ウクライナに寄せて・その3
1991年にソビエト連邦、いわゆるソ連が解散した時にウクライナがフリードムを目指して独立国となったわけだが、過半数のクライナ人がロシアを嫌っている理由の一つは1932年にスターリンが、ウクライナの農家から穀物を全部強奪し多くの人民を餓死に至らしめた、という惨事があったのを忘れないからだが、一つ頭に入れておいてほしいのは、ドイツのナチスの侵入で1941-44年の間に1,500,000人のユダヤ系ウクライナ人が殺害されたという事件である。 筆頭に述べたように私の旅は、2004年であったから、ウクライナが独立してから13年経っていたわけで、国民達も可なり『自由』に慣れてきた時代で、国家経済は上り坂の途中、ロシアからの経済援助は断ち切られていた訳だから政府も国民の日常生活(交通機関、電信電話、メディアなど)を保つのが精いっぱいで大学、病院、公園、橋、道路などの公衆施設のメンテに行き届かなかった。海辺のトイレ同然の原っぱ、公衆トイレ、ガタガタの道の事は書いたが、イリナの母校の大学に案内された時も、開かないドア、ギシギシ鳴る暗い廊下(昼間は電気の節約)、ちぐはぐな椅子やデスクで、唖然とするほどで、私が昭和時代に疎開先から東京に戻って来た頃通った目黒の中学の校舎や、都立大学の校舎、埃だらけの道路、傾いた診療所を彷彿させる風景であった。日本も節電、節水は日常茶飯事、自宅に電話のある人など殆どいなかった。私が中学生であったから、やはり戦後13、14年位であった。つまり、ウクライナも独立から13,4年目でそこまで這い上がって来たわけで、あれから又18年経った今、やっとウクライナの生活水準も上がって来て、テレビ、パソコン、携帯、自家用車などは当たり前の時代になったところのアタックであるから、本当に悲惨なのである。プーチンはこの発展を羨望の目でみていたわけで、元のソ連の一部にしたくて仕方がなかったのと、どんどん自分のイデオロジーから離れて民主主義になっていくウクライナの国民が怖くなったので、征服するなら今だと思ったのではないか。 今回のプーチンの戦争正当化の理由は異常としか言えず、それがゆえに、彼の精神状態を疑い始める人が増えているのだが、その理由として、「ウクライナの大統領も政治家達も皆ネオナチでドラッグをやっており、プロ・ロシア人民を大虐殺する計画をたて実行を始めているから、彼等を守る爲にウクライナに侵入するのだ。これは戦争ではなく、つまり、我々はピースキーパーである」とスピーチで述べていたわけで、教養ある人なら、ユダヤ系の現大統領ゼレンスキーや官僚達が、ナチスである筈がない事はすぐわかる。これが「覚えておいていただきたい一件」と書いた所以で、ウクライナにはユダヤ系人口が可なり多いので、ナチスの組織はできにくいと思う。 更に、側近の人やアメリカでもロシア専門家達の話ではプーチンがコロナ禍の2年隔離生活の間に考え方に変化が出てきたようにみえるそうで、「いつもの彼とは違うから、ちょっと恐ろしい」と言ってるように、自分の計画通りに(数日でウクライナを征伐する)行かなかった事で核兵器のオプションを持ち出している。また、アメリカのメディアでは、ロシア兵の戦死者は今日現在で4,300人だそうだが、ロシア側では報道していないというか、報道を禁止されているから、これらが家族に知られ始めたらロシアの国民達が立ち上がって戦争反対するのではないか、と予測してる。もうすでに、政治家や大企業の子供達がネットのソーシャルメディアで「戦争反対」「ウクライナの独立を認めろ」「戦争をやめろ」とチャットしたり、勇気ある3000人の市民もクレムリンでデモをして逮捕されている。 しかしプーチンの非人道的な行動は同盟国に速やかにシビアな経済制裁金をかけられ、世界の国々から見放された今、「窮鼠猫を噛む」の危険な立場に来てる感じがするから、核兵器での脅しを軽くみるべきではないと皆心配している。(続く)