入間おやこ劇場の地域公演の実行委員会に
SさんがOさんに勧められたという防災DVDを持ってきてくれたので、
Mさん達と一緒に見ました。
(1)「迫る大震災にどう立ち向かうか」
(2)「防災教育から生まれた『釜石の奇跡』片田教授(群馬大)に聞く」
2部構成ですが、私は(2)の方が心に残ったので、そちらを書きますね。
また、うちでもう一度見直して書きました。
Q.なぜ、津波防災に取り組まれることになったのですか?
A.2004年のインド洋の津波被害(23万人が死亡)を見て、津波の恐ろしさを知りました。
防災講演会をしても、そこに来るのは意識の高い人達だけで広く普及しない・・・
地域に根ざした教育が必要だということで、昭和地震津波で当時の人口6500人中4000人が
亡くなった釜石市と協力して防災教育を行った。
そして、99.8%の児童・生徒が助かるという「釜石の奇跡」をもたらした。
残念ながら1000人以上の人(大人が主)が亡くなってしまったが・・・
子ども達は、「地震や津波があっても僕は逃げないよ。
おじいちゃんもお父さんも逃げない。釜石には世界一の堤防があるから。」と言うのです。
大人が避難勧告や津波警報を自ら無視して、自ら命を落とす。これはある意味自己責任と
言っても仕方がない部分があると思います。周期性のある津波が子どもの生涯のうちに
やってくる。そこで被害にあったら、それはその常識を与えた家庭であったり、
親であったり、それから地域社会であったり、学校であったり、とにかく子どもを取り巻く
全ての環境が子どもにそうさせてしまっているということ。
これを問題視しなくてはならない。ですから、子ども達にとにかく教育をする。
そして、子どもを10年教えると小学校6年生の子どもは、もはや22歳の大人になります。
もう10年教えると32歳になり、もはや親になります。そのようなきちんとした防災意識を
持った対応力のある親の元で子どもが育てば、今の子どものように「逃げないよ」などと
自信満々に言う子どもではなくなるはずなのです。
Q.どういう教育を具体的に行ったか?
A. 避難の3原則がある。理念としては、自分の命を守ることに対する主体性を持つこと。
(1)「想定にとらわれるな!」ハザードマップを信じるな!
(2)「ベストを尽くせ・最善を尽くせ。」自分の命を守るためにまず逃げる!
(3)「自分に向かい合え」率先避難者になれ。「津波てんでんこ」
(1)想定は一つの仮定に過ぎない。想定外の災害が来たら逃げられない。
ハザードマップを見て、うちは大丈夫と安心してはいけない。
いくら大防波堤を築いても、それを越える津波が来るかもしれない。
自然は人間の想像をはるかに超える力を持っているのだから。
(2) 「君はその時にできるベストを尽くせ、最善を尽くせ」
地震の後、大きな津波が来るか、小さな津波が来るか、そんなことは誰にも分からない。
だけど、君にできることは、今君ができる1番最善のこと、それをやるだけだ。
それによって多くの場合は自分の命が守られると信じようじゃないか。
たしかに相手は自然でとても大きな現象だったら、君の対応力よりも
津波の方が大きければ、命を落とすことがあるかもしれない。
でもそれは仕方がない。それは自然の死に方の一つかもしれない。
でも君は最善を尽くしたのだから、それは諦めもつくことだ。
これが自然に向かい合うということなのだ。
と子ども達に教えたのです。これも非常に厳しい教え方だと思います。
(3) 「自分に向かい合え」これは“率先避難者たれ”という言葉で教えました。
率先避難者ということは、そのまま理解すると真っ先に自分の命を守りぬけと
言ってるのです。これは子ども達から反発がありました。というのは、子ども達には
特に中学生には、君たちは守られる立場じゃない、守る立場なのだと言ってました。
昼間お父さん、お母さんが仕事に行ってしまう。高校生は街の学校へ行ってしまう。
地域に残るのは、小さな子どもとおじいちゃん、おばあちゃんばかりだと。
君たちがしっかりして地域の一員としての役割を担うのだとこう言っていたのです。
そんな中で、子ども達に教えた三つ目というのが、
率先避難者たれ。真っ先に自分の命を守りぬけと言ってるわけですから、
子ども達の理解している倫理観からは外れます。子どもは僕にただちに言いました。
「先生、真っ先に自分の命を守るって、自分だけ逃げちゃっていいの?
先生、守られる人じゃない、守る人になれって言ったじゃないか」
というのが子ども達の素直な疑問でした。でも、僕は子ども達に言ったんですね。
「いいか。人の命を守るためには自分の命があって初めてできることだ。
躊躇なくまず自分の命を守り抜くのだ。守り抜いた上で君がやれることをやる。
これが一番重要なことなのだ」と子ども達に言ったのです。
それでもやっぱり子ども達は理解している倫理観から外れるわけです。
真っ先に自分だけが逃げる。何か気が引けるわけです。そこでそれを払拭するために
子ども達に言ったことは、「君が自分の命を守り抜くことは実は周りの多くの命を守る
ことにつながるんだ」と。どういうことかと言いますとね。
例えば火災警報器が鳴った時など誰も逃げないわけです。みんな不安な状態に居ます。
でも、その時に「君が勇気を持って一番最初に逃げてみろ」と。そうするとみんな
「逃げないぞ」と意思決定してるわけではなくて、不安な中で、皆であいつも逃げてない、
あいつも逃げてないと思いながら、みんなで慰めあうようにいる中で、
誰かが一人勇気を振り絞って一番最初に逃げると、もう堰を切ったようにみんながそれに
同調し始める。つまり「君が勇気を振り絞って率先避難者になるんだ。そうすれば、
みんながそれに従うようになる。いいか、君もだ、君もだ、君もだ、君もだと。それぞれが
率先避難者の自覚を持て。それによってみんなが逃げることが出来る」というふうに
言いました。
Q.3月11日 釜石の子ども達はどう行動したのでしょうか?
A.あの3月11日の2時46分です。その時に釜石の子ども達がとってくれた行動が、
家に帰っていた子ども、学校にいた子ども、様々なんですけど、どの子どもも一律にやって
くれたことというのは、とにかく揺れが収まるやいなや直ちに行動を始めてくれました。
釜石小学校、ここは生徒数が184人の小さな学校ですけれども、みんなが家に帰って
いました。海に魚釣りに行っている子どももいました。一人でゲームをやっている子ども
いました。いろいろな子どもがいたわけですけれども揺れが収まると、ただちに津波が来る、
もう学校で習ったままです。とにかく懸命に逃げることしか頭にないのです。そしてとにかく
でき得る限りの対応として、一番近い、一番高いところを目指してとにかく走り始めてくれた
のです。その時にたとえば家にいた子どもは、おじいちゃんが「わしゃ逃げん」と
言うのです。釜石は津波警報の第1報が3mと出まして、この後6m、10mと改定された
のですけれど、3mで情報が止まってしまった。おじいちゃんは、自分の家の前の防波堤
が6mある。「だから大丈夫だ、慌てるな、大丈夫だから」とこう言っている。しかし、
小学校の子どもはですね。学校で習ったままです。「津波なんてわかんないんだよ。
おじいちゃん逃げよう」と言うけれども、「大丈夫、大丈夫」と。
最後はですね(子どもが)本当に泣きじゃくりながら、おじいちゃんにまとわりついて、
おじいちゃんも仕方がないから「ま、行こうかな」って、孫の言うことですから、
付いて行って、そして命が守られている。本当に子ども達が自分の命を守り抜く
ということに対して、もう教えたままです。とにかく大きな地震の後には津波が来る。
だから懸命に逃げるのだ。この教えを忠実に守ってくれた。そして、それだけではない
のです。釜石の中学生は「僕らは守られる立場じゃない。もう守る立場なんだ」という
意識のものとで、避難の途中で、保育園の子ども達を抱きかかえて逃げています。
そして、足腰の悪いおじいちゃんやおばあちゃんの手を取ったり、車椅子を押したりして
逃げていてくれています。これによって守られた命というのは、本当に子ども達の自分の
命だけではなくて、弱き者を助けるというようなことまでやってくれていました。