャモンをつけたとしても、それに対して一々最高責任者が対応しなければならない道理などある訳がない。
当然、しかるべき担当者が対応することが世の中の常識である。


貴殿らは、日蓮正宗から正式に『破門』された謗法団体なのである。
貴殿は長い大謗法生活のせいで、このような一般的な常識すら全く理解出来なくなっているのであろうか。
真に大謗法の悪果報とは恐ろしいものである。


社会的に正当な手続きから言えば、貴殿が日顕上人との法論を望むであれば、まずは、日蓮正宗宗門としての担当者である青年僧侶邪義破折班の論文に再反論してみよ。


それもできず、自分のレベルも省みずに息巻くでない。
つまり、日蓮正宗最高責任者(当時)日顕上人から見れば、貴殿などただの与太者・一痴犬に過ぎないので相手にさえしてもらえないのである。
実に惨めな醜態である。


己の分際を良く理解することが正しい信心の果報である。
よくよく心に刻むべきであろう。



さて、本題であるが、当方は標題の
『日布上人大幅御形木御本尊』 と称する"本尊"(もどき)について
貴殿に法論を申し込む。



貴殿がこれを受けなければ、貴殿ら顕正会員が嘯く
「日顕管長が臆して対論から逃げている。」
との戯れ言はそのまま貴殿自らが受けかぶることになる。


貴殿が、当方を「無位な一痴犬」と蔑んで、法論から逃げるとするならば、
貴殿自身も、日顕上人から見れば「ただの異流儀の与太者・一痴犬」程度であるから、相手にされないのと同様である。


貴殿がそのような言い分で「当方を相手にしない」というならば、貴殿自身も、日顕上人から同様の理由で「相手にする価値なし。」と言われたとしても言い逃れができない理屈である。


しかも、貴殿が潔く対論に臨み、『日布上大幅御形木御本尊』とやらの正統性を万民が納得し得る形で証明できない限り、当方は当該本尊を、徹底的に『ニセ本尊』として糾弾し続ける訳である。
貴殿にしてみれば当方はまさに"大謗法者"ということであり、これを「見て置いて呵責しないのは仏弟子にあらず。」
貴殿こそ大聖人様の弟子などと名乗る資格などないこととなる。


であるから、急ぎ急ぎ返答せよ。


もし、対面対論が恐ろしくてできないというのであれば、文書に依る反論でもいいから企てよ。


貴殿の潔い対応を心より望む。


返答期限は○月○日とする。(※実際に内容証明書を送付する日から換算し、無理のない日時を設定する予定)
有に一ヶ月以上ある。
返答するには十分な期間であろう。


以上

http://ameblo.jp/t-rex935/entry-11258924763.html

私も顕正会員と何回も折伏してきましたが、同じように言います。日蓮正宗邪義破折班の本を見せると、反論不能で現証だ~と、莫迦の一つ覚えとはこの事と言わんばかりに騒ぐ。

私は、100パーセント浅井さんは逃げると思います。このブログは、顕正会本部も見てるようですので、この法論が実現する事に期待しております。







Last updated 2012.05.24 03:46:09

国際的に見ると、日蓮正宗の信仰は普通では?

 日本を旅行しているフランス人のブログ「Le Petit Monde de Charles, Michele」では、日本の宗教事情について、訪問した寺社や神社での体験をまじえながら紹介している。

 筆者は、日本では神道と仏教が主な宗教となっていると紹介。フランスや欧米諸国では個人が宗教に属する場合は基本的に1つであり、ほかの宗教施設を利用したりすることはほとんどない。

 しかし日本では、結婚は神道の神社で行い、死亡してからは仏教のお寺にお墓をもつケースもあり、2つの宗教がほとんど一体となって日本人に親しまれている独特の宗教観を紹介している。

 神道と仏教はそれぞれ、自然や祖先、家族を敬うことを教えているが、これは日本人の生活に浸透しているようだとの見方を伝えている。訪れた寺院の内部が、むきだしの木の柱で組み合わせられていた様子を写真を掲載して紹介。自然の素材をそのまま使うことで、自然への敬意を表しつつ、シンプルな美しさを併せ持ち、また地震などの自然災害にもうまく対応できる合理性もあると、好印象をつづっている。

 またほかに、訪れた神社の手水舎で手や口を清める参拝者の姿や、さい銭箱、おみくじ、そして仏教寺院の東大寺大仏殿では、柱の穴をくぐる子どもの姿など、両方の宗教の様子を伝えている。

 2つの宗教をほぼ同等に扱い、行事などに参加する日本人の独特な宗教観に、関心を抱いている様子がうかがえる。(編集担当:山下千名美・山口幸治)

mixiのニュースより

日本人の宗教観は、異常であると感じる。生まれてから、神社でお宮参りをし七五三をやり、初詣をする。結婚式は近年キリスト教式をやり、法事や葬式は仏教各宗派である。

それで、自分自身の宗派は?と聞くと、わからない。知らない。興味無いと言う。

国際的に見ると、日本の宗教はごちゃまぜと思えるであろう。

信教の自由だからと言うのもいるだろうが、そういう者は、基本的に宗教を全く理解していない。知ったかだと思う。以前の私がそうだった。宗教は自由だ。何でも一緒。でも、その宗教の影響って出るわけです。それをきちんと、わからないとならないのです。

私達の信仰は、国際的に見ると正当な宗教となる。全ての行事は、日蓮正宗寺院で行われるのである。

日蓮正宗海外布教が、進んでいるがその理が、一宗教でありその宗教がもっとも優れているという事であろう。










Last updated 2012.05.23 19:44:24

2012.05.18

大石寺の格の違い。

さて、創価学会ではいまだに荒れ寺という悩乱しきった末期症状の学会員が一部おりますが、大石寺あその敷地の広さは言うまでもなく、総門(黒門)、三門、五重塔、塔中と歴史ある建物他に、客殿や奉安堂といった近代に建てられた大建築物もあります。顕正会にいたっては、冨士大石寺顕正会と自称しておきながらも、全く大石寺を知らない有様である。


さて、幕末の土佐藩では、其の士族に於いて、厳格な差別が布(し)かれてた事は、よく知られている
所ではあるが、其の群像の中で、藩主の山内容堂、勤王党の武市半平太、そして脱藩した坂本竜馬な
どが、小生としては強烈な印象として残っている。

して、其れらの群星を輩出した土佐の高知の桂浜には、次の様な歌碑が自然石の側面に刻まれている。


    見よや見よ みな月のみの桂浜

      海のおもよりいづる月かげ


本より、此の歌こそは、明治の詩人、大町桂月(1869~1925)が詠みし歌である。

其の桂月は晩年、各地遠方にまで足を延ばし、其の足跡によって、北海道の大雪山系に於いては
『桂月山』という、彼の名にちなんだ山などがある。

又、桂月は与謝野晶子とも親交があり、其の与謝野晶子の才能には一目を置いていたと云う。

して、其の文豪が、或る寺院を評して、こう述べたと云う。


『大石寺を見ずして寺を語ることなかれ』と。


うむ。今にして応に桂月の云う通りであろう。

本より、現在の70ヘクタール(21万坪)にも及ばんとする曠大な寺領は、戦後の農地解放令により、
其の敷地の大半を失った後の面積であるから、其の当時からすれば、桂月の心肝を圧倒するは当然の
事であろう。因みに70ヘクタールとは、東京ドーム約15個分の面積である。

而して、桂月は、其の寺領の広さのみを感嘆して評したものではなかろう。

当時、大石寺内には16の塔中が建立されていた由。つまり、桂月は、其の大石寺境内の整然とした
偉容を感じ取ったが故に、上記の様な評論を残したのである。まして其の整然たる偉容が、霊峰富士
の美形を戴くともなれば、尚更(なおさら)の事である。

尚、創価外道の阿呆な小会員などが、明治7年から同18年まで、大石寺は荒寺であった、などと言
っておる様だが、16の塔中は、すでに明治3年から成っており、又、桂月が論評せしは、明治18
年(桂月が16歳)以降の事であるから、荒寺云々などは、的の外れた何時もの創価外道の醜弁に過ぎ
ないのである。哀笑。ったく、どうしようもない連中ではある。

して、富士大石寺に於いては、桂月が讃嘆した、其の偉容なる寺領もさる事ながら、もう一つ誇れる
ものがある。其れは『寺紋』である。

何故に誇れるか。例えば其れを、一致派身延の寺紋と比べてみよう。

云うまでも無く、我が日蓮正宗の寺紋は『三枚亀甲五三の桐』である。

本より「五三の桐」とは、天皇家の紋であり、「亀甲」は日興上人を表すものである。

して「鶴丸」は母君(梅菊女)の実家の家紋であるとも云われ、其れをして大聖人の御紋と為すならば、
応に『鶴と亀』をして万年の吉紋と相成るのである。

果たして『鶴』と『亀』、そして、日目上人の御紋が『松竹梅』ともなれば、応にこれ大吉の三紋と
成るのであり、『松竹梅』の『松』には『鶴』、そして『桐』には鳳凰が住む事からして、まこと、
縁起の良い寺紋となるのである。尚、平成新編日蓮大聖人御書の裏表紙には『亀甲五三の桐』が刻印
されている。

さて、一致派身延の寺紋と云えば『井桁二橘』であるが、これは、大聖人の父君が貫名重忠であり、
其の貫名氏は、井伊氏の支流である所から、井伊家の家紋である『井桁に橘』を身延の寺紋にしたと
しているが、其の出目の経緯は明らかではない。其れよりも、徳川家康の四天王である井伊直政が、
日蓮宗に帰依した事が寺紋に繋がったという説が有力とも云われている。尚、一方で身延の定紋は
『牡丹』であるとも云うが、本より『井戸』と『橘(たちばな)』と『牡丹』では、其の組み合わせから
して、我が日蓮正宗の寺紋に敵(かな)うものではない。

さても、一致派にして、其れら地味な寺紋では敵わぬから、紫や赤や緑の袈裟を纏って呪文を唱える
とでも言うのであろうか。小笑。其れならば納得もしよう。小笑

兎も角、我が宗門が『五三の桐』であれば天皇家。身延が『井桁二橘』であれば井伊家である。

最早、其の差格は歴然ではないか。

江戸の歌集に云く『武家の身延に 公家の富士 石山禁裏の 御用達』と。

本より「石山」とは富士大石寺の事であり「禁裏」とは、天皇が住む宮中の事である。

而して、富士大石寺の黒門こそは、天皇勅許の証しである。

そう云えば、本門戒壇の大御本尊を御格護奉る、奉安堂の竣工式祝賀会に於いては、昭和天皇の
御皇孫である、東久邇信彦王が御臨席して祝賀を述べられ、徳川慶喜公の直孫、徳川康久氏が乾杯の
御発声を執り、四條家、近衛家からも御縁戚が出席され、又、加賀前田家十八代当主・前田利祐氏
からは祝電も届いたる由。

はてさて、外道バラモンから表彰を受けて満悦する、何処(どこ)ぞの新興教団のお偉いさんとは、
其の意義からして大違いの様相である。応に格式とは此の事を指して云うのであろう。

恩師が云く『だから、身延には広宣流布する資格がないということが、はじめからわかっている。
ましてや、この頃できたてのニセ日蓮宗などはあるわけがない』と。

本より『この頃できたての偽日蓮宗』とは、池田太作が作った『日蓮世界宗』も含まれるのであり、
恩師からして、其れらは『ニセモノ』であるから、拝む本尊も『ニセモノ』と成るのである。

重ねて云く『大石寺を見ずして寺を語ることなかれ』と。

最早、お前ら創価外道に於いて語れるものは、池田の勲章と表彰状しかないのであろう。
応に其れこそは、身延の高僧が身に纏う色袈裟の其れと同じ発想ではないのか。少しは『恥』という
ものを知りなさい。

何、語れるものがある、とな。何、其れは八百万世帯の陣容である、とな。

鼻笑。其の様なモノ、我らからして自慢にもなりはせんぞ。

日蓮大聖人が曰く『世間・出世善き者は乏しく悪き者は多き事眼前なり。然れば何ぞ強(あなが)ちに
少なきをおろかにして多きを詮とするや。土沙は多けれども米穀は希(まれ)なり。木皮は充満すれど
も布絹は些少(さしょう)なり。汝正理を以て前(さき)とすべし。別して人の多きを以て本とすること
なかれ』と。(新編 402ページ)

哀。

邪義に対する諌言者を排除し、其れらを裏切り者として罵倒する洗脳組織に、何の数が在ろうや。
其の様なモノは、すべて烏合の衆である。仍って、大聖人は正理を以て前(さき)とすべし、と御教示
されたのである。

所詮、三色アヒルの子は三色アヒルであり、其れこそは、身延の『牡丹』と同じものであろう。

本より其の正理からして『鶴』と『五三の桐』には敵わないのである。

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以上、【破邪の欄室】から転載。
http://6238.teacup.com/tsurutaro33/bbs/44197



Last updated 2012.05.18 19:31:48

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