17年前の会社へ
そこは大阪市の地下鉄四つ橋線肥後橋駅を降りて南に向かったところに今もありました。一応、昔の場所のままあることは電話をして確認していたのですが、肥後橋駅付近のはすっかり様変わりしており、3年間通った会社にたどり着くのに、「方角間違って無いよな?」「たしかこの辺で曲がったはず」と思いながら歩いて行きました。京町堀界隈もなにか洒落た雰囲気の町になっておりビックリしました。たどり着いた会社は当時のままで、おそらく戦災に焼け残ったと思われる古い建物は、今となっては風格すら感じさせるビルでした。新入社員として働いていた当時は、そんなことをちっとも思ったことはなく、スーツを着込んで満員電車に揺られボロッちいビルに出勤する日々で(社員の方ごめんなさい)、自分の働いている建物をマジマジと見ること当時はなかったように思います。 中に入ると、デザイン関係のテナントでもはいったからか、照明などもきれいに改装され、いい雰囲気でした。上の階に上がり我が(今は我がではないが)会社は改装されず、グレーのペンキ塗り板扉や丸い真鍮製ドアノブまで当時のままで、なにかホッとしました。ノックして扉を開けると、まず受付兼経理の女性社員が「いらっしゃい~~」と出迎えてくれました。この人ほんと当時のままで、「おはようございます」とタイムカードを押しそうになったよ。次に社長に挨拶せねばと、振り返っても社長室がありません。当時技術部長だった人が社長になっておりましたが、一般社員の方と机を並べて仕事をしているのに驚きました。僕が社員だった頃は、会長室、社長室、部長室など、一応仕切られていましたが・・・。そのことを社長に言うと、「時代が違うよ」と笑っていました。長い不況、特に建設業界には厳しかっただろうと勝手に想像しました。その後、懐かしい方々と趣味の話、業界の話などしました。Mさんは僕のこれからについて、真剣にアドバイスをしてくれて、ほんとうにうれしかったです。「オレは自分が設計したものが後々いい仕事をした」と思えればえそれでええんや」と、ちょっとキザでしたが、心にぐさりときました。17年たっておりますが、皆さんあまり変わりなく、僕のほうが白髪が増えて、老けた様に思いました。一番変わったのは、当時何台かあったドラフターという製図を書くレール付きの机が一台もなく、青焼き機もなく、パソコンのCADで図面を書いていることでした。想像はしていましたが、一台ぐらいはあると思っていました。僕が新入社員の時は、設計図面独特の数字や文字を書くのがヘタクソで、何度も練習させられましたが、今、そういうことは無いのですね。ちょっとうらやましかった。ともあれ、厳しい不況のなか、会社が生き残ってくれていたことはありがたいことだと思います。自分にとっては故郷がのこっているようなものだもの。皆さんこれからもがんばってくださいね。