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テーマ:地震情報(629)
カテゴリ:たこちゃん地震日記
八ヶ岳南麓天文台から公開されている、「南関東圏の大型地震の可能性(1375前兆)が話題となっておりますが、本日発表された情報No.1397によれば、発生時期が6月初旬となる可能性もあるとのこと。
同天文台の地震予測の発生時期は、地震の前兆が最初に現れてからピークに達するまでの時間と、前兆のピークから地震発生日までの時間の比についての経験則から推定されていますが、今回は初現時期の見積を誤ったために推定時期の失敗が確実だという見方を示し、新たなに3つの推定時期について提示しております。 同天文台の推定時期の公表方法については、過去もこのように先送り先送りして修正された例を見ています。前兆シグナルの見方や評価の仕方が非常にセンシティブなことは容易に想像されますが、受け止める側からすれば何か割り切れないものを感じるはずです。 しかも、現在のように推定期間の最中でまっただ中、予測期間が終わらぬうちに、別なかたちの予測を半ば並列的に提示されるのはいかがなものでしょうか。この種の予測公表の重みを認識すれば、いったん出した情報はしっかりと見届け、仮に何の対応地震活動が無かったとしても、予測の過ちもしっかりと認め、その上で新たな見解と予測を提示するのが筋ではないかと思うのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
串田氏の公表は常に参考にしてます。また他の方々の見識も参考にしてます。自信、空を見て常に雲の様子も見てます。おかげで、少し心の準備や、備蓄の準備が少しづつですが、日々の備えとして機会ある度に安売りの水とかラーメンとか、ご飯とか行ってます。
この様な方々の見識や予知を如何受け止めるかは自由と思うし、少なくとも発言に対して責任が如何のこうの言うのは? 疑問に思います。 自分を、家族を、その他大切な物を如何守るか考える上での参考と思えば役に立ちます。 (2005年05月31日 12時52分30秒)
串田氏も書かれていますが、「予報」です。
従って、逐次新情報を基に更新されてあたりまえ。 理論がそれなりにあり、ある程度のシミュレーションが可能な台風情報でさえ、台風の予想進路は逐次変化します。地球も動けば、観測する側が発見する事実も時間とともに変わる。予報は常に更新されてあたりまえ。更新されない予報は逆に精度が上がりません。 予報を出す人も受ける人も、感情を持ち込んではいけない。受けてのレベルが上がらなければ、発信される情報のレベルも上がらない。 本件に関しては、情報発信者に感謝こそすれクレームを付けるのは筋違い。 と思う。 (2005年05月31日 22時26分56秒)
当るまで更新し続けるのだからいつかは当るだろ。
だがその類は大抵肝心要は外すんだよ。 準備を促すなら誰でもやっているわな。 >少なくとも発言に対して責任が如何のこうの言うのは? 疑問に思います。 ほらほらそうやってすぐに自分達の発言の責任を回避しようとする。後ろめたい所、やましい所があるからそのような無責任発言を繰り返すんだろう。 そんなに自分達の発言に責任を負いたくないのなら、今後一切他人から金を取るな! 全部、自腹、自己負担で「研究活動」とやらを続けてくれ。 (2005年06月02日 21時38分35秒)
現状では的中率は低いんだし、ほんの参考程度にしかならないと私は考えています。狼が出た~、と同列に扱われても致し方ないでしょう。串田氏の予報は客観的に見て所詮その程度です。
言い続ければいつかは当たる、あてずっぽにでも言い続けている人の中には、偶然にも複数の地震を予知してしまった方もいる。個人的にはそんな感覚を持っています。 台風情報と同列に扱うのもどうなんでしょうか?更新することによってどの程度確率が上がるんでしょうね? それともう一点、予報する側が予報しっぱなし、批判も無しでは進歩は望めないのではないでしょうか? 憤るのは期待が大きいからですよ。悪意がある訳ではないでしょう。 (2005年06月02日 21時40分27秒) |