地下鉄の構内を歩いてふと気がついたのですが。
地下通路の蛍光灯が一つおきに点いている。これは節電のためだと思います。が・・・はっきり言って明るさは全然問題ない。というか、普段の明るさってこのぐらいだと思う程度の照明量。
ってことは、消してある半分の光量は何のためのものだったのか?ということも考えられるんです。
で、翻って自分の仕事であるゲーム作りでも、こういう「意味のないクオリィティ」が横行しているなと。作品の売りにならない部分を作りこむ事で時間がかかる、けど、決してそれは作品の魅力とは関係ない部分だから、ユーザーも誰も評価しない。例えば町の中を表現したRPGで「道の脇に転がっていた瓦礫の質感がすごかった」とはならない。
むしろ、作りたいもの、魅せたいものを強調するために周りは簡素に作る、なんていうメリハリを考えるべきじゃないか。
上の照明はちょっと方向性は違いますが、限られた予算と期間があるのはどこも同じ。旨みと脂肪を切り分ける努力をしないまま無闇にHD戦争に突入した結果が、今の日本の据え置き市場の有様であり、アメリカの一部大作しか残れない、硬化した市場であると。
いい加減、日本の海外病クリエイターの「アメリカは予算がたくさんあるから~」の思想から抜け出しなさいって話です。
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