可哀想な道具
秋葉原の事件や、厚労省の元事務次官の事件で、凶器としてのナイフが取りざたされた。規制すべきと言う世論に押されて、銃刀法が改正された。オイラは前にも書いたが、一時期ナイフ収集を趣味にしていたことがある。道具としてのナイフは、惚れ惚れするくらい素晴らしいものだ。海外に行っても必ずアウトドアの店、刃物専門店、古道具屋などに行って、その地方のナイフを出来るかぎり買うようにしていた。カナダに行った時は、古道具屋に行ってナイフを見せてもらうと、そこにいた暇そうなオヤジたちが集まって、これがいい、あれがいいと、侃々諤々楽しかった。カナダでは、観光ホテルの売店にも、スウェーデン製のフォールディング・ナイフがおいてあったもんだ。パリに行った時には、オピナルのナイフが“贈り物”として、街中で売られていたし、ハワイでも専門店があった。台北では、台湾独特のナイフに会えるかと楽しみにしていたが、売っている店がついに分からず、結局、Kershowの魚用のナイフで涙を呑んだ。日本には、優れた鋼があり、優秀なナイフ作家や、刃物鍛冶の伝統を受け継いだ職人たちが多くいて、本当に世界に誇れる刃物製造の国なのである。それが、一部の犯罪者のせいで、ナイフが悪者になる風潮は、オイラには堪えられないし、愚かしいことだと腹立たしい。「物づくりの国」などともっともらしいことを政治家が言うなら、このナイフ規制さえすれば、犯罪が防げるなどという見当違いの愚行を食い止める義務がある。これがいかにイカサマかということを証明しよう。厚労省の元事務次官の事件で、ナイフがまた関与という報道がでた直後、凶器が柳刃包丁だったことが判明した途端、凶器についてはまったく言及されなくなった。柳刃包丁を規制しろという声は、どこからも挙がってこないよね。ナイフを悪者にしても、何にも解決しないよ。犯罪の対策とも言えないな。