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山口小夜の不思議遊戯

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2008年07月04日
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                  箱根権現(現:箱根神社)1986年当時

       2008年暮れ、透子さんが詣でてくださった箱根権現の現在はこちら
                  四半世紀の時を超え、映像の妙です。
                  ありがとうございます透子さん。
                      ■第五章 人柱

 【与一の語ること─前編─】

 現在、静岡県の三島市は湧き水にあふれる美しい町として有名ですが、これは富士山の湧き水ではなく、実は芦ノ湖から人工的に引かれた水であることを知る人はいません。

 三島市は江戸時代中期までは水資源の少ない土地で、農民たちは貧困にあえぎながら毎日を暮らしていました。けれども、山をひとつ越えればそこは芦ノ湖が満々と水をたたえているのです。
 あの水が引けないものか──その一帯の名主であった大庭源之丞は、幕府になんども直訴をしましたが受け入れられず、失意のうちに江戸から帰る折り、浅草の豪商に最後の賭けをしてみようと思い立ち、友野のもとを訪ねました。
 浅草に屋敷を構える生粋の江戸っ子であった友野は義侠心にかられ、この通水計画に私財を投じることを、ふたつ返事で承諾します。

 その後の数々の艱難はここに書くことはできません。
 ここでは、三島からは湧き水が噴き出し、水田は毎年五百町歩の勢いで増えていき──最終的には29ヶ村が潤ったとだけ書いておきましょう。

 しかし、箱根用水の通水成功を見た幕府は、友野の威光をよく思わないようになりました。
 友野は捕らえられ、工事にキリシタンの秘法を使った罪で、沼津の牢獄であっさりと斬首されます。
 時に友野与右衛門四十歳。
 妻りつとひとり息子であった十七歳の与一は手足の指を切られ、額に烙印を押されて長崎に流されたと伝えられています。現在の価値で十億を超えた友野座の禄は、幕府の取り崩しに遭い、その後、歴史に名を残すことはありませんでした──。

 さて、箱根用水の通水成功の影には、この一人息子の与一の存在が大であった、と私は睨んでいます。
 箱根用水について調べ始めたのは、私が十四歳の時でした。当時、私がこの年端もいかない少年に気を取られたのは、同じ年頃の少年が史実に顔をのぞかせたからばかりではありません。それは、私が箱根用水に関する多くの古文書をひもとくたびに、かの少年の記述についてのみ、不思議なことばかりが書かれてあったからなのです。

 ひとつに、友野は江戸の豪商であるわけですから、そのひとり息子は生まれた時から都会っ子であるべきです。けれども、与一は父に伴って深良村に居を移すなり、神懸り的な言動をよくするようになります。書にいわく、隧道内の掘削の際、明かり取りから煙が出て人夫が困っていた折り、与一がその寄り合いで「茅の実から油を取って、それに明かりを灯せば煙は出ません」と突如言い出し、みな不審に思いながらも言われたとおりにすると、不思議に煙で難儀することは以降になくなった──。

 また、隧道は芦ノ湖側と三島側の二箇所から掘り抜いたのですが、この二つの隧道がぴたりと合わなければ、さらに何本もの試坑を掘らなければならなくなるわけです。これを避けるために測量には相当の技術を要したはずのですが、当時の古文書には測量術についての記述はありません。

 ただ、「同じ長さの松明を隧道内に一直線上に焚き、火が一箇所から見てすべてひとつに重なって見えるように掘り抜いてゆけ」との与一の言により工事を進め、隧道は1mの落差でぴたりとつながったのです。
 これは、当時のヨーロッパの技術から鑑みても決してあり得ない、いわば世界一の精密さでもって運んだ事業でした。
 十四歳の与一が、どこでかような知識を得たのか──誰しもが疑問に思うはずです。当時の古文書の内容からも、周囲がこのことを不審に思っていたことが伺えます。

 やがて、そこここから噂が立ち始めます。
 与一は夜な夜な権現様の磐倉に通って天狗に会っている──これが、与一が箱根の山中深くに隠れ棲んでいた「何者か」と接触していた可能性を唯一示す根拠です。
 そのあたりは箱根連山に囲まれ、山賊も多く出没する土地でした。
 危険を賭して、夜な夜な山中に消える与一。村人たちはその姿に何を見たのでしょう。

 ただし、日中は至極聡明に工事に助言する少年の持つ独特な霊性と、神仏との交感を演じるその所作が、民に与える心理的効果は決して小さくはありませんでした。
 折りしも、島原の乱において十字架をかざして戦った少年が討ち死にして二十年も経っていない頃のこと、噂が噂を呼び、与一がその姿を現すと人夫の数が倍増、ひいては周辺の村々からのべ八十万人を動員し、十七年かかると予想されていた工事は、わずか三年半で完成してしまいます。

 芦ノ湖より上の地形にあって、深良村の幸運を始めからよく思っていなかった小田原側のよそ村の者の口から、これらの“不可思議”が次々に幕府に注進されていきます。
 友野が斬首にあったことは申し上げましたが、与一はそれからさらに数奇な運命をたどることになります。そして、歴史に埋もれたはずのこの少年の生涯を、私は不思議な縁で知ることになるのです──。

 さて。字数の関係で、この後はまた、次回の更新でお話しさせてください。

 与一は、本当にキリシタンだったのでしょうか。
 与一は、箱根山中で誰に会っていたのでしょう。
 さあ、かれ自身が、語り始めます── ■第五章 人柱
 


 ◆応援ありがとうございます!
  いつも本当にありがとうございます。励みになります。
  次回更新は7月17日(木)●江戸幕府●です。

  次回更新までの間に、私にとって待ちきれないイベントがふたつ──
  あさって7月6日(日)、浅草花川戸から屋形船に乗せていただきます^^
  天麩羅食べ放題だそうです☆ (私は穴子といも天が好きぺろり
  本当はすごく高いんじゃないかなぁ。
  この経験もまた、今後の一章分の糧となりそうです。

  7月13日(日)は、親子で富士登山を計画しています。
  今回は河口湖口から入ります。どこまで登るやら──

  ちなみに。
  来週7月8日、9日は美祝の初めての「お泊り保育」で、
  パパは今から号泣しています号泣(しょうもねぇ…)。


  
  





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最終更新日  2009年01月07日 18時22分51秒
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