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Noriko's Cafe♪

Noriko's Cafe♪

理絵さん


*** フロリダ州で出会った友人、理絵さんの証し ***


東京都新宿生まれ。


紳士服のテーラーの父とマスコミ関係で働く母。二人ともおしゃれで目立つのが大好きな「ど派手」な環境。仕事と自分の事に忙しい両親は、私が10歳の時に離婚。引っ越しを繰り返し、精神的に不安定な生活が続く。シングルマザーとなった母と住み始めてからの私は、自由奔放でやりたい放題。いろんな事をさせてもらった。母に画家で酒乱の彼氏がいたのもこの頃だった。


他人の目を気にし、悪い事も良い事も同時にこなして「かっこよく」目立ちたかった青春時代。いつも背伸びしている感じ。 自分の不良行為を全て両親の離婚のせいにしていた。


悪:校則違反、親と先生への反抗、いじめ、万引き、 化粧、たばことお酒、夜遊び、オートバイ、タトゥー 、盗み、嘘、不特定多数の異性との交際。


良:学級委員や生徒会、成績、ブラスバンド、ピアノ伴奏、留学。


日本を逃げ出すかのように、また、新しい自分と希望に満ちた将来を求めるような思いで16歳の時に渡米。交換留学生として高校をなんとか終えたが、遊びほうけてしまったシカゴでの大学時代。


遊ぶ為だけの交際を何度も繰り返し、心身ともにどん底に落ちてしまいそうな頃、8歳年上の社会人/軍人と運命の出会い。落ち着いていて頭の良い計画性のある彼に色々助言を貰い、天使に救われたかのような思いがした。1年半の交際をへて結婚。すぐに長女を身ごもった。


結婚生活のはじめの4~5年は、慣れない事だらけで簡単ではなかった。家事、育児、お金の管理、禁煙、夫婦&親戚関係。英語でうまく表現出来ないし、争いは面倒だから、という理由で感情をおさえたり、コミュニケーションを避けていた事が多かった。それが互いのストレスとなり夫婦喧嘩も多かった。離婚の危機も体験した。


2002年3月、厳しいシカゴの冬はもう耐えられないからか?一応将来の事も考えたのか?義母のいるフロリダ州へ思い切って引っ越し。今思えば、仕事も家も決めないで、よくもそんな大胆なことができたものだとビックリする。そこでの忘れもしない9ヶ月間。小さな義母の家に家族4人(私、主人、長女、長男)で居候。私たち夫婦と義母との関係がうまくいかず精神的に辛いときを過ごした。でも、それがきっかけで夫婦の絆が強くなった感じ。


2003年12月、南フロリダでは良い家も仕事もうまく探せず、義母との関係にも疲れきったため、主人の軍の仕事があるオーランドへまた引っ越し。新たな挑戦に挑む。


2004年3月、主人がイラク戦場へ。引っ越してまもない、慣れていない、誰も知らないオーランドで子供二人とアパート暮らし。彼が偶然、車で通り過ぎた教会とプリスクール。ちょうど子供たちの学校も探していたし、教会へは結婚してから義父母との付き合いで何度か行った事もあり、主人も私がいつかは信仰をもつように、と願っていた。ちょうど良いと思った。


プリスクールの当時のディレクターが心優しい女性で、イースターの祭日には、見知らぬ私たちを彼女の家にまで招待してくれた。その教会でたくさんの人々に出会い、家族のように受け入れてもらい、すぐに馴染み、自らバイブルクラスをとり始めた。


でも、そのクラスをとった正直な理由は、教会の会員になると、プリスクールの学費が安くなると聞いたからだった。聖書を読みたい、イエス様の事をもっと知りたい、天国へ行きたい、クリスチャンになりたい、などは一切頭に無かった。なんという動機だろう。


ただ、教会にいるだけでものすごく安心感が得られた。それは言葉では説明出来ない心の平安でもあった。イラクにいる彼と連絡とれない時や、ニュースを見て心配な時など、とにかく心細くって何かにすがりたい思いだった。毎週日曜の礼拝に行く度、牧師が軍人の事を祈る度に泣き崩れた。子供たちの前で「強いしっかりした母」でありたかったが何度も泣き崩れた。それでも時が経つにつれ、泣く回数は減り、新しい友達(クリスチャンが多かった)が増え、笑う回数も自然と増えた。


その年の夏、オーランドにはとっても珍しいハリケーンの上陸が3度も立て続けにあった。まるで神様が私にテストをしているかのようだった。でも、私はびくともしなかった。逆に「強い母」として自信が与えられた。希望も与えられた。


秋になり、教会のクラスも終わりに近づいていた。ある日曜の礼拝中に舞台で 新メンバーを紹介してくれるらしかった。「洗礼は受けましたか?」と聞かれ、「いいえ。」と答えたらすぐに11月11日と決まった。そしてその直後、「今ワシントンDCに着いた」という主人からの連絡。驚きのあまり教会の廊下で叫んだ。1年契約だったはずなのに、急遽9ヶ月に縮まったらしい。なんというタイミングだろう!


洗礼を受ける数日前に彼が無事イラクから帰ってきた。まさにお祈りの答えが与えられた思いだった。神様ありがとう!まさにその思いひとつだった。


(ここには書ききれないほど、もっと沢山の劇的な人生ドラマを経験したが)こんな事があって今の自分がいる。


今日、人生の最高のパートナーと3人の子供を授けて下さった神様に心より感謝します。キリストを知る前の自分と今を比べると、外見はあまり変わりなくても中身は別人。今でも怒るし、悲しむし、がっかりもする。ただ幸せで恵みにあふれ笑っている事の方が断然多い。誰かのために何かしてあげる事の喜び。文句が減り何事にも感謝。他人の目やつまらない小さな事があまり気にならなくなった。人間関係よりも神様と自分の関係の方が大事。自分に与えられた賜物を多いに使ってもらいたい。素晴らしいこの思いを多くの人に知らせたい。主がお造りになった自然を観賞する度に感動する。主に仕えるクリスチャンの兄弟姉妹には輝いている人がたくさんいる。人間それぞれ色々な人生を歩む。どんなに平凡でも、荒れ狂っても、神様を信じて全てを委ねる事が出来る人生は最高だと思う。それに気付くのが30代、40代、60代、80代になっても決して遅くない。主に在って他人と共に成長し、お互い助け合って生きていきたい。過去の自分のように「何かをしたから目立つ」なんて、自分でスポットライトを用意しちゃうような事はもう問題じゃない。だって神様を信じるとその栄光が私を照らし、自然と光り輝けるから。少なくともそう願えるから。


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父なる神様、こんな私ですが、引き続き知恵と勇気を与えて下さい。貴方は、恥ずかしい私の過去の過ちを全て知っておられます。それでも愛をいっぱい与えて下さいます。私の心を知って下さる事を心より感謝します。この私の証しを読む多くの人々の心にも貴方の愛が届きますように。貴方を信じて今日一日を歩めますように。御名によって、アーメン。


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何事でも神の御心にかなう願いをするなら、神はその願いを聞いて下さるという事、これこそ神に対する私たちの確信です。私たちの願う事を神が聞いて下さると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。
第一ヨハネ5:14-15


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何も思い 煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもって捧げる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知って頂きなさい。
ピリピ4:6


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私は、私を強くして下さる方によって、どんな事でも出来るのです。
ピリピ4:13



理絵(フロリダ在住の友)


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