カテゴリ:お出かけ 滋賀
西教寺の向かいに、あまり目立たないので 殆ど誰も寄り付かない西教寺の塔頭の 安養院 だいたい昭和初期とか、古くはないものの 殆どの建物は、登録有形文化財ですし そんなに広くないですが、なかなか良い感じで 特に金も要求されなかったので、西教寺に 足を運んだ際は、寄った方が良いと思います。 安養院から結構な距離を歩いた所に、最寄り駅の 京阪石山坂本線の坂本駅があるんですが 1つ隣の駅の松ノ馬場駅から、なかなかの距離を 歩いた所にあるのが・・・・ 安土城 に次ぐ 名城 パードレのルイス・フロイスが、そう記した 坂本城 水戸黄門が 日本全国を旅したのと同じくらいの 大嘘話を連発させてる 先週のトンデモ大河で、史実では バテレン追放令前に洗礼を受けてたんですけど 実際の江は、とにかく目立たない女性でしたが それでは大河の主役には相応しくないという事で どこにでも わいて出て 何にでも 絡んでくる 暴れん坊将軍並みに、改変された江の助言により 細川ガラシャが キリシタンとなりましたが、ガラシャの父 明智光秀の 居城が、この坂本城です。 この坂本城址の碑があるのは二の丸跡で 更に狭い道を通った後、交通量が多い道を 渡って、ようやく光秀の 石像が建つ本丸跡に到着する。 ここは七本柳と呼ばれ、日本全国に約2000社ある 日吉、日枝、山王神社の総本宮の日吉大社の 山王祭の船渡御の神事が行われる場所でもあります。 石碑や石像を見る為だけに、結構な距離を歩くほど 城マニアでもなく、今回のもう1つの目的は 道を挟んで北と南に、シンメトリーに並ぶ 酒井神社&両社神社 日吉大社の境外末社の一つで、両本殿とも 広島藩初代藩主の浅野長晟(ながあきら)が 建立したもので、県指定文化財となっている。 なぜ広島藩主がかというと、かつての坂本城主で 豊臣政権の五奉行筆頭、浅野長政の息子で 長晟の兄、幸長の産土神だったからだそうです。 このページのトラックバックURL: http://app.blog.eonet.jp/t/trackback/530827/26488898 虎団Jr. 虎ックバック専用機に 承認後に反映されます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.05.17 08:31:07
[お出かけ 滋賀] カテゴリの最新記事
|
|