リアルってなんだ?
何かにつけてよく聞きますよネ?例えば、「この小説は現代の女子高生の実態をリアルに描いている」だとか、「あの映画の某と言うサラリーマンはリアルすぎて笑えない」だとか。うーん、リアルってなんだろう、って思うんですよ。ずばり言うと、我々がリアルだと思っていることは実は「擬似リアル」なのではないか。リアルな女子高生の映画を撮りたければ、適当に街を歩いている女子高生にカメラ渡して、「2時間、カメラまわしっぱなしでいてね」なんて言いつけて、2時間後に回収したものを映画館で垂れ流せばいいだけの話です。でも、そんなただ女子高生の2時間をお金を払って見たいかね?……あー、例えが悪かった。ただの女子高生の2時間でも商売になるような気がする。ぢゃぁ、40代のサラリーマンにしましょうか。普通のおっさんの2時間なんてお金払って見る価値があるのかね?つまり、リアルに徹したければ上に書いたようにランダムに選んだ誰かにカメラを渡して2時間まわしっぱなしにしてもらうとかすればいい。それに加工が入った時点でもうリアルではないのではないか。加工上カットした部分も実情なのであって、それを「ふさわしくない」と切り捨てた時点で100%のリアルさは消えますよ。つまり、ノンフィクションに見せかけたフィクションということになる。もっとも、ここではリアル=ノンフィクションという前提がないとそれは成立しないけど。野口英世の伝記なんかもそうですね。やっぱり、努力の人、不屈の人というイメージがありますけど、実際はかなり女遊びが激しかったらしい。アメリカへの留学費用をカンパしてもらったものの、それで飲み食いや女遊びに浪費してしまって、スッカラカン。仕方なくまたカンパしてもらったという逸話があります。もし、野口英世を「リアル」に描きたいのならこういった一面も省かずに撮って欲しい。これこそが野口英世の人間性を「リアル」にあらわすエピソードですから。でも、こういった部分はカットされるんでしょう。「リアルに女子高生の実態を描いた」というのは、おそらく観衆の「現代の女子高生はこうあってほしい」という願望を良くも悪くも描いたものでしょう。仮に「本当の女子高生は、普段ナイフを持ち歩いていて肩がぶつかっただけで刃傷沙汰になる」のが真の実情であったとしても、それが一般観衆の願望にない、もしくは要望になければ、「リアル」として映らないのだと思います。要するに、私の頭の中には「フィクション」と「ノンフィクション」という括りはあっても、「リアル」という考え方はないんでしょう。「リアル」を肯定するとしても、その定義を決めるのに四苦八苦している。だからこんな日記を書いてしまうんだ。うん、きっとそうに違いない。※今回の日記はナンダカワカラナイ…