「最上の命医」の録画を見たので、遅れてますが、また台詞を書き留めますね。
危(あやめ)「医者だったんだよ、真中は。医者だったってことだよ。」
真中「お父さん、ごめんね。」
患者の父親「探して探して、やっと見つけたんです。
狂い咲きしてる桜の花を。わけを話して、譲ってもらったんです。
親っていうものはどんなことをしても子供の喜ぶ顔を見たいものです。」
真中「私は患者を見殺しにしようとしたのよ。
(副院長と取引して)自分の父親を助けるために。
私には医者を続ける資格なんてないわ。
命(みこと)「真中先生は医者です。
何があっても目の前の患者を見捨てたりしない。
患者さんの信頼を裏切らない。信じてました。真中先生。」
(泣いてる)真中「ちょっとあっち向いててくれる?」
命「見てないですよ。」
真中「イライラする。
最上先生ってほんと(永遠の少年で)イライラする。」
危(あやめ)「1人を救う為に10人を見捨てるわけにはいかないってか?」
副院長(危の兄)「そのとおり。」
危「でも子供は1人に見えて1人じゃない。
1人の子供がまた子供を生み、その子供が次の子供を生む。
どこまでも続く無限の樹形図さ、
ってアンタが嫌いな男がいってたよ。」
昨日、臨時教員、三年次教員の研修があったのですが、
そこでの心の教育、命の教育でも、同じようなことを言っていました。
命は、タスキを渡していくリレーのようなものだと。
それは連続性。
そして他にも、偶然性・有限性があると。
父と母が出会い、生まれたことは偶然だけど、必然かもしれない。
無数の精子と1つの卵子が出会うように。
命には限りがあって、人はいつか死ぬ。
そんなことは誰でも知ってるはずなのに、自分から命を捨てる人が居る。
自尊感情が育ってない・・・
居場所がなくて、認められない。
自分を愛してもらえないから、自分を好きになれない。
安心して自信をもって発言できる雰囲気が必要なのですよね。
学校でも家庭でも。
せめて学校のクラスではみんなが自分を認めてくれて、
失敗しても許されるような親和的なムードがあればいいのだけど。
そのためにも算数や数学の授業は役に立つと言っていた。
算数は正しさの実証だから、
強い子や弱い子、誰が言っても正しいことは正しい。
他の事では発言権が強い子が言うことが正しいことになってしまうけど・・・
やはり授業が命なのですね。
私はつい授業中や休み時間の雑談?など
子供達と会話することを楽しんでしまうけど、
もっと子供達に発言・説明させないとね。
話がそれてしまいましたが、
「最上の命医」も「お江」と同様、台詞を書き留めたくなるほど好きなドラマです。
あと、今のドラマでは、プロファイラーの「レディ」、
民間人校長の「スクール」が好きかな。
日中合同ドラマ「蒼穹の昴」もいいですよね。
全部は書き留められないけど・・・
ドラマの録画が溜まって見切れない。
今日、地デジテレビとブルーレイレコーダーが着いて、
今のテレビは下取り(リサイクル)に出すから、
今までの録画は見られても、拡大されて、画面が粗くなってしまうかな?
早く見ておかないとね。
それでは、また見てきます。