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ふと思ったのですが・・・
例えば、私は日本で生まれ、他国の言語にも詳しくない。だから基本情報は「日本人の手によって作られた情報」が耳や目に入ります。 だから「尖閣諸島は日本の領土である。これは歴史的に見ても証拠があり、正しい」ということを信じます。 が、例えばこれが中国の国民であったら「あそこは自分の国の領土」という情報が蔓延しているはず。だからきっと、今の自分と同じぐらい中国の領土である、と信じきっていると思います。 そして、例えば「○時代に書かれた書物に明確にわが国の領土であるという資料が残されている」という情報を聞いても、専門家じゃないんだから自分の目で確かめたわけでも研究した訳でもない。あくまで喧伝で「そういう資料がある」と聞いただけ。それは向こうの国でも大多数の人間がそういう「自分の信じたい情報を信じてしまう」から話がかみ合わない。お互いに相手はウソをついていると言い合う。 いずれにせよ、何かを信じないと人間、社会生活は出来ませんから仕方ないのですが、こういう「自分の手に届かない部分」はウソも本当も判断つかないんですよね。困った事に・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.10.24 08:37:31
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