色々ある・・・
命のカウントダウンと向き合う@アンディ4時ごろもうだめか?という感じに体に力がなくなってグニャグニャ階下に運べないくらいな状態で座布団担架で運んで来たしばらく昏睡状態が続いた 超激しい痙攣で部屋中転げまわる勢い抑えはきかないし 止められない迫力!!眼はカッ!っとこぼれそうに見開いている心音はしっかりしている・・・これまでか? 少し落ち着いた時 抱きかかえ擦ってたらカパッ!っと立ち上がり 突然徘徊&ヘッドプレス1時間余り先日百箇日を迎えたヨーキーのきーちゃんより細いところに入り込んでしまい 出すのに一苦労・・・で行き倒れたところがブラッキーのご飯食べたそうにしてたので到着したばかりの新製品あげたら結構舐めた口の自由が利かなくなって来始めているので 誤嚥しないように付きっ切り・・超復活劇の後また 今 行き倒れてる そしてまた徘徊・・・お前は不死身だよ!!・・・と笑ってしまったが 目下特技は徘徊 目が離せない「猫返し神社」に全国から参拝客、山下洋輔さんの愛猫も「帰ってきた」…境内にはピアノの調べ 読売新聞オンライン 7/4(火) 10:31配信【以下転載】東京都立川市砂川町の「阿豆佐味天神社(あずさみてんじんしゃ)」は、ある別名で多くの猫好きに知られ、たくさんの参拝客を集めている。その名は「猫返し神社」。どうしてこのように呼ばれるようになったのだろうか。「一日も早く家に帰ってきますように。家族みんなで待っている」。境内の絵馬掛けには猫への呼びかけや神様への願いが並ぶ。その一方で、「帰ってきました。ありがとうございました」「ずっと一緒に暮らせますように」と、喜びと感謝に満ちた絵馬も交じる。 この神社は、飼い猫が家出をするなど行方不明になった時に、お参りしたり、絵馬を奉納したりすると、不思議と戻ってくるといわれている。そのため、「猫返し神社」と呼ばれ、神頼みをする人が全国からやってくる。 神社の創建は寛永6年(1629年)とされる。砂川地域の総鎮守として、お宮参り、七五三、安産、厄除けなどで、参詣する人も多い。 「猫返し神社」と呼ばれるようになったきっかけを作ったのは、同市在住の世界的ピアニスト、作家の山下洋輔さん(81)。三十数年前、長老猫の「ミオちゃん」が姿を消した。 17日間、近所を探し回っても見つからず、自宅から2キロほど離れた阿豆佐味天神社で、ワラにもすがる思いでお参りすると、「翌日朝、台所のドアでニャーと鳴いていた。驚きましたね」と振り返る。 その後も飼い猫がいなくなるたびにお参りすると、無事に帰ってきたという。「あそこは『猫返し神社』だ、とエッセーなどで書くうちに、愛猫家の間で話題になって」と山下さんは語る。お礼に雅楽「越天楽」を演奏、録音して奉納した。ピアノの調べが今も境内で静かに流れている。 「猫返し神社」の名が広まるとともに、行方不明の猫を心配する相談が増えたことから、神社では「猫返し」専用の絵馬を製作した。権禰宜(ごんねぎ)の宮崎泰秋さん(49)は「お参りの最中に『帰ってきた』と電話が入った人もいましたね。今では全国から絵馬の郵送依頼が届きます」と話す。コロナ禍で移動が難しい時期には特に多かったという。宮崎さんの手には、無事の帰宅がかない、感謝の気持ちをつづった北海道と岡山県からの手紙があった。「御利益の源? まさに『神のみぞ知る』ですね」地域ではもともと、猫に対する親近感が強かったという。多摩地域はかつて、養蚕が盛んだったため、蚕にとってネズミは大敵。立川市の郷土歴史家で花卉(かき)農家を営む鈴木功さん(93)は「ネズミにかじられてしまった繭は半纏(はんてん)の綿代わりにするぐらいしか用途がなかった。農家では天敵のネコを飼ったものだ」。往時についてそう語る。 養蚕が栄え「桑都」と呼ばれた八王子市の郷土資料館で所蔵する「だるま抱き猫」は同市高月地域に伝わる縁起物。学芸員の美甘(みかも)由紀子さん(48)は「猫好きの作り手の気持ちが伝わってくるよう」と語った。 青梅市内でも、常保寺の「猫地蔵」や、住吉神社の「阿於芽(あおめ)猫祖神」、恵比寿、大黒猫像など、古くからの猫への愛着を物語るスポットが多い。 実は、阿豆佐味天神社境内の社(やしろ)のうち、愛猫家が訪れるのも、養蚕の神をまつる「蚕影(こかげ)神社」。宮崎さんは「猫への愛着が強い土地柄のもとで、これからも飼い主さんが癒やされる場所を提供していきたいと思います」とたくさんの絵馬を見守っていた。【転載ここまで】まずは猫に逃げられないようにしっかり逃走防止を心掛けて頂きたいしかし猫は思いもかけない脱走をするそんな時は神頼みも心のよりどころになるのであろう・・・と