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2015年10月12日
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カテゴリ:国内「ゆ」の著者
「家を建てる」が口癖だった父は、理想の家族を夢みて、払える金もないのに、いきなり立派な家を建てた。しかし成人した娘たちも、16年前に家を出た妻も、その家に寄りつかない。そこで父はホームレス一家を家に招き、ニセモノ家族と一緒に暮らし始めるのだが……不気味な味わいの表題作は、泉鏡花文学賞を受賞。ほかに、不倫する女が体験する、不倫相手の妻の奇矯なふるまいを通して、家族の不在をコミカルにえがく「もやし」を収録。才気あふれる2短篇。(内容紹介より)

柳美里『フルハウス』(文春文庫)
ゆう柳美里・フルハウス.jpg
◎人生の断崖にいた柳美里

 柳美里(ゆう・みり)は、在日韓国籍の女性作家です。世間では破天荒で、お騒がせ作家と評されています。しかし発表された作品群は、いずれも高い水準のものばかりです。今回はそのなかから3作品を選んで、柳美里の世界に迫ってみたいと思います。

 小説家デビュー以前の柳美里を、端的に表わした文章があります。

――柳美里という作家の誕生に思いを馳せるとき、ある種の痛苦を感じざるをえない。家庭崩壊、いじめ、家出、自殺未遂……。彼女の苛酷きわめた原風景に、作家という道を選択せざるをえなかったひとりの人間の人生の縮図のようなものを幻視してしまうからだ。(『解体全書neo』ダ・ヴィンチブックス)

 人生の断崖にいた柳美里は、ある劇団に身を寄せます。そして1988年(23歳)のときに、初めて『水の中の友へ』という戯曲を書きます。続いて書いた戯曲『魚の祭』(角川文庫、初出1993年)が岸田國士戯曲賞を受賞して話題となりました。

 1994年(28歳)、初めての小説『石に泳ぐ魚』を発表します。本書はモデルとされた腫瘍のある韓国人女性から訴えられ、発禁処分となります。その後発表されたのが、今回紹介される『フルハウス』(文春文庫、初出1996年)なのです。

 柳美里の著作を最初に読んだのは、エッセイ集『家族の標本』(角川文庫。初出:朝日新聞社1995年)でした。大丈夫なの、ここまで書いて。読後に何度もそう思いましたし、著者自身も最後の章「妹と逢わなくなった理由」でこう書いています。

――この連載は実在する家族をモデルにしているのだが、抗議があったことはない。一度だけ妹の友達の家族を書いたときに、「もう二度とK子に逢えないじゃない!」と妹から怒りの電話がかかってきた。(『家族の標本』より)

 柳美里のテーマは、〈家族〉と〈私〉です。それは苛酷な体験から、生まれ出たものです。在日2世に対する差別。小学校1年生でいじめ。父は競馬狂い。母はキャバレー勤め。小学校5年で母と弟と家出。高校も放校処分。劇団への入団。役者の道を断念。戯曲の執筆……。

◎『フルハウス』を執筆した理由

『フルハウス』(文春文庫)には、標題作と「もやし」という中編小説が収められています。「フルハウス」は妻に逃げられ,2人の娘にも独立された、父親の滑稽さが描かれています。彼は家族を呼び寄せるために、家を新築します。しかし一度バラバラになった家族の絆を、修復させる役には立ちませんでした。

 そのことを、長女である主人公「私」は父親に伝えられません。そこへ貧しい一家が住みつきます。「フルハウス」は安部公房の『友達』(新潮文庫)を連想させられる、奇妙な物語です。

「もやし」は知恵遅れの男性と見合いをし、その男との交際を通じて〈家〉への希望が語られています。すぐに他人に左右される男性とその家族の、希望と絶望の狭間に揺れる姿が、克明に描かれています。

 柳美里はなぜ赤裸々に<家族>を描くのかについて、次のように書いています。

――私の父や母が過去にとった行動は、そのときの私に苦痛をもたらし<恨>=ハンとなって私のなかに存在しつづけた。だが年月を経ると、それがある種の感動を生み出す。何故なら書くことによって、<恨>を超えることができるからだ。(『本の話』1996年7月号)

 柳美里の作品について、松浦理英子は次のように書いています。
 
――柳さんのデビュー作以来のモチーフは、他人との共生の可能性を探ると言っていいと想う。(『波』新潮社1996年9月号)

 私には著者の作品から「在日」の匂いはまったく感じ取れません。竹田青嗣(文芸評論家)は「在日の生の深い感触が響き続けている」と言っていますが、それがないから柳美里作品は光っているのだと思っています。
 
◎『家族シネマ』から『女学生の友』へ

 芥川賞を受賞した『家族シネマ』(講談社文庫)は、『フルハウス』の続編にあたります。両親が別居しており疎遠になっていた家族が、女優になっている次女の要請で、映画に出演する話です。バラバラだった家族が、監督の指示で一生懸命に「家族」を演じ続けます。

 柳美里は作品集『女学生の友』(文春文庫)でも、同様のテーマを追求しています。表題作「女学生の友」は、老人とコギャルをめぐる話。主人公の弦一郎は、大手食品会社を定年退職しました。妻の死後、息子家族と同居するために、古い家をリフォームして2階に住んでいます。

 食事は一緒にしません。「うまい」などと、お世辞をいうのが苦痛だからです。弦一郎は毎日が退屈でたまりません。経済的には年金の支給も受けており、何不自由はありません。

――弦一郎は息子にも娘にも娘の子どもにも感じない肉親の情を孫娘の梓にだけ感じるのが不思議だった。二年まえ自殺を試みようとしたとき、法的に孫に遺産相続させられるかどうかは定かではなかったが、一千万を梓に遺すと遺書に記した。(本文より)

 そんな弦一郎はひょんなことから、梓の幼友達だったコギャル・未菜と知り合います。彼女は抱えきれないほどの、悩みを抱いています。離婚中の父親からの仕送りが途絶えて、お金がありません。友人の妊娠で、処理用のカンパ費用が必要です。定年退職で「やるべきことがない」弦一郎と、お金がなくて「やりたいことができない」未菜。

 その2つを満たす方法としての援助交際。弦一郎と未菜の奇妙な関係がはじまります。

 柳美里は作品のなかに、コギャルたちの会話を巧みに挿入します。それが弦一郎の呟きと好対照をみせて、作品に濃淡をつけています。短いセンテンスで機関銃のように話すコギャルたち。常に社会という範ちゅうから、思考をはじめる弦一郎。「女学生の友」は、完成された密度の濃い作品です。

 もうひとつの収載作「少年倶楽部」は、小学生の性への憧憬を描いています。少年たちは、強制的に熟通いを強いられています。遊びを制限され、有名中学へ入ることだけが、人生の目標になっているのです。

 彼らの家庭はすさんでいます。父親の浮気や暴力。母親の執拗な監視。そんななかで少年たちの欲望が膨らみます。女の体への興味から、彼らは集団レイプを計画します。

 また主人公の駿は、幼友達の亜美から「日曜日、うちにこない? あたしひとりなの」と誘われます。誘いの意味を、駿は何となく理解しています。

 抑圧された日常における、少年たちの夢想。大人たちの身勝手な理論。「少年倶楽部」は、柳美里らしい歯切れのよい短篇です。

 2つの作品は、老人と少年少女の性を取り上げていますが、それは作品の中心ではありません。じっくりと作品を読むと、登場人物のもっと深刻な声が聞こえるはずです。
(本稿はPHPメルマガ『ブックチェイス』1999年9月26日号に掲載されたものを加筆修正しました)

◎消える命と生まれてくる命

 柳美里『命』(新潮文庫、初出:小学館2000年)は、著者自身の生の記録です。家族崩壊をテーマにしてきた著者が、渾身の力で書き上げた家族再生に向けた実話です。

 表紙には赤ん坊を抱く、おそらく本人であろう写真。赤ん坊の濁りのない瞳が、しっかりと母親を見据えています。中表紙には、大きなお腹の本人の写真。視線が遠くにあり、満足のかけらも認められません。そして「故・東由多加に捧げる」の一行。この作品を暗示して、あまりある3つの現実があります。

 著者は執筆や取材で、多忙な毎日を過ごしています。そんななかで、妻のある男の子供を身ごもります。妊娠を知った男は、次第に豹変します。最初は「お願いだから、元気な子を生んでくれ」といっていた男が、少しずつトーンダウンしはじめます。中絶か出産かの狭間で、著者は揺れます。

 いっぽう著者はミュージカル劇団時代の演出家・東由多加が、末期癌に直面していることに悩まされています。著者と東由多加は、太い絆で結ばれています。

――東が癌にならなければ、わたしは堕胎していたかもしれない。ひとつの命の終わりを拒絶した者に、どうしてもうひとつの命のはじまりを奪うことができるだろうか。わたしは胎児と癌というふたつの存在が、命という絆で結ばれたような不思議な感覚を持った。(本文より)

 生きてこようとしている命。消え去ろうとしている命。著者の心は、乱れます。ときには涙し、怒り、こらえます。出版社の編集者や古くからの友人(町田康夫妻)らの支えがなければ、空中分解しそうなほど、極限まで追い込まれます。柳美里の作品を、数多く読んでいるだけにやるせません。

 この作品は、失ったあまりにも大きな命と、生れてきた不遇な命との対比でとらえてはいけません。命にはそれぞれの自己があり、第三者に与える希望があるのです。

 柳美里は、いつ家族再生を書くのでしょうか。この作品で改めて「命」の価値を教えられました。そして親子・家族・友人などの尊さを再認識させられました。強いとばかり思っていた著者の内面を赤裸々に吐露した、崇高な「人生論」に出会った気がします。
(本稿はPHPメルマガ『ブックチェイス』2000年9月12日号に掲載されたものを加筆修正しました)

『命』はその後「命4部作」として、『生』『魂』『声』(いずれも新潮文庫)へと書き連ねられます。柳美里は現実を紙の上に書き写す、稀有な作家です。
(山本藤光:2000.09.12初稿、2015.10.11改稿)





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最終更新日  2017年10月12日 09時04分50秒
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