テーマ:障害児と生きる日常(4431)
カテゴリ:ひとり言
例年に比べ気温の差が激しい日々に戸惑いを覚えるこの頃です。 体調も狂いっぱなしで、ホトホト…。 今日は曇り空。カーテンを開くと、前の空き地(集合場所)に集団登校する子供達が賑やかに集まってきています。 その中には1人の保護者が混じっています。 子供さんが小学1年生から、雨の日も風の日も…手をつなぎ、共に登校してきました。 子供さんは自閉症です。 今年で6年目になります。 さすがに今は手をつないではいませんが、500mほどの道程とは言え、登下校を共にすると言う事は、並大抵の事ではありません。 3年前、その子供さん宅より300メートル離れた隣の地区より同じ自閉症の子供さんが、お母さんに手をつながれて登校を始めました。 3年生のそのお子さんは、未だお母さんと手をつないで道を歩いています。
6年生のお母さんは、療育にとても熱心で、地域の障害児の親の会を引っ張るリーダー的な方です。 (私が住む地域は人口も少なく、障害児の数にもムラがあり、障害児学級に入る生徒が無い年が続く事もあります。また、閉鎖的な考えが未だ蔓延っていますので、親の会のようなものが中々持続しません) 約8年の年月の中で、W(6年のお母さん)さんは只管に障害児みんなの為に頑張ってきました。 小3~中1の障害児の親御さんたちも、同じ様に熱心です。
私の子供とは年も離れていますので、お役には立てない先輩母親、傍観者としていただけです。 そんな私に、数ヶ月前Wさんが浮かぬ面持ちでこう言いました。 「もう、疲れました」
Wさんにそう言わせたものは何か、私には痛いほどに理解が出来ます。 この地域の公立の小学校の場合、校長先生は長くて5年・短ければ2年で移動します。 就学前に入学後の教育について学校と保護者が話し合っていて、安心して入学したら、学校長は他の学校へと代わられてしまっていた、と言う事もあります。 私の友人の息子さんも、同じ様な目にあいました。 Wさんの場合は、学校長が3人替わりました。そしてその3人の学校長が障害児教育に対して考え方が違ったのです。 けれど6年間、担任は同じ先生でした。とても物静かな担任の先生は、【障害児学級のベテラン(?)の域に達している】との見方をされる学校関係者がいますが、残念ながら、【ただ長年障害児を受け持っているというだけ】と、言われる方も多くいらっしゃいます。 毎日のようにWさんとそのお子さんを見ている私には、小学校入学以降、残念ながら驚くような成長を感じられませんでした。 友人が地元中学や県内の公立の養護学校ではない、私立の養護学校への進学を進めていましたが、Wさんは手元から放さない事を決めたようです。 「小学校の担任より未だ静かな担任先生が待っている中学校へ行っても成長は望めない事は分っているんですけれど」 溜息混じりでそう話すWさんに、 「療育は持久走よ、マダマダこれから先は長いのよ。一息ついたら、又一緒に走りましょ! 友人も心配してるよ」 そう云うのがその時は精一杯でした。
Wさんと子供さんの後にも続いてきている人たちが多くいます。 へこたれず、ガンバッテイキマッショイ!
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最終更新日
2007年11月27日 14時22分48秒
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