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蕎麦 「ひぃ、ふぅ、みぃ、よぅ、お客さん、今なんどきで?」 「いつつで」 「ろく、なな、はち」と屋台の蕎麦屋がおつりを誤魔化す落語があるが、蕎麦というと思いだす話がいくつかある。 私はバツイチ女。バツになるとは勿論考えもしなかった新婚旅行の時の話だから昭和38年の事で、日本はまだ終戦の傷あとがあちこちに残っていた時代で新婚旅行など行けない人達が大勢いた。いとこ達は北海道への新婚旅行を全て払ってくれるという雑誌のコンテストに応募して奇跡的に当選したので、結婚一年後ハネムーンに行った。交通費、宿泊代をだすから取材と写真を雑誌に掲載させてくれというものだったと記憶してる。 我々の場合は、前夫がアメリカ人で、翌年の5月からハワイで暮らす事になっていたから貯金の倹約の為に長野と佐渡へ行くことにした。『小諸なる古城のほとり雲白く遊子悲しむ』という島崎藤村の詩に惚れていた私はその古城を見たかったり『安寿と厨子王』という小学生時代に読んだ悲しい物語に出てくる佐渡ケ島も一度は訪れたくて私が決めた場所であった。 今でも日本は『どこそこの、なになにが美味しい』とか『どこそこに、こういう変人がいる』みたいな情報がぱっと広がると直ぐ人が集まる国だが、当時もラジオとか週刊誌とかでそういう番組があって、佐渡にとても変わった人がいて美味しい手打ち蕎麦を食べさせる店があるというのを聞いていたので是非とも行ってみたかった。 携帯などなかった当時の事、佐渡に着くなり数人の土地の人に場所を聞いたが、皆一様に白人と一緒の私をジロリとみて「知ってるけどさぁ、変人だよ。くわしてくれるかなぁ」と頭をかしげながら言った。お昼をちょっと過ぎた頃だったか、その店をみつけて入っていくと、ぶすっとした顔のおばあさんが暖簾を押して出て来るなり、「売り切れ!もうないよ!」と言ったので、それは残念だと言って店を出ようとすると、「ちょっと待ちな。これあんたの旦那さんかい?」と夫を指すので、そうだと答えると、「なかなか良い人相だ。自分が食う分だけ残してあるから食べさせてやる」と言った。 夫に通訳すると、二人分ないなら出ようといったが、「おもしろそうじゃないの」と私につつかれ、きまり悪そうに「ありがとう」と言い促された場所に座ると、「奥さんの分はないから、お茶だけ!」といって、お茶と一人分のお蕎麦をだし、彼女も一緒に座って蕎麦の作り方を説明し始めた。 お婆さんは、種を撒いて蕎麦を育てる所から粉にして店に出すまでの過程を全部一人でやるのだ、と言った。そして、「そこまで心を込めて作った蕎麦を、人相のわるいヤツには食わせたくない」と言ったのだ。夫は、ニタリとして、二人が見つめるなかで一人で食べ、緊張で味もわからなかったのでは?と思ったが以外に「こんなに美味しい蕎麦は始めてだ」と言って財布を出し、払おうとすると「金なんか、いらないよ!」と、どうしても受け取らなかった。筆頭に述べた『とき蕎麦』と反対であった。 戦争中は、祖母がそば粉を熱湯で練っておだんごみたいにした『そばがき』というものをつくってくれ、おやつとしてよく食べたし手作りそばを私にも切らせてくれて可なり太目の蕎麦を食べていた。戦後東京に戻った頃の盛蕎麦は15円位だったと思う。 アメリカで暮らすようになって、やがて息子が大学生になった頃、二人で日本に行ったとき、弟が「面白い所につれてってやる」といって、山奥にある『蕎麦工房』という店にあんないしてくれ、蕎麦の打ち方を教えてもらった経験があるが、時間がかかり可なりの重労働であった。弟はすぐハマるタイプなので、色々な道具を買って、暫くはちょくちょく家で手打ちそばをつくったらしい。 その年だったか、別の時だったか忘れたが母も健在だったころ弟一家, 妹夫婦とわれわれの大人数で盛岡の『わんこそば』を食べに行った思い出が忘れられない。レストランの壁には、有名人達の写真がずらりとかざってあり、その中に平成天皇ご訪問写真もあった。また、誰それさんが、何杯食べたとかいう記録があって、「300杯?うそだろう~。」「そりゃ~人間じゃないよ!」とか、それぞれに言いながら待っていると、お盆に20個位のお椀を掲げた女給さんがやってきて度胆をぬいたが、実はお椀には本の一口分しか入っておらず、私でも70杯以上たべた。ただしストップするのが難しく、凄いスピードとスキルで次を投げ込まれるから、パッと蓋をしないと手の上に蕎麦がのってしまったりで皆大変な思いをしたが面白い事を考え出した人もいるものである。 後にアメリカから白人の日本語の生徒をつれて日本に行ったときも盛岡の『わんこそば』を体験させた。きゃ~きゃ~笑いながら積み重なるお椀を数えながら、生徒達にも忘れられない思い出となった。その時の一人が難病になり買い物に行けないというのを知り、何か送るから何が良いかとたずねたら、「蕎麦」と言ったので、そばつゆと一緒に数回送った事があるが、いまでは自分で買って茹で、つゆも作ってちょくちょく蕎麦をたべているとメッセしてきた。今の南カリフォルニアには、アメリカ系のスーパーでさえ蕎麦やインスタント・ラーメンを沢山おいてあるので嬉しい。更に手打ちそばを出す店もちらほら出て来たので、とても幸せな老後をすごしている。 * お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.03.02 08:25:52
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