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テーマ:暮らしを楽しむ(383663)
カテゴリ:エンターテインメント
その成立の過程と、一人歩きしていった行方と、またその原点に還ったとでもいうリフレインのような構成のドキュメントである。 「花はどこへ行った」に関する新しい知識が増えた、それもほお~っ、へえ~っというたぐいの感心する驚きの体験をさせてもらった。 さて、「花はどこへ行った」はいつから世界に広く知られるようになったのでしょう? わが家にもマレーネ・ディートリッヒの「花はどこへ行った」がある。50歳を過ぎて歌手として見事に再生していったディートリッヒの最愛の歌でもあった。もともとは孫であるデヴィッド・ライヴァがまとめたドキュメンタリー「真実のマレーネ・ディートリッヒ」(2001)における慰問先の映像を見てからより興趣の倍加した歌であるが、そこには時としていま在る現実と拮抗するごとく、そのことばはそこに無い花をどこかへ持ち去った相手と切り結ぶとでもいった歌いっぷりのディートリッヒがいて、ドイツ語のせいもあってなかなかにラジカルなものであった。 くらべるとCDはよりひそやかな印象がするが、歌にある主題は切々と伝わるものであった。 (設問の答えは、ヴェトナム戦争で兵士たちが歌ってから、です) ということは、大戦時の、リリーマルレーン、ヴェトナム戦争の、花はどこへ行った、ですな。 この歌の生みの親はアメリカン・フォークの始祖とも言われるピート・シーガーだが、そのモチーフはなんとロシア⇒ミハイル・ショーロホフの大長編「静かなドン」の中にある子守唄であったというのである。しかもピート・シーガーの造ったのは3番までで、これにあと二つ、つまり5番までつなげて一番へとリフレインするような曲想を別の人間が仕上げたという。 これは、うた自体が輪廻転生、というような話ではないか! もうひとつ書き添えたいエピソードは、サラエボで金メダルを取ったカタリナ・ビットがリレハンメルでこの「花はどこへ行った」をバックに滑ったというのである。サラエボの内乱に心を痛めたビットが祈りをこめたその滑りも改めて見ることが出来たが、同じドイツのディートリッヒ⇔カタリナ・ビットの時間差連携も嬉しいけれど、敬愛する二人がそんな時空を超えたところで心を通わせているというのがいつに無く心温まる感じだったね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 9, 2006 11:25:25 AM
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