ゲームばかりして少年時代を過ごしていたら、ゲームで飯が食えるようになったある男の話
すばらしいコラムであり、私も同様の生き方(ゲーム大好きでゲームを遊び、ゲームを作り、青春時代ゲーム中心の生活をしていたら自分の職業になった)をしていただけに非常に共感できます。
同じことはたとえば「マンガが大好きで子供のころから紙があったら絵を描き、ノートに落書きしたり、同人誌を出したり」していた人が漫画家になっている。音楽が大好きでギターを弾き、文化祭で歌い、仲間を集めてライブをやっていた人がプロ歌手や演奏家としてやっている。
で、リンク先コラムに引用されている「ゲームは時間の無駄」というのは、結局「楽しい時間は無駄だ」と言っているのと同義語で。
ゲームをするより有意義なことがある>それは個人の価値観の差。ゲームをやらずに勉学に励み、いい会社に就職して暇つぶしにゲームをやるのももちろんすばらしいことだ。
ただ、「時間の無駄」とは、やった時間,かけた時間がつまらなくて、苦痛ばかり記憶に残り、最終的に何も生きていないことだと思う。
あの当時、本当はやりたかったゲームを我慢し必死に勉強したのに、結局今、求めていた生活を送れていない、我慢という苦痛しか味わえないとしたら?それこそ「時間の無駄」だったんだろうし。「楽しい時間」は人生において最も有意義である時間のことだ。