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カテゴリ:熱闘広辞苑
「誓い」
近い、地階ではなく誓い。 ここでおもむろに元祖広辞苑なんてひいてみましょう。 ちかい【誓い】チカヒ 1:神仏に、ある事にそむくまいと約束すること。願(がん)。がんかけ。 2:衆生(しゆじよう)を救おうとする神仏の誓願。 3:ある事を将来必ず履行しようと他人や自分自身に堅く約束すること。また、その言葉。 (岩波書店刊『広辞苑』第五版より一部抜粋) まあ要は、必ずしますよ、と約束することですよね。 単なる約束と違うのは神様とかを引っ張ってきて「必ずします!」という決意を見せてるところですね。 この中で私が理解できるのは1と3(2は若干宗教がらみか?)。 1は・・・キリスト教風(式、ではない)の結婚式とかで神父さんか牧師さんに促されて「はい、誓います」とか言うアレですね。 神前式とか仏式も同じことしたっけ・・・仏式はいまだかつて見たことがないんですが、神前式は・・・やっぱ神さんの前で酒を酌み交わすという動作で↑の「はい、誓います」と同じことをしているんやろか、と思ったり。 まあそんなかんじで結婚なんかしてしまうと、離婚ってことになると神をも恐れぬ行為とかなっちゃうわけですねー。ひー。 最近大流行しかけの熟年離婚とかに該当する世代の人たちなんて、日本古来の八百万の神々との約束を反故にしちゃうってわけですね。ひー。 ・・・ってまあそんなこと本気で思ってるわけじゃないですが、私。 まあ神さんの前での誓いなんてそんなもん?ってかんじですかね。 ああ、そういえば、アメリカとかって大統領とか就任するとき、聖書に手を当ててなにやらぶつぶつ言いますよね。 あんなの見てると、「政教分離」をやってない先進国もあるもんだな、と思ったりして。 (注:私は政教分離賛成派です。) キリスト教圏にある所謂西側の先進国では、まあまずほっとんど有り得ないだろうことですが、もしムスリムが大統領とかの指導者になったらどうするんでしょうね。 宣誓のときの「聖書」は、やっぱコーランが使われるの? 仏教徒だったら?般若心経とか?(苦笑) 多分かの国の方たちはそんなこと一度も考えたことがないかもしれませんが。 外側にいる者としての素朴な疑問、でした。 というわけで(どういうわけだ)、私個人的には神仏の前で立てる誓いよりも自分自身に立てる誓いのが強いんでは、と思ったり。 別に自分の中で「私は~~することを誓います!」なんていってるわけじゃないけども、「●●歳までにはこうなってるぞ」とか「将来、絶対△△するぞ」とかって心の中で思うことってあると思うんですよね。 誓い・・・というかむしろ目標ってかんじですが。 自分にそう言い聞かせていると、それが達成されていない状態っていうのは非常にストレスがたまるわけであり、なんとか自分の野望(笑)を達成させようと頑張るわけですよ。 もちろん全てのことが思い通りに行くわけがない、というのが人生なわけですから、うまく行かなかったときは、そういう思し召しだったんだ、とかって自分の中で整理をつけるわけですが。 でも努力したら何とかなるってこともありますよね。うん。 というわけで私の最近の「誓い」は・・・ これ以上体重を増やさず、むしろ留学中の体型に戻す。 だったりします・・・。 でもこれが結構難しい。とほほ。 第17回:「ち:誓い」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006/10/16 11:29:06 AM
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