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2015.12.06
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カテゴリ:私の歴史
下の画像は、芦安温泉から桃木鉱泉(今は桃木温泉と言う)へと走りそこで一泊、夜間、家内を旅館に置いて夜叉神峠まで走って遊び、翌朝再び登って夜叉神峠まで走ってこの写真を撮りました。(砂埃にまみれたボディーの汚れは、主に前日夜間の林道を全開で走った時にかぶったものです。)その日は野呂川の広河原まで降りて、川の水と戯れたが30秒以上入ってはいられないほど水は冷たかった(8月の1日頃。)



TE47トレノはラリーをやっている友人に譲ってもらった。友人とは知っている人も多いと思うがM・A言う著名なラリーストのナビゲーターをやっていたS・I氏のことだ。

ハコスカGTXとの性格の違い際立っていたが、スロットルを開けてオバーステアに持ち込める楽しさを覚えた車です。下の(画像は野呂川沿いを下流に向かって走り、奈良田湖の湖畔で撮影した。下流で早川となるが近年大雨による水害に遭っており、支流の雨畑川の中流は土石流で谷が大量の石で埋まっているのを2年ほど前に見た。その為か雨畑渓谷の最上流にある山伏峠は道路損壊の復旧工事でいまだ通行不能だ。この写真を撮る時、少し戻って上流に車を向けたので、実際に走った方向とは逆を向いている)



下の画像は、2013年の雨畑川の上流を目指して走った時の画像です。大量の土石によって埋まった谷と崩壊した山の斜面、草が生えていない異様な河原が見て取れる。



トレノGTを譲ってもらった後、2TGのエンジンにTRDのパーツを多く組み込み、ハイカムに入れ替えてからはオーバーラップが大きくなって75mmの長さのエアファンネルをむき出しにしてエアクリーナーを使わなかったことが多く、吸気音はとんでもなく快感だった。ただ、4つのうちの1つのエアファンネルの一部を削らないとブレーキマスターシリンダに干渉したので効率の均等さには欠けていた。吸気音のためにはそれで十分だったとは思うが・・・笑。

鍛造ハイコンプピストンだったがピストンリングが2本しかないからオイルがガソリンでよく希釈されるのでオイル交換はまめにしなくてはならなかった。

周りはオーバーサイズの1750ccにボアアップしたり、ストロークを変えて2000ccまで排気量を上げるのが流行になって、1600ccの非力さに苦しんだが、それでもおよそ135馬力は出ていたと思う。筑波サーキットでのベストタイムはラジアルタイヤで1分17秒の後半だった。そのころ行われていたラリー車のレースでの同車種のタイムとほぼ同じだった記憶がある。

クラッチはフェロードのレース用だったがレース用ハイクロスの1速~3速ミッションキットを入れたもののデフは当時4.7:1だったか?のモータースポーツ用が欠品していてノーマルギア比で乗っていたので5千km程度でクラッチを交換していた・・・。

2ピニオンのリミテッドスリップデフながら、目一杯ロックし易い側に調整していた。

そんなデフとミッションだったから1速で90Km/h出る仕様になっていて、山岳路ではそのハイギアードな1速に入れられるためパワーをかければ簡単にテールが出た。

だが半クラッチが長いためクラッチ板はすぐにイカレた。ある日多摩丘陵のダートラ競技に出たが、ゴール前の上り坂がきつすぎてこの車の1速では登れず、30m程の坂をすべて半クラッチで登る羽目になり、そのことで殆どクラッチを痛めてしまったこともあった。

クラッチ板の交換はいつも深夜に駐車場で自分でやったが、低いジャッキアップで交換した時、腹の上にミッションを下して車の下から出ようともがいたが、シフトレバーがトンネルに引っかかりなかなか出られず・・・、T50ミッションの重さで死ぬかと思ったことがある・・・。
外を歩く人の足音に思わず「助けてくれ~・・・」と叫んだが聞こえなかったらしく、30分の格闘の後なんとか生き延びた・・・・。

ソレックスキャブレターのエアージェットオリフィスをニードル弁式に改造してチョークワイヤーと同じワーヤーでニードルの取り付けねじを回せるように作り、エアー量を運転席から可変できるようにして高度の変化に対応させた。これは高度の上がる山岳林道では抜群の効果を発揮したが、オリフィスジェットの穴径による固定設定式に比べ、テーパーニードル式は僅かな高さの変化で空気の流量が変化し、4基のキャブレターのバランスを取るのは非常に困難であったため平地でのベストセッティングにはかえって使い辛く、しだいに使わなくなった。今思えばテーパーニードル式にしたのは欲が深すぎで、段付きニードルの2段式程度にすればかなり安定したものになったと思われる。

ストックではソレックス40のベンチュリーにスリーブが入っていて実際のベンチュリー径は32mm程度まで絞られていたと思う。それを外して自作した口径の大きなベンチュリーに付け替えたりしたが、これは難しかった・・・、なかなかスムーズに空気が流れないらしく殆どかぶってしまうので、何度もベンチュリーのカーブを削り直したが、結局上手くいかなかった。

ラリー仕様のトレノにエアコンをつけて仲間からは笑われたが、アクセルを全開にするとエアコンが切れ、次に回転数が2000rpm付近まで下がらないと再びエアコンが入らないような回路を作ったので、パワーロスは起きなかった。この仕組みは今でもクランク軸からエアコンの動力を受けている小排気量の車には効果的と思われる。

回転が2000rpm以下に落ちたことで入るスイッチがなかなか作れず、ラジェーターファンの風圧で動作(B接点利用)するようにマイクロリミットスイッチのレバーの先端に小さなウチワをつけて、風圧感応式のエアコン復帰スイッチを作り上げた。ディーラーの若いメカニックはそれを真似して自分のレビンやトレノにエアコンを導入していた・・・笑。

足回りはラリー用のガスショックで、フロントのコイルスプリングは切詰めて短くし、ロワーアームは溶接のガゼットを付け足して延長してキャンバー角は垂直になるようにし、トーインはゼロにしていた。

その他、フルバケットシートに5点式シートベルト、ジュラルミンアンダーガード、なども取り付けていたがロールバーは入れたくなくて、本格的な競技には出られなかった。ヘッドランプはマーシャルのダブル反射板式のもので明るかった。

長く乗っていたかったのだが、路上に停めてあった時、激しく追突されて電柱との間に挟まれて全損となり、取付けてあったチューニング部品は友人であるトヨタのメカニックにすべて譲った。(その頃は簡単に売れるヤフオクが無かったし、それどころかパソコンさえ全く普及していない時代だったからだ・・・。)





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最終更新日  2015.12.20 15:21:15
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