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環境・平和・山・世相 コジローのあれこれ風信帖

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2012年01月03日
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 いま、正月3日正午現在、東京箱根往復大学駅伝では東洋大の記録破りの快走が続いています。コジロー、今朝も夜明け前に県立図書館まで往復6kmばかり走ってきたのですけれど、そのペースに比べると倍以上早い。ま、彼らと比べること自体、おこがましい限りではあるのですが、100mを17秒前後で20km、マラソンならさらにその倍の距離を走り抜く第一線アスリートたちの強靱な体力には恐れ入るばかりです。

 さて、昨日に続き放射能を巡る悩ましい思索について。昨年夏あたりでしたか、放射能の被害をどう防ぐかが大きな話題になっていた頃、EMという微生物資材の効能が取りざたされたことがありました。いわく、EMが放射性物質を分解する、EMで農地の除染が出来る、EM入りの米のとぎ汁を飲めば内部被曝が防げる等々。

 EM自体は有機農業分野ではなじみ深い資材です。目に見えない微生物の世界だけにメカニズムの解明は不十分ですが、コジローの狭い体験の範囲から判断しても、良い堆肥を作るのに有効な資材であることは間違いありませんし、排水管や側溝などの臭気除去、放置すれば苔や藻がこびりつくプールの清掃などにも役立つことは確認しています。また、この資材は種となる菌さえ一度購入すれば後は自力で増やすことができるため、安価という点でも有機農家にとり非常にありがたい資材です。

 ただ、EMのこうした広範な有効性は積極的に認めるとしても、それがセシウムなどの放射性物質を分解すると言われれば首をかしげざるを得ません。そもそも今問題になっている放射性物質は原子であり、若干の注釈が必要ですが、基本的に原子は分解できない究極の存在であるからです。

 原子を「発見」したのは、紀元前400年頃の古代ギリシャの哲学者で人類最初の唯物論者としても知られるデモクリトスですが、彼はリンゴを限りなく細かく砕いてゆく作業から発想し、やがてはそのカケラが「これ以上は分割することできない究極の粒になる」としてそれを原子と命名、人間を含む世界のすべての物質はこの原子によって構成されていると考えました。電子顕微鏡などない時代のこと、デモクリトスの原子論は仮説に過ぎませんでしたが、それがすべての物質の究極的な構成要素であると喝破しただけで、デモクリトスの天才は輝いています。

 ただ、先に「注釈が必要」と書いた件ですが、放射性物質(正確には放射性同位体)はこの原子のなかの変わり種で原子核崩壊という現象を起こします。崩壊と言えば要するに分解ではないかと誤解されそうですが、原子核崩壊とは放射性物質の原子核が各種の放射線を出して崩れ、その結果、別の原子核に変化する現象であって、変わり種とはいえ原子核あるいは原子自体が分解されるわけではありません。

 ま、この話はそのあたりでいいのですが、かくして原子としての放射性物質は分解できないからこそ、「煮ても焼いても食えない」なんとも厄介な存在なのです。ダイオキシンや青酸カリがいかに猛毒といっても、これらは複数の原子がくっついた化合物ですから、例えばダイオキシンであれば炭素、水素、酸素、塩素の4種類のありふれた原子に分解することで無害化することが出来ます。しかし、放射性物質を無害化するには、いまのところ、原子核崩壊が終わるのをただ待つ以外の方法はありません。というわけで、除染とはつまり、放射性物質を別の場所に移動させることを意味するに過ぎません。

 前置きが長くなりましたが、といった次第ですので、「EMがセシウムを分解し農地を除染」といったツイートを見つけた際、思わず「あり得ないのでは?」とリツイートしたのでした。するとたちまち猛烈な反撃がやってきました。ツイートの限度の140字の範囲で追加説明を送ると、さらに激しい非難のツイートが間を置かず打ち返されてくる。

 ご親切にもここを読めとWEBサイトが紹介されていましたのでそれをつぶさに読み、また当地でEMを普及しておられる親しい知人からも関係の出版物を借用してさらに詳しく調べましたが、どこを読んでも「EMが効いた」旨の主張はあっても、それを裏付けるデータが得られません。唯一比較的詳細に紹介されている「農地のセシウム濃度がEM散布で有為に低下した」実証試験では、あろうことか農地を耕起していました。こんなことしたらセシウムが拡散しちゃって、正確な評価のしようがないと思うのですが...

 そこで、そういった次第をまた140字以内で苦労してまとめて書いて疑問を伝えると、さらに激昂したツイートが仲間連れで集中して打ち返されてくるといった次第で、ん~、これが世にいう「炎上」なのかと思い、しばらく無視していたらやがて静かになりました。 「味方でないヤツはすべて敵」と決めつける思考方法の人との間では、冷静な議論が成立しません。あ、もちろん、和歌山でEMを活用しておられる有機農家の皆さんは大切な友人だと思っておりますので、ゆめ誤解無きように。(^_^;)

 で、やっとここからが本題なのですが、これがツイッターというソーシャル・ネットワーク・サービスの限界ではないかということ。ツイッターへの投稿はブログに比べても遙かにハードルが低く、短時間により多くの情報に接することが出来る点で際だった利用価値がありますが、議論や思索を深めるには全く不向きです。

 先のEMについて言えば、コジローの感覚は、科学的にあり得ないが9割、しかし海底火山の噴火口なんてトンでもない環境で生きている微生物も発見されたくらいだし、微生物の世界のことなど人間はまだほとんど知らないのだから、例えばもしかして放射線を自らのエネルギーとして取り込むなど、解体ではなくても実質的に放射性物質を無害化する作用を持つ微生物がいる可能性も否定できないのでは・・・と淡い期待が1割といった感じです。しかし、こんな微妙に灰色な感覚を140字で表現するのは到底不可能です。

 勢い、ツイッターには、白黒どちらかの意見しか表明できなくなる傾向が強い。それが高じると、味方でない者は要するに敵といった単純で偏狭な短絡表現に陥ってしまうわけですが、実際そんなツイートが多いと感じるのはコジローだけでしょうか。わずか140字に限定された「つぶやき」の世界は、つねに「すべてか無か」の両極端に人々を分断する危うさを内包しているように感じるのです。

 そこで思い出すのは、「米国の味方であることを示せ、さもなくばテロリストと判断する」と居丈高に叫んだブッシュです。「郵政民営化を支持しない者は抵抗勢力」と切り捨てた小泉や「公務員ら既得権益の解体か保護か」とぶち上げた橋下の論理も同じ、要は複雑な社会現象を敵か味方かの二分法に単純化して選択を迫る手法で、これは「アーリア人の復権かさもなくばユダヤの支配か」と、民衆の素朴な不満に火をつけ、野蛮で偏狭な人種的偏見を煽って独裁に登り詰めたヒトラーを含めファシズムの常套手段です。

 懸念されるのは、2日のブログでも書きましたような放射能汚染時代の、実に厄介で複雑な曖昧思考と寛容さが求められる時代に、我々が直面する複雑きわまりない事態をこうした単純な二項対立に還元してしまう思考法が幅を利かせないかということ。小選挙区制と二大政党制が招いた目を覆わせしめるばかりの政治的閉塞感は、国民の間にフラストレーションといらだちを醸成しており、それが勇ましく偏狭で非妥協的な、だがそれゆえにこそ分かりやすく手っ取り早い選択に人々を走らせる恐れを高めています。現に隣の大阪を発信地とする橋下現象は、非常に危険な兆候を示してはいないでしょうか。

 意見表明と情報収集の手段は多様化し、誰もが主張を発表できるようにはなりました。しかし、人々はそれを本当に有効に活用できるでしょうか。ツイッターの便利さはもちろん高く評価しているのですが、それがファシズムへの道をきれいに掃き清める道具になりはしないかと、懸念も大きいのです。思い悩むという面倒から逃げず目の前の回答不能の困難な事態と粘り強く対峙し続けること。実に苦労の多い作業ですが、それに慣れる以外、民主主義が生き残る道はありません。対して民衆の中にわだかまるフラストレーションと140字のつぶやき世論、私たちは、結構超えることが難しい分水嶺に来ているような気がしています。

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最終更新日  2012年01月03日 20時26分41秒
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