━”飛びます”山崎ハコ




■優しさを砕け、闇に光れ、心の絃が切れるまで・・・・■
━━歌の源流を求めて...”飛びます”山崎ハコ━━


「世界は寒い......。」



「望 郷」作詞作曲:山崎 ハコ 1975

 青い空 白い雲 菜の花の小道を
 かけまわり ちょうちょとり 遊んだふるさと
 真っ白な霧の中 神社の石段を
 かけあがり 手を合わせて 泣いてた 小さな子
 淋しくて 悲しくて 出て来た横浜
 やさしいと思っても みんな他人さ



 いつの間に こうなった 鏡の中には
 知らん人 疲れた顔で 悲しげに 笑ってた
 帰ろうか 帰ろうか 田舎のあの家へ
 青い空 白い雲の 田舎へ 帰ろうか

 あの家へ帰ろうか あの家へ帰ろうか
 あの家はもう ないのに




「この世で最初にできた赤んぼが、はじめて笑った時、その笑いが、
 千ものかけらに割れて、みんなぴょんぴょんとんでったんだ。
 それが妖精のはじまりなんだよ。」

昭和54年(1979年) 5月21日発表の問題作!アルバム「人間まがい」ジャケット写真
噂の名曲「呪い」収録!
そう、山崎ハコの存在は”時代の闇の底”においてキラっと光る”人間まがいの妖精”でした。その光をもう一度確かめたくて、彼女の歌を何度も聴きます。



『飛びます-17才-』
<昭和49年(1974年)に録音されたデモテープからの未発表音源。>

何のために今まで そして今からも
生きているのか 分かったような気がします
いんです報われぬとも 願いは叶わぬとも
この思いは 本当の私だからです

今私は旅立ちます
一つの空に向って
飛び始めるのです

この思いのためなら どんなに苦しいことも
きっとやれるような そんな気がします
そうです歌いたくなくても 言葉に出したくなくても
きっと歌えるのです 心の中で誰かが歌ってるから



今私は旅立ちます
自分の心にに向って
飛び始めるのです

一番大切な かけがえのないものは
おそらく今いきづく この命でしょう
けれどはかない人生 この私の命を
賭けるものがあっても 誰も攻めないで下さい

今私は旅立ちます
信じるために
飛び始めるのです



<山崎 ハコ(やまさき はこ)>

本名(旧姓) 山崎 初子(やまさき はつこ)
昭和32年(1957年)5月18日大分県日田市に生まれる。
昭和50年(1975年)10月1日
ファースト・アルバム「飛・び・ま・す」発売。
衝撃的なレコード デビューを飾る!

山崎ハコ オフィシャルサイト



昭和50年(1975年)11月12日TBSラジオ「水曜パック」(DJ:故 林 美雄)に出演する。


林 美雄(はやし よしお、1943年8月25日生まれ)
2002年7月13日午前5時10分、肝不全のため都内の病院で死去した。58歳だった。慎んでご冥福をお祈りいたします。
「月夜のぶたは恥ずかしい、ぼんやり影が映ってる……」
1970年代にTBSラジオの深夜放送「パックインミュージック」のパーソナリティとして人気を得る。同番組での愛称は「ミドリ豚」。後年は更新の育成に力を入れ、また新しいパーソナリティの発掘に努めた。



関係者に配られたOPTICAL CARD「林美雄フォエバー」。
パックインミュージック最終回などが収録されている。




昭和50年(1975年)12月14日。TBSラジオ主催「第1回パック祭」に出演する。石川セリ、ユーミンに続いて登場したハコは、まず、「気分を変えて」を唄った。1曲の予定のところ、アンコールに応えて「橋向こうの家」を披露し、さらに「サヨナラの鐘」と合わせて3曲歌う。後半、『さよならの鐘』の時に500人以上の観客の大半が涙を流していたという、伝説の「パック祭」となった。その後『パックインミュージック』の中で、その時の場面のテープがよく流れましたね。



TBS『パック・イン・ミュ-ジック』を中心に、“深夜放送のマドンナ”といわれ始める。1979年4月~80年3月 ニッポン放送『オールナイトニッポン』火曜日のDJを担当した。(火曜日2部。1部は所ジョージ)
「こんばんわ…やまさきはこです」で始まって、ぽつりぽつりを話す。ほんとに朝5:00まで持つのだろうか?毎回そんなことを気にしながらラジオを聴いていましたね。インターネットも無い時代、深夜に一つの仮想の広場が出来ていたんですね。当時は深夜を「解放する」という言い方もよく使われました。今は、NHKの「ラジオ深夜便」でしょうか?ご同輩(爆)



山崎ハコ初エッセイ集『真夜中に太陽が見たい』(1978年)

「飛・び・ま・す」でエレック・レコードから衝撃的なデビューを飾ったハコちゃんは、独自の世界を構築するコンサートが評判を呼び、熱狂的なファンを持っています。
今でも、デビュー時のみずみずしさと頼りなげな繊細さがまったく変わっていないことに驚かされました。25年ぶりの逢瀬でサインをいただきました。本当に小さな小さな手でした。



「気分を変えて」作詞・作曲:山崎 ハコ 1975

ゆううつな毎日をどうしよう 歌を聴いても酒を飲んでも直らない
いつもの彼のぬくみも欲しくない ザーザー雨降る歩道に一人で泣きたいよ

やさしい言葉がほしいわけじゃない どうせ 言葉だけに きまってるもの
今日は一人になりたいの みんなどっかへ行っとくれ バイバイ

満員電車に揺られて何処行くの 虚ろな目をして どうでもいいよな顔をして
昨日一晩遊んでみたけれど ダメだったよとあんたの顔がしゃべってる

みんなそうなんだよあんた一人じゃない うまく気分を晴らした者が勝ちさ
それができないあんたなら それができないあんたなら バイバイ



憂鬱な毎日をどうしよう わかってるけどグズグズしていて直らない
このまま閉じこもっているわけにゃいかないが いくら言葉で言っても ダメなこともあるのさ

なぐさめてもらいたいよな 気もするの グチを こぼしたら笑われるし
そんな弱い私なら そんな弱い私なら バイバイ



「サヨナラの鐘」作詞・作曲:山崎 ハコ 1975

小さな雨がふっている 一人髪をぬらしている
長い坂の上から 鐘がかすかに聞こえる
私の心の中の 貴方が消える
恐かった淋しさが からだを包む

グッバイ貴方 私 先を越されたわ
グッバイ貴方 その顔が目に浮かぶわ

いつだったか笑って 二人別れていった
きれいな思い出にするわ 元気でと別れていった
いつの日か心の中に 貴方が住み込んで
幼い子供のように ひそかにあこがれた

グッバイ貴方 バカね私
グッバイ貴方 小さな声でおめでとう

グッバイ貴方 すてきな鐘の音
グッバイ貴方 サヨナラとなりひびくわ

グッバイ貴方 すてきな鐘の音
グッバイ グッバイ貴方



孤高の女性シンガー・ソングライター、山崎ハコ。
ジーンズ姿にギター1本 長いストレートの髪。Guildのギターに隠れてしまいそうな小柄で華奢なひとが、ギターを弾いて一度唄いはじめるとその力強い歌声に驚かされるかと思います。中島みゆきより、森田童子より暗い...あは!健気にも日本で最も暗い歌をうたい続けるシンガー・ソング・ライターとして知られる山崎ハコちゃん。暗い暗いと馬鹿にされ、頭に来て姿を消したという80年代があり、86年から活動を休止し”伝説のフォーク歌手”でいましたが、90年ロック系のアルバム「SA・SU・GA」で活動を再開しました。
情念の世界ばかりクローズアップされがちな彼女の歌世界ですが、ハコちゃんの歌は深い悲しみの底にありながら、常にかすかな燈りを求め続ける力を持っています。そこには、歌うことへの強い意思が感じられます。その歌は常に、ポジティヴに現実と闘う姿があり、悲しみに甘えないすごさがあります。そこには傷つきやすい魂の持ち主だけが表出でき得る、清廉かつ透明感に満ちた世界が広がっています。
アグレッシヴに自分の生き方をじっと見つめ、詞とメロディで表現しようという姿勢はずっと貫かれ、そこにハコちゃんの個性があり時代を越えて共感を呼ぶものがあると思います。



「どこまでも深い沈黙の中でピン・スポットを当てられた一人の少女が、周囲の闇にうごめく大人たちの心の奥底を見すかしたように歌っている。語り部のように、闇の深い沈黙から心を奪いとっていく。
山崎ハコの歌はいつも、みんな他人さと歌っているのだが。」



「流れ酔い唄」   山崎ハコ作詞・作曲 

うちの目にうつるは あんたの嘘だけ
うまいこと言うて心は 別のことを思いよる

それでも責めることは 一つもありゃせん
誰でも弱い嘘つき 弱いほどに罪深い



それでも 顔を見れば 気にかかることばかり
誰でも 同じ強がり もがくほどに傷深い

それでも夜になると あんたが忘れられん
誰でも 弱いうそつき 責めることなどできゃせん
誰でも 弱いうそつき 責めることなどできゃせん




「白い花」作詞・作曲:山崎 ハコ 1975

わたしの目の前の白い花 人目にもつかず咲いてるけれど
幸せそうにほほえんで 香りを漂わせる
できることなら この指で
お前を摘んでしまいたい
あの人の心に 誇らしく
咲いてるお前を

白い花びら はにかんで とてもきれいに見えるわ
お前のように 咲きたかった あの人の心の中に
ひそかに きれいに 咲くがいい
美しい白い花よ
あの人と いっしょに 生きて行け
あの人をなぐさめながら




お前を見つめて 生きて行く 私の気持ち知らないで
私にやさしいほほえみを かえす 白い花
ひそかに きれいに 咲くがいい
ほほえむ 白い花よ
あの人と いつまでも 生きて行け
あの人をなぐさめながら

ひそかに きれいに 咲くがいい
ほほえむ 白い花よ
あの人と いつまでも 生きて行け
あの人をなぐさめながら



「ヨコハマ」   山崎ハコ作詞・作曲

雨にぬれただるま船 いつまでたっても動かない
誰かが河に石なげた 淋しい目をしてポチャリ
何もかもビショぬれで とてもきれいだ
雨ふれ 雨ふれ 私のヨコハマ

雨の中を泣きながら ここまで来たことあったね
動かぬ船に話しかけ しゃべらぬお前に叱られた
あの日からこの町に居ようと 決めたよ
雨ふれ 雨ふれ 私のヨコハマ



今は誰も追わないよ 誰にも追われず生きたい
ドブ河低く飛ぶかもめ 雨宿りここにおいで
この町が好きだから 離れはしないよ
雨ふれ 雨ふれ 私のヨコハマ

この町が好きだから 離れはしないよ
雨ふれ 雨ふれ 私のヨコハマ



『“山崎ハコ”が誕生して23年。
昨年末から状況は一変し、もう歌っていけないんじゃないかと思う時もありましたが、応援してくれる人達の間で、元気を取り戻し一つの答えも出しました。
「歌は自由。心は無限。山崎ハコ、心ある限り歌っていくでしょう。」

不器用ですが生きて行きます。歌いながら。だから強くなれる。
真の自由と、楽しみと、愛なんか求めながら、あなたと遠くに近くに共に生きていければと思います。
1998年、一生忘れられない夏。
みんなありがとう! Hako』



 所属事務所とのあれこれを克服し、自分の足で立ち、自分の声で歌い、自分の力で生きていく--本当の意味で出発点になるライブ会場で、ハコは上記の文章を手書きで記したちらしを配った。



ハコさんは、シングル盤なしでアルバムだけで歌っている歌手であり、アルパムでヒットしても、これといったヒット曲っていうものを作らなかった。それは、彼女は非常に体が弱く、歌のヒット曲の世界でテレビ出たり、そういう部分では多分もたないだろうという判断でもあった。しかし、残念ながらやっぱりヒット曲を持たない歌手ということで、アルバムとしてはゴールドディスクを何枚かとったものの、80年入ってからのハコさんはその後、結局暗いというイメージで逆にレコードの売り上げも伸びなくなっていた。それでも『地獄/「心だけ愛して」「きょうだい心中」』『青春の門/「織江の唄」』『愛の新世界/「今夜は踊ろう」(作詞・作曲/荒木一郎)、「私が生まれた日」』『皆月/「早く抱いて」(作詞・作曲/下田逸郎)』などの映画の挿入歌の印象的な楽曲が話題を呼び注目された。事務所閉鎖などによる不遇な時代を得て、フリーで活動を始め”生きた歌”を歌える数少ない歌手として現在にいたっています。



意欲作!「メンフィスまで」(1992)



五木寛之プロデュース『旅の終りに』「こころの花/織江の唄」収録
絵/竹久夢二「青春譜」
「私は日本人の歌う歌謡、日本語で書かれ、日本人の心に触れるメロディーを、なにより愛している。明治以後の日本の歴史は、いつか必ず高く評価され、第二の梁塵秘抄が編まれる日が来るはずだ。
今、歌謡曲の世界に、希望を持とう、元気を出そうと、と、ひそかなエールを込め、このプロデュースシリーズで問いかけたい。(五木寛之)」



「山崎ハコという歌手は、歌の意味や思いを大切にする人なので、アレンジは飾りすぎず、歌の強さを和らげたりと、苦心しました。この2曲も言葉が胸に伝わり、”生きている歌”が出来たと思っています。」
(ハコちゃんの旦那様:安田裕美)



「――どうして一枚目よりいいものが作れないんだといわれつづけてきました。そのたびに悩んできましたが、いまはこう思うことにしているのです。一枚目が二枚目や三枚目よりいいのは当然なのだ。なぜなら、あの一枚目には、自分の二十年間が詰まっているのだから。二枚目や三枚目には、それからの一年か二年しか入っていないのだから。そう思うと少し楽になってきました・・・・。」



多くの”心情三派”をも嗤せ泣かせた”女三羽烏”山崎ハコ、森田童子、浅川マキ!

浅川で、童子ようもなくハコな男より
前妻に捧ぐ!
ひゅうううううう~
やっぱり世界は「寒い!」ぜ!



<森田童子>

1975年(昭和50年)11月21日(金)デビュー・シングル「さよならぼくのともだち」とファーストアルバム「グッド・バイ」をポリドールよりリリースしこれまた衝撃のデビュー!
1983年12月25日(日)<前進座劇場「狼少年」追加公演>新宿ロフトで8年間の活動を終了した森田童子。CAT-Oさんは1977年の豊島公会堂「童子像」コンサートに前妻さんと行きました!近日大公開?たった8年間という短い間に鮮烈なる印象を残した森田童子。



ekato

山崎ハコには少女性を残した透明な視点と絶望の淵に立たされたような孤独感がある。この小さな華奢な体から紡ぎだされる言葉の確かさと、彼女の息づかいの暖かさを...聴いてみてください。そこには歌うことの源流があるはずです。
 (´-`).。oO





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心情三派【しんじょうさんぱ】
心情的に三派全学連を支持すると表明した作家達のこと。野間宏、堀田善衛、野坂昭如ら六十一人の文化人や作家が、1969年、東大全共闘支持の声名を発表した。心情三派の言葉は、野坂昭如の造語。



『皆月』
監督=望月六郎
原作=花村萬月(吉川英治文学新人賞「皆月」講談社・刊)
脚本=荒井晴彦
音楽=山埼ハコ「早く抱いて」
出演=奥田 瑛二、北村 一輝、吉本多香美、荻野目慶子



『愛の新世界』
監督=高橋伴明 原作=島本慶、荒木経惟
脚本=剣山象 撮影=拓野直樹 音楽=山埼ハコ「今夜は踊ろう」
美術=望月正照 編集=菊池純一
出演=鈴木砂羽、片岡礼子、萩原流行、武田真治





















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