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あるゲーム小売店の対応として
3DSクレヨンしんちゃんの1983での取り扱い停止 ご本人も「あえて賛同は求めない」とおっしゃられているので、私も「あくまで一個人のゲーム開発者として」書かせていただきます。けっして気を悪くされませぬよう。 この文章を読んだ際、一番最初に感じたのは「子供のため、という気持ち悪さ」です。つい先日、漫画家のやくみつるさんが横浜ベイスターズの買収劇に関して似たような話をされていました。曰く ------------------- 「あの会社にだけは買ってほしくなかった。業種がダメ。モバイルゲームは子供に良くない。本や漫画を1ページずつめくったり、外で虫を捕ったりして、子供は成長する。携帯電話はおもちゃじゃないんだ」 ------------------- しかし、実際のところモバイルゲームをよく知らない、あるいは悪い印象だけを持っているから、その理由を「子供のため」という言葉に摩り替えて語っているような気がしてならない。 このお店は以前よりマニアックな商品を並べるお店なので、今回の商品売り上げが店側に与える影響はほとんどない、と言う理由もあるのでしょう。しかし、店の売り上げのメインになるような商品に類似するサービスが付いたとしたら、こういう判断はしたでしょうか?しませんよね。当たり前です。むしろ、そういう判断をしたら店長の社会人として、店のオーナーとしての感覚を疑います。 だからこそ、「子供のため」というダシで自分の趣味を語って欲しくなかった。「モバゲーが嫌いだから扱わないよ」「コンシューマの売り上げが吸い取られて店の利益にならないから売らないよ」こういうのであれば理解できた。 もちろん、店舗によって個性があってもかまわないし、商品を売る、売らないの判断は大手量販店じゃないんだから店長の判断で構わない。 しかし、だとしたら「子供のため」に、購入する親御さん、子供たちにちゃんと説明して欲しい。そこからどうするか、は買った側の判断であるのだし。 自分はコンシューマゲーム開発者ですが、どんなゲームにも面白さ、魅力があると思います。そして、いつの時代もゲームも、マンガも、アニメも、規制をかけようとする人間の言う言葉は同じです。 「子供たちのためによくない」 恐ろしいもので「子供のため」と言う言葉があれば、わが子に平気で体中にあざが出来るほど殴ったり、熱湯を浴びせかけたりすることさえ「教育」として語る親すらいますから。 マンガやアニメ、ゲームで育った世代が、今、社会を動かしています。同じように生まれた頃に手元に携帯電話やモバイルゲームがあった世代がいる。ただ、それだけのお話。 文章が上手くまとまりませんが、課金のあるモバイルゲームをよく遊んでもいない人間が「悪役」にしてほしくない自分がいます。それは新しいゲームの形でもあるのですから。 *誤解されるとイヤなのでお断りしておきますが、わたしはこのゲームの開発者でも、関係がある会社に付き合いがあるわけでもありませんので。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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