なぜジャズ喫茶は流行らないのか
ジャズ喫茶に通い出したのは浪人しているころからで、かれこれ半世紀前である。お茶の水や新宿といった駅周辺には多数のジャズ喫茶があり、隆盛を誇っていた。何処々の店はJBLを真空管で鳴らしているとか、いやこっちはタンノイの同軸だとか、ジャズファンとオーディオマニアが共通して通っていたころだ。延べてコーヒーはまずいし、普通の店よりも高い。善意に解釈すると、レコード代が上乗せされているからだ。わがふるさとにも3,4件あり、学生や若い人たちで混んでいた。それが昨今は全く入らない。閉店する店も続出して残っている店は貴重品存在となってしまった。隆盛を誇っていたころは、住宅事情がとても大音量で鳴らせる環境ではなく、せいぜいがラジカセで聴くしかなかったから、大音量を競うジャズ喫茶に客足が向いたのは当然である。店主の特徴はまず不愛想で客商売にはほど遠い人たちだ。客と言えば常連客はじっとひたむきに腕組みして大音量に耐えていた。まるで禅寺の修行僧のようだった。互いに人定めをするように客と経営者は無言で対峙していたのだろう。不愛想な理由は、ジャズ喫茶の経営者ではあるが、同時にジャズの愛好家でもある。いわば好きなものを仕事として、生業としている幸福な人たちだから、ある意味では喫茶店のプロではない。コーヒーの味は二の次で、音質とレコードの在庫で勝負する異質の世界である。このアマチュアリズムがなければジャズ喫茶などできるものではない。しかし逆もまたしかりで、ジャズの知識がそこそこでもジャズ喫茶をやれば当たると知った店主がいて、彼は愛想もいいし、客の入りも悪くはない。ただし、くるお客さんは一般の人たちで、岩や売るジャズファンではないのだ。ジャズを流行ないしファッションとして受け止める人たちが多いのだ。生演奏つまりライブで客を引き付ける店主にはこのタイプが多い。面白いことに、地方では中央よりもライブの入りがいいのだ。理由は生演奏はレコードに勝るという客が多いのである。これもまた地方ならではの理屈で、アマチュアバンドの演奏でもレコードで聴くプロの演奏よりも有難がる人は地方に多いのである。プロに徹したジャズ喫茶またはライブハウスの店主は、店が内容と音質さえ良いジャズをかけていれば客は来るとは思っていない。それだけではない要素、例えば視覚と実在の人間が出す音が客を呼ぶということを知っている。このあたりがアマチュアとプロの差なのだ。一般に全国的に有名で雑誌にたびたび取り上げられるようなジャズ喫茶は閑古鳥が鳴いていることが多い。赤字でも社会的に存在していることが使命だと頑張る店主はそれだけで店を切り盛りしている。喫茶店は一つの文化と言えるが、ジャズ喫茶はそのなかでも極端な最右翼だろう。マスターたちは個人的な趣味を他人に啓蒙しようとして儲からなくても頑張っている。初めて店を訪れるあなたは戸惑うだろう。しかしそれはあなたに気を使わせまいとしているだけなのだ。個人的な優越感もちょっぴりあるかも。常連客は冷たい視線をあなたに浴びせるが最初だけである。話しかけられるのを嫌がるのがジャズ喫茶のマスターである。口下手なのがジャズ喫茶のマスターである。大音量の中では手話をするのが妥当かも知れない。