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2016.12.25
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テーマ:徒然日記(22711)

今回の糸魚川の火災では被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

テレビを見ていたら被災された若い男性が「すぐに逃げるように言われたので何一つ家から持ち出せなかった」と言われていて本当にお気の毒でした。

しかし、東日本大震災では遠縁の女性(当時60台半ば)が石巻市沿岸で一旦高台の避難所に移動しながら「寒いから上着取ってくる」と近くの自宅に降りて戻り、

最後に避難所に着いた方が目撃した話によると

津波が到達して自宅一階は完全に浸水しており二階から「途方に暮れた表情で外を眺めていた。。」という話を聞いているので

「災害の時は身一つで逃げること」を娘と改めて確認しました。

その女性は、家ごと流されてしまい現在も行方不明のままです。

テレビを見て娘曰く「なんにも悪いことをしていなくても突然家が燃えるような災害に遭うこともあるんだね」と呟いていました。

日本海側、強風で大惨事の火災というと私は酒田の大火を思い出しました。

このブログのカテゴリに「酒田旅行記」がありますが、そこの記事の最後にあるリンクをクリックするとライブドアの別ブログに飛んでわずかな画像だけは見ることができます。縮小しているので小さいのが残念ですが。

そこに「酒田大火の時に火がついて燃えたけれど現在も生き残っているケヤキの木」の画像がありました。

確かにその木を見た記憶があったのですがネットではどこを検索しても出てこなくて、自分のブログで再確認した次第です。本間家旧邸の近くの神社の木だったようです。(10年前なので今も現存してるか分かりませんが)。

津波被害には遭わなかった我が家ですが2002〜6、7年ごろのデジカメで撮影した画像は保存していたハードディスクがクラッシュしてしまい、旦那が管理していたので閲覧はほぼ不可能な状態なのです。そういう意味でもブログにわずかでも画像が残っていて良かったと思ってます。

酒田の大火に関しては以前から興味があったので2006年に二泊三日で酒田を訪れた時、二日目に酒田市資料館に立ち寄り私以外入館客がいなかったので酒田大火関連のビデオを三本くらい見せてもらいました。

記憶にある範囲で印象に残っていることは

・土地柄親戚付き合いが濃厚だったので、火事発生から延焼まで時間があったこともあり親戚が車を出してくれて貴重品や家財道具を運び出せた家がかなり多かったということ、

・翌朝、記者が市長にインタビューしていましたが「大変なことになりましたね」とお互いを労っている感じが画面からリアルに伝わってきて今のようなマスコミが行政に責任の所在を問い詰めるような殺伐した空気が全く無かったこと、

・ 川岸で焼けた自宅を見ながら泣いている女性が何人も写っていたこと

・1976年の女性の服装というか髪にネッカチーフをかけている人が非常に多かったこと

です。

私が酒田を訪れた時は奇しくも大火から30年、今年で40年ということで資料館では来年一月まで大火の企画展をやっているようです。

レンタサイクルを借りて大火跡と思われる商店街を見て回りましたが大火の面影はほとんどなく、完全に復興しているように見えました。

酒田を去る最後の朝に短時間の間に再び自転車を借りて(料金が格安だったことを覚えています)

火元となった映画館付近を確認しに行って見ましたが完全に復興していて大体この辺かな?くらいの目星をつけたくらいしか分かりませんでした。

糸魚川は私が中学1年の終わりの春休み、富山から新潟市に向かう列車で素晴らしく絶景の日本海を見てその辺が「糸魚川」という地名だと知ったことを覚えています。

それ以来再訪の機会がなく、今回火災に遭った場所は元々ある大正・昭和初期に建てられた古い街並みが残っていた場所と聞いて二重三重に残念です。そういう古い建物が自然のままに残されている地域は現在滅多に見られなくなっていること、またそういう場所で火災が起きたらひとたまりもないだろうと思うと本当に残念でやりきれない思いがします。



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最終更新日  2016.12.26 00:39:09
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