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カテゴリ:眼差し
最初、冗談ではないかと思ったほど。 自殺サイトで出会った人同士がいっしょに死ぬ、集団自殺するという事件が起こったとき、 いわば太宰治の心中と同じだから、 正直、違和感はあまり感じなかったわたくし--- けれど、 復讐サイトという言葉を聞いたとき、 ましてや、そこで「復讐を依頼する」「復讐の代行サーヴィス」が行われたと聞いては、 現実社会の漫画化がこうも安易に進行しているのかと 正直、呆れ果ててしまいました。 時代劇の『必殺仕事人』や『仕置き人』でさえ、 当人に代わって恨みを晴らすシチュエーションは、 非道な目にあって亡くなった人の恨みを、 本人に代わってプロたちが晴らしてくれるというもので、 恨みを残して死んでいった人を哀れと思う気持ちと 彼や彼女を死に追いやった相手を法では裁けないゆえに天誅! そういった要素があったゆえに人気を博したけれど、 仕事人たちには、人を殺めた以上、いつかは獄門晒し首だという自覚があった。 復讐サイトなるところ、あまりに笑える代物なれど、 家事の代行サーヴィスのように「復讐」の代行を頼めるのだと 本当に発想し考えている人たちがいるのだとしたら、 あまりに浅薄すぎて情けなくなります。 単なる「仕返し」「嫌がらせ」を、 そもそも「復讐」と言ってしまう、言ってしまえる感覚----が、 あまりに情けない。 サスペンス小説の定番の一つ「交換殺人」もどきの稚拙で卑劣な事件が、ネットの≪復讐サイト≫なるところを通して行われたという報に接したとき、わたくしが感じたのは、 上述したように「情けない」でした。 人間の「復讐」という行為、そうした感情や情念を、 少しも想像できないのかしら。 復讐というものが、いかに悲劇そのものであるか。 それが分からない人間が増えているというのなら、 その悲劇の代表のような王女メディアの思いを義務教育課程の中学で取り扱ってもらいたいほど。 ----そういえば、昔、新橋演舞場で玉三郎主演の舞台を見たことを思い出しました。王女メディアを女形の彼が演じたせいか、悲劇性が、実に≪劇的≫に演じられていたように記憶されています。それほど「復讐」というのは、劇においても実に心揺さぶるドラマティックな題材となるほどに凄まじい人間の情念の一つなのです。 佐木隆三の小説とそれが映画化された『復讐するは我にあり』のように、 聖書からタイトルが引用されるほど、「復讐」は聖書にだってある(聖書だからこそ、というべきかしら)実に強力かつ普遍的な人間のサガの一つ。だからこそ、手段を選ばないほどに激しくもなる。というより、通常は選んでいられるような余裕もないほどに切迫性や激情性を内包した感情です。 サスペンスドラマではお馴染みの「交換殺人」を、仮に、計算するクールさをもった「復讐」だと想定できたとしても、そのような発想で「復讐」ができると考えている人間が本当にいるとは---- 呆れ果てました。 そういう人間が増えているのなら、そしてこれから増え続けていくとしたら、 ネット世界を監視して取り締まるサイバー警察の創設こそ、必要かも。 もう、漫画=現実ですね。 ←呆れてしまったという思いをご理解いただける方、ポチッとご支援くださいませ。m(__)m 冒頭の画像は、 急に取り上げてみたくなったゴヤの「魔女の飛翔」という作品です。 自由にご鑑賞いただければ幸いです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Nov 15, 2007 12:08:55 PM
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