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たとえば、マンガのようなきわめて少人数で作る(出版は別)作品世界の場合、その内容は中心になる作家の個性とか思想、倫理観が主軸に物語が作られる。読者はそれを読んで「おもしろい、共感できる」か「つまらない、心に届かない」かで作品を判断すべきであり、その好みも一人一人の嗜好によって違う。
だから、自分の好みに合わないものを「読者のことを考えていない」にしてはいけないし、自分の意見と違うから書き直せ!というのもおかしな話で。 美味しんぼの原発問題を取り上げた今回の騒動で、一番怖いのは「こういうものを書くべきではない」という自主規制という名の表現規制が行われること。 私は今回の話に関しては、昔から美味しんぼを読んでいる人間として「ああ、雁屋おじいちゃんのいつものアレが始まっちゃったよ」と・・・こういうことを書く人なんです。ずっと前から。でも、それはかまわない。というか、これによって福島への差別、偏見を広めているとしたら、おそらく今、日本人の持っている不安の「事実」なのだと思います。一冊の漫画のちょっとした危うい情報ですぐに差別に結びつきたくなるほど、実は私たちは原発も、放射能も実態被害を知らない。なんとなく漠然と「安全です」という風に思いたがっている。逆もまたしかり。政府や東電は都合の悪いことすべてを隠ぺいしている、福島にはもう人が住めないほどの被害がある・・・ どっちも極論で、美味しんぼの針の一刺しで、内部で燻っていたさまざまな不安、不満、がこうやってつぶした腫物のように膿があふれてくる。 少なくとも雁屋先生は「独自の取材」をして、まあ、本人なりの結論を出してしまったからこそ「覚悟をもって」マンガに書いている。それに対しての反論は、やはりさまざまなその手の分野の人が「自分のやり方で」するべきじゃないかと思います。たとえば漫画家であったらマンガで反論するとか。 口封じのために連載休止させるとか、そういうやり方では表現の自由を守ることにはならない。もし、それが認められてしまったら、それこそ「エロ漫画で女性の書き方がおかしいから出版禁止」もまかり通る、そういう世界になる。 政府が悪い、東電が悪い、いやいや、マスコミが、美味しんぼが、反原発団体が・・・それぞれの立場からそれぞれが発言できることが大切であると思うのです。もちろん、大声で発言する以上、矛盾や間違いには突っ込まれるし、それによって立場を失う覚悟も必要になります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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