子孫のために原発を正当に評価せよ
中電浜岡原発の運転差し止めが認められませんでしたが、電力会社が住民の原発アレルギーを軽視すれば、原発の運転に支障を来しかねません。東海地震は必ず来ますから、地震対策を万全にするのが企業としての責務だからです。 日本人の核アレルギーが原子力の平和利用を妨げている面はありますが、企業の情報隠蔽体質が不安を増幅している面もあります。7月の新潟県中越沖地震による柏崎原発事故でも、東電の危機管理のミスが風評を拡大させました。 冷静に判断すれば、想定を遙かに超える揺れに対しても炉心緊急停止装置が正常に機能したのですから、原発の安全性をアピールできる機会になったはずです。不必要な事故隠し、情報隠蔽が原発に対する不信感を増大させたのです。 原発には事故はつきものですから、電力会社は原発神話から離れなくてはなりません。原発神話を守るための事故隠しが、電力会社に対する根本的な不信感を生み出しているのです。原発を神話の世界から科学の世界へ戻すべきです。 原発は炉心が停止していれば、単なる工作物に過ぎません。原発から放射能は必ず漏出しますから、量が問題なのです。原発の建設当初から放射能が漏れないかのような虚偽の説明をしてきた付けを企業が払わされているからです。 最近は環境汚染が心配されない量の放射能漏出は公表されるようになりましたが、想定外の数字は公表されないと思われています。企業が事故隠しをしていると確信されていますから、原発関連事業の立地の目処が立たないのです。 高知県でも地元住民が放射性廃棄物の最終処理場の立地を拒否しましたが、原発アレルギーが公正な討論の場を奪い、住民の反対運動に結びつきました。地元住民の判断は神話の世界から出ず、科学の世界とは無縁な判断でした。 日本人の常識的な判断基準からすれば、東洋町民の判断は妥当だと思いますが、原子力抜きのエネルギー政策は不可能です。原油が1バレル100ドルを超す日も現実化してきましたから、社会を脱原油化するのが喫緊の課題です。 原発の安全性以前の問題として、企業、特に電力会社のコンプライアンス欠如があります。経営トップでさえ事故隠しの責任を取らなかった企業を信頼できないのが当然です。電力会社は無責任体質、官僚体質から脱却すべきです。 エネルギー資源のない日本は原発大国フランスを見習うべきです。原発が電力の過半数を供給すれば、炭酸ガスの排出量を激減させられます。地球温暖化により地球環境が激変するまでには、残された時間はあまりないからです。 化石燃料から電力を造り出すのは限界に来ています。自然エネルギーから大量のエネルギーを取り出せない間は、原子力に頼るしかありません。原発は地球温暖化対策の切り札ですから、子孫のためにも原発を冷静に評価すべきです。 ゴア元副大統領がノーベル平和賞を受賞しましたが、世界はアメリカの地球温暖化対策に注目しています。大統領候補の公約に期待しています。日本ではコップの中の嵐が吹き荒れていますが、今こそ国家百年の計が必要な時です。