神の目の小さな塵
7月下旬ごろにコロナに罹患して、倦怠感と熱で何もする気になれない中、youtubeでずっと岡田斗司夫さんのジブリ解説を流していました。今までずっと、何か腑に落ちないジブリのキャラ同士のやりとりーと思っていたことがすっと腑に落ちました。私は今までジブリの何を見ていたのだ・・・と落ち込む。そして、ジブリ解説を一通り見終わった後に、オススメSF小説も見たので、早速読んでみました。神の目の小さな塵岡田さんいわく、宇宙人との遭遇。魚類から進化した知的生命。人間は生涯で2~3人ほどしか子供を産まないけれど、魚類は一度に数千の卵を産むので、子供を可愛がったりしない。むしろいかに優秀な個体を残すために間引きするかを考えるようになる、というストーリー説明だったので有能で美しいものしか生きることを許されない、物凄くクリーンな種族のディストピアが出て来るのかーワクワク!としていました。実際に読んでみると、多産な宇宙人ではあるけど、自分の子供は物凄く可愛がって、淘汰するなら他の種族の子供と考えているように思いました。沢山子供を産む種族は統制されるけど、子孫を残したいという本能がそれに抗うから統制はしきれない。SFというと、宇宙人が地球に攻めて来る話だと思っていました。アインシュタインは宇宙人と出会ったらどうすればよいか、という質問に「愛想よく振舞え。絶対に攻撃してはならない」と応えたのが印象に残っています。この話もそんな感じでした。地球人が満足に宇宙飛行ができない時に、宇宙艦隊を率いる異星人と出会ったら侵略されるかもしれませんが、地球人が他の惑星にも居住地を広げて、難なく宇宙飛行できるようになってから出会う異星人とは、出会い頭に戦争は起きないのかもしれないな。双方ともに自分の種族の不都合な歴史や本音を隠しながら、物凄く愛想よく、通商条約を結ぶために相手の機嫌をとるのだけど、文化の違いからいろんな齟齬が生じるのが面白かったです。多産種族とあまり子供を産まない種族の齟齬というよりかは寿命が短いが故に物凄く合理的で悲観的な種族と寿命が長く何事も政治的に妥協する楽観的な種族の齟齬という風に受け取りました。モート人が人間の振舞いとか対人関係でどのような行動を取るかを考察しているところがとても面白かったです。「建前と本音が複雑に絡み合っていて、誰も独立した人間はいない」「マスターですら、自分の利益だけを追求できず、支配下に置いたものたちの利益も追及せざるを得ない」「この人はどのマスターのミディエイターなのだろう」マスターのミディエイターに見えるような人たちですら、マスターのためだけに全力で働くということはせずに自我が邪魔して会議が前進しない人間が帝国国家を自称しているけど、特に帝国とは自称していないモート人の方がよっぽど独裁社会なのも面白かったです。小さな部族のマスターが沢山存在して、マスターの意見は絶対。マスター同士が話し合うとケンカになるので、意見を代弁するミディエイターが交渉にあたる。ミディエイターはマスターと同化するので、自分自身の感情はない。合理的過ぎて贅沢品にはさほど興味を示さない。知的生命体なのに服を着ないというもの合理的だからだろうか。何かを身に着けて、それによって個性を主張するということもなさそうです。見た目にはほとんど頓着しなそう。美醜の基準というのがそもそも存在しなそうです。そういう種族が、日和見主義で相手によって自分の立場も意見もコロコロ変わる人間と接すると発狂してしまう。この辺が共存の可能性は低そうだなぁと感じました。モート人の方でも、一番人間にとって有益と思われるエンジニアが最も多産で、短時間で宇宙船がぎゅうぎゅうになるほど子供を産みまくって共食いを始めるというのも恐ろしかったです。なんでも自分たちに都合の良いものをあっという間に作ってくれる存在は羨ましいなーモート人はエンジニアをどのように制御しているのだろうか。ある程度増えると戦士たちに人数調整するのだろうか。もし、モート人が多産でなかったら、モート文明はどのようになっていくのだろうか。合理をきわめて、技術がどんどん発達していくような社会はどこへ行きつくのだろうか。合理的に子孫を増やすという方向に進んだから多産なのか?その逆にムダなことが大好きで、何かにつけてはさぼろうとし、くだらないテレビ番組とか芸術とかにうつつを抜かす人間の方が文明としては長持ちするのか。結局、人間はモート人との共存は不可能と判断しましたが。このラストの感じだと、どこかのタイミングでモート人を人間に都合の良い奴隷のような感じで帝国領土に連れて帰ってきて、とんでもないことが起こる未来が想定されました。SFって面白いな。宇宙に関する科学+生物学でこんなに面白い話になるのか。SF全然知らないので、ヒューゴー賞周辺から読んでいきたいと思いました。