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2012.05.29 楽天プロフィール Add to Google XML

シャボン玉を素材に科学しよう

なぜか、シャボン玉についての問い合わせが相次いでいます。

シャボン玉日よりなのでしょうか?

確かに、シャボン玉は、手軽で子どもたちに喜ばれます。

 

ただただ、遊ぶのも、それはいいのですが、

こと、科学の力をつける一助にするには、

目のつけどころのヒントが必要になります。

つまり、ハテナ?マークです。

 

いろいろあると思うのですが、まず一つは、

あの虹色ですね。

あれがどうして出るんだろう?

どういう時に出るんだろう?

こう光を当てればどうだろう?と。

 

それから、一番多い問い合わせでもあるんですが、

どうしたら、強いシャボン玉ができるのか、という問題です。

実は、シャボン玉の膜が、自然に下に垂れて、薄くなっていくんですが、

それが、ゆっくりとすすめば、時間を稼げるわけです。

ですから、粘性の高いドロリとした液体を作ればいいのです。

そうすると、保湿性も高くなって、蒸発するスピードも抑えられます。

 

この粘性の高い液体の作り方は、いろいろありえまして、

門外不出の調合方法もあるようですが、

基本は、界面活性剤1に対して、洗濯のり(PVA)を4~5

水を5~10入れて、静かに混ぜ合わせ、しばらく寝かしたものでしょう。

 

この他に、グリセリンを入れる人もいますし、砂糖を入れる人

砂糖よりも、ガムシロップの方がいいと言う人、

いやいや、はハチミツだ、という人。

ゼラチンを入れるといい、という人。

また、水は、蒸留水を使うべきだ、

いや、水の代わりに、スライムで使う硼砂飽和水溶液を使うといい、

という考えまであります。

ここは、その分量も含めて、実験して研究するテーマがいっぱいです。

 

ところが、…です。

実際に、やってみると気づくのですが、

いかに粘性の良い液体を作っても、

その吹き方や、吹きだす装置によって、全然違った結果になるのです。

 

考えてみれば、厚い膜ができれば、丈夫になるんですから、

たっぷりと液体が供給される吹き方の方が大切だとも言えます。

液体の性質と、吹きだし方の影響度ですが、3対7か、

2対8で、吹きだし方の方が、重要みたいです。

 

でもね、ここで、丈夫なシャボン玉と言っても、

壊れにくいシャボン玉、つまり、手袋でよく弾むシャボン玉を狙うのか

大きなシャボン玉を狙うのか、によって、作戦は違うわけです。

どういうのを狙うのか、を明確にして、考えていきましょう。

 

もちろん、ただ、厚いシャボン玉ですと、壊れにくい代わりに、

お空に飛んでいかなくなります。

子ども達に、研究する楽しみを与えてやりましょう。

もちろん、失敗する楽しみも奪ってはいけません。

砂糖の代わりに塩とか、

絵具を入れるとか、牛乳を使うとか、

とんでもない素材を試させてやりたいものです。

 

それから、究極の壊れにくいシャボン玉は、スライムシャボン玉です。



Last updated  2012.05.29 14:05:33
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ゲゲゲに取り囲まれてた平清盛

なぜか、視聴率で苦戦しているNHK「平清盛」

私は、前回の江より、ずっと見ごたえがあると思うんだけど。

朝廷をバカにしているのが、気に食わない人もいるみたい。

また、言葉が汚い。姿が美しくない、との批判もあるようです。

でも、私は、あの時代の武士と宮廷の関係など

今まであまり、気にせずにきた内容がとても分かりやすく面白いです。

 

ところで、平安時代は、平安という言葉とはうらはらに

闇と迷信が支配した恐ろしい時代だったんですよ。

今の価値観では到底計り知ることの出来ない感覚が根づいていました。

 

人々の生活も、一日先も読めない不安定きわまる環境の中にありました。

いつ、干ばつや飢饉が起こって餓死することになるかわからないし、

朝、得体の知れない熱病で床に伏した人間が、

夕刻には冷たい骸と化してしまうのも珍しくなかったのです。

 

こうした時代に、自然を「素直に」観察したら、どう見えるでしょう。

よく、観察すれば、科学的になると思う人がいますが、

素直に見れば見るほど、この世や人間の運命は、

目に見えぬ超自然的な存在に操られていると考えるのが当然じゃないでしょうか?

 

災害や疫病の大流行などは、恨みを残して死んだ人間の怨霊や悪霊の祟ると

思うのを誰が笑えましょう。

わけの分からぬ奇怪な自然現象は、物の怪など妖怪変化の起こす仕業であるとする

ゲゲゲの世界こそ、素直な見方だと、私は思います。

子どもの頃の夜は怖かった!

当時の人々は、闇におびえ、貴賎の区別なく、人々は

さまざまな魔よけの儀式を生活に取り入れるようになります。

大きな屋敷では、悪霊や物の怪が入り込み、人に取り憑くことがないように、

随身(ずいじん、護衛の者)が定期的に弓の弦をはじいて大声を上げるという

まじないが夜通し繰り返されていたということです。

 

ある平安貴族の一日は、朝起きて、

自分の生まれ年に相当する星の名前(これを属星、しょくせいという)を

小さい声で7回唱えることから始まったそうです。

その時は、決して大声を出してはいけないそうで、

それから鏡を見て時分の顔を確かめる。

呪詛をかけられていないか確かめるためです。

次に、暦を見て本日の吉凶を調べます。

洗面を済ませた後、仏名を唱えて自分の崇拝する神社を拝みます。

また、手の爪を切る時は丑の日(土曜日)に行ない、

足の爪は寅の日(木曜日)に切らねばなりません。

月の第1日目に沐浴をすれば短命に終わり、

8日に行えば長寿につながります。

 

庚申(こうしん)と言って、日の忌みには寝ずに徹夜せねばならず、

ある所に出かける際にも、

運気の悪い時は方違え(かたたがえ)と言って方向を変えねばなりませんでした。

つまり、その目的地に行こうとする際、その方角の神の座を汚すことにより、

祟られてしまうのを避けるという意味で、ストレートに向かわず、

いったん違う場所に行って、そこから目的に向かうわけです。

しかし、それも忌遠行(とおくゆかず)という日に重なればそれもできません。

その日は遠距離の移動は差しひかえねばならないからです。

また、方忌み(かたいみ)というものもあり、

その日はその方角で行うあらゆる活動自体がタブーとなり、

その方角に立ち入らないようにせねばならないのです。

 

何とも非能率的で要領の悪い事このうえないことでえしょう。

何しろ、運気が悪いというだけで、目的地には直接行けず、

わざわざ遠回りをして2倍、3倍の時間をかけて行かねばならないし、

遠出自体が出来ない時もある。

あるいは、やりたいことがあっても、

その方角では一切何もすることが出来ない日もあるのです。

今から見れば、本当にあきれるばかりです。

しかし、これが当時の価値観というか、最先端の学問なのだから仕方がありません。

 

この時代の学問というか、救世主が、陰陽道で、スターは、安倍晴明です。

これらの人たちが、自然を見ていなかったわけではないのです。

よく見たからこそ、生まれた考えなのです。

 

ただ残念なことに、いろんな角度から、検証したり、

批判し合うという風土がなかったのです。

批判されないのは、芸術です。

芸術的に自然を見れば、魑魅魍魎も全然OK、当然の世界なのです。

 

しかし、ありがたいことに、近代科学が発達したおかげで、

今、私たちは、自由に街を歩けるわけです。

科学の素晴らしさの本質はここにあると思いませんか? 



Last updated  2012.05.29 13:02:15
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2012.05.28

無責任の伝統

私は、この震災、特に、原発事故で、責任をとった人は誰もいないのを

不思議に思っていました。、

その後の処理や発言で、責任をとった人もいません。

しかし、同じ国難である、太平洋戦争開戦の時の

意思決定プロセスを最近知って、こりゃ、当然だな、

って思いました。(参考 松本 一夫先生のホームページ)

 

1941年 10月12日、近衛首相は

自宅に陸軍大臣・海軍大臣・外務大臣らを呼んで

開戦か和平かの最終的会議を行いました。

この直前、岡海軍軍務局長(海軍省のNo.3)は、

「海軍はアメリカとの交渉が決裂するのを望まない。

しかし海軍としてはこれをおもてだって言うことはできない。

会議では海軍大臣が『和戦の決定は首相に一任する』と発言するから

その含みで願いたい」と連絡してきました。

実際の会議では、東條陸相が強く開戦を主張し、

及川海相は連絡どおりの発言を繰り返すのみでした。

14日、今度は武藤陸軍軍務局長が

「海軍が戦争を望まないなら、陸軍も考えなければならない。

しかし海軍は陸軍にはっきりとそういうことを口にしないで、

ただ総理一任という。

これでは陸軍部内の開戦派を抑えることはできない。

何とか海軍の方から、はっきりと戦争に自信がないと

言ってくるように仕向けてもらえないか」と言ってきました。

 

この両軍務局長の発言から、陸・海軍のどのような本音が読みとれるでしょうか?

つまり、陸・海軍ともに開戦を望んでいなかったのです。

そして、その責任も回避しようとしていたのです。

海軍は、自らが開戦を回避した場合、

それに対し予想される非難をも避けようとしました。

軍内部の下(開戦派)からの突き上げもあるし、

またこれまで対米戦を予想して軍備拡充を強く要求してきた手前もあって、

おもてだって開戦回避を言うことができない状況にあったのです。

開戦直前にお互いに協力し合うべき同一国内の陸海軍の本音は、

実は、こんな情けないものだったのです。

もし聖戦と信じて、散っていった人々が、これを知ったら、

どう思うことでしょう?

 

明治憲法下では、天皇のもとに

各種の機関が、政治権力を分裂して保有する形で存在していました。

軍部・枢密院・重臣などは法制上、あるいは事実上

それぞれ独立した権能をもっていました。

これらの諸機関を統一的に支配できるのは天皇のみでした。

しかし、天皇は明治憲法第1条に

「神聖にして侵すべからず」とあって、すべての責任の外にあります。

しかも大正期以降は立憲君主制の大原則を守って

現実の政治に関与しませんでしたから、

日本の政治は多頭政治となり、無責任体制となってしまったのです。

つまり、天皇制とは、天皇の下の無責任体制だったのです。

 

その伝統?が今も残っているんですね。

今回の危機に際して、お上の言葉は、大本営発表そのもでしたね。

戦時中も、自分たちの失敗を取り繕うための、嘘八百を並べ立てましたが、

今回の大本営発表は、さらに見苦しくも、右往左往する姿を

自分は隠しているつもりで、すっかり露呈してしまっています。

 

それにしても、これだけメディアが発達した中で、

本当の姿が見えてこないというのは、恐ろしいことです。

しかし、受け取る側は、どうしても鵜呑みにしてしまいます。

しかし、映像や、報道は、すべて編集されている、ということ

これを忘れてはいけません。

崩壊の様子を映し出しても、

それは、現実とは違うのです。

臭いもなければ、残酷な光景はカットされています。

私たちには、見えないものを見る力が必要です。

それには、エネルギーを使います。疲れます。

 

また、私たちは、どっちにもとれる問題の白黒決着をつけたいと思うものです。

宙ぶらりんは嫌いです。

しかし、安易に決められないことも多いのです。

決めちゃえば、それだけ、思考するエネルギーが節約できるから、

早く楽になりたいと思います。

でも、それで、一定のプロパガンダに流されると、思考停止です。

悲劇への道なのです。

 

イギリスでは、エリートは、安易に決着をつけない訓練をさせられると聞きます。

あえて、迷い続ける(考え続ける)苦労を背負うのです。

 

この時代に、苦労をあえて背負う政治家や公務員を期待するのは、

現実的ではないのでしょうか?

だとすると、私たち市民は、まず疑いの目でもって、あらゆるものを

一旦は、否定してみる訓練をしないと、生き残れないのでしょう。



Last updated  2012.05.28 13:08:52
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瓦礫の広域処理

今朝のNHKで、瓦礫の広域処理についてやってましたね。

被災地にいる人間として、片づけてもらいたいのは、山々ですが、

余計な心配をさせたくない、という思いもあります。

被災地の人の思いも、いろいろなことをわかって欲しいです。

 

東北の人間は、結構、プライドが高いのです。

古代から、蝦夷の血が流れているのです。

ボランティアで来てもらっても、申し訳ないという思いがあるのに、

瓦礫で、トラブルを出してまで、全国に頭を下げたくない、

という思いもあることをわかって欲しいと思います。

 

ただ、ここは、できるだけ感情論ではなく、冷静に考えたいです。

まず、廃棄物の基準です。

3.11前の国の基準は、100ベクレル/キログラムでした。

それが、瓦礫として焼却可能な廃棄物の放射能レベルを

240~480?/kgと変更しています。

さらに、コンクリートなどに再利用できる基準を

3000Bq/kgに変更しています。

 

この基準値の変更プロセスが、ブラックボックスなのです。

 

信頼性が無いのです。

多くの人が心配するのも、これまでの「お上」のやり方が、

あまりにも、信頼を裏切るものだったからです。

 

信用を失った人から、どんなに大丈夫だ、と言われても

逆効果になるばかりです。

 

それから、島田市の測定結果の発表でも

試験焼却後の方が、放射能が高くなっている事が分かります。

参考:「放射能濃度・空間線量率の調査結果の概要」

 

まあ、実際には、汚染地域から比べると、十分小さいことであろうと

従来の法律からすると

明らかに法律違反の行為をして、実際に微量でも、

環境の数値が高くなっているのです。

 

こういう犠牲を払っても、することなんだろうか?

できるだけ、感情論を排して考えるべきだと思います。

結局は、費用対効果です。

北九州まで運ぶのに、どれだけの費用がかかるのだろう?

その費用を地元に投入して、

さらに、専門家の知恵も集中投入して、

地元で解決する道を探れないものだろうか?

 

全国各地で、意見が割れて、人々に分裂を強いています。 

これが、原発反対運動に、めぐりめぐって、障害になる心配もあります。

また、新たな東北差別も生みだしていることを考えると、

東北人は、今こそ、自分たちのことは、自分たちで解決する意地を見せたいものだと

私は思います。

 



Last updated  2012.05.28 09:56:14
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2012.05.27

教科書を批判する力を

生徒に学習指導していて、イヤになること。

それは、穴埋め問題が典型ですが、

とにかく、太字のところを無条件に暗記させなきゃいけないことです。

 

そこには、批判的精神のカケラもありません。

逆に、上から言われたことを、ただただ受け入れて行く体質だけが

培われます。

 

とくに、理科では、その理論が生まれたプロセスこそが大切なのに、

ほとんど結果だけしか教えられません。

どんな考えに対抗して、生み出されたのか?

これを知らなくては、本当のおいしいところを捨ててしまっています。

 

科学の理論も、どんどん変わっていっているのですが、

それよりも、激しい変化のはずの社会科の記述が

断定的なのには、恐ろしさを覚えます。

 

最近、新聞でも、信長の長篠の戦の三段打ちが無かったのではないか、

という説が紹介されていましたし、

聖徳太子が本当に実在したのか?

その事績は、正しいのか?

議論になっているところです。

また、江戸時代の農民の生活も、本当に貧しかったのか?

これは、数学的に検証できる部分でもありますが、

教えられてきた常識とは、違う姿が見えてきます。

先の戦争の解釈も、大いに議論のあるところです。

 

どうにも怒りを、私が覚えるのは、

地球温暖化の記述です。

高校から小学低学年まで、エコということが、道徳とごちゃ混ぜになって

教えられています。

学校で、反論したら、悪魔呼ばわりされそうです。

 

二酸化炭素の温暖化理論に異議を唱えている科学者は大勢います。

それなのに、一方的に決めつけています。

これは、大本営発表のプロパガンダだと思われます。

 

太陽の活動の変化によって、小氷河期が来る可能性を

国立天文台は発表しましたが、

長い地球の歴史の中で

現在より遥かに暑かったり、寒かったりした時期は、

数えきれないほどありました。

世界の大部分が熱帯雨林であったり、

逆に氷で覆われていた時期もありました。

私たち人間の介入が無くても、変化してきたのです。

今の変化も、それでないとどうして言えるのでしょうか?

 

現在の温暖化の傾向は、少なくとも200年前からに遡れるのですが、

20世紀初頭は、工業化は、今から比べると、ほんの赤ん坊です。

発展していたのも、数カ国だけです。

その第二次大戦まで、温暖化はどんどん進むのです。

ところが、戦後、景気が大いに回復して、工業化が世界的にすすんだ

1940年ごろから、40年間も冷却化にすすむのです。

学会では、氷河期が来るのではないか、と心配されていたくらいです。

そして、逆説的に、1970年代の不況がはじまると、

温暖化にすすむのです。

これだけでも、理論通りではないことがわかります。

 

また、温室効果だと言うのなら、

「温室」のガラスの部分、つまり、地球大気の上の方、(対流圏)が、

反射した熱を受けて、熱くなるはずです。

しかし、その証拠は見出されていません。

全然、理論と違うのです。

 

こんな怪しげな理論を、生徒に理科教育の大黒柱として、道徳と一緒にして

覚えこませようとする教育。

これに恐ろしさを感じるのです。

 

私は、教科書は間違っていたっていいと思うのです。

だって、人間は間違うんですから、致し方ないことです。

問題は、教科書にも間違いがあるということを認めることです。

そして、複数の考え方ができる人間を育成することです。



Last updated  2012.05.27 16:35:55
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2012.05.26

想定をするから想定外が見える

科学実験のポイントは、想定することです。

予想をすること。さらに一連の予想となると、「仮説」になります。

 

私はこの言葉から、啓発されました。

「予想しなければ、予想外のものは見出せないだろう。

それは、そのままでは捉え難く、見い出し難いものなのだから」

誰が言ったと思います?

時は、紀元前500年です。

場所はギリシャです。

ヘラクレイトスという人です。

『ヘラクレイトスの言葉』(アテネ文庫)

 

高校の倫理で、「万物は流転する」の人と、習ったかもしれません。

 

この人は、科学研究のコツを教えてくれます。

「自然現象の中でも、とくに捉えにくいものは、意図的に予想をたてて、

はじめて知れるようになる」

など、認識論の本質をついていると思います。

 

「万物は流転する」っていう考えも、深いものがありますよね。

当時、ギリシャの哲人たちは、

「万物の根源って何なんだぁ~?」と

問いかけ続けて

ついには、アトム(原子)にたどり着くのですが、

これが、万物の根源は不変だ、という

一方の対極になるのですが、

その反対に、ヘラクレイトスの考えがあります。

間もなく、デモクリトスを中心とした原子論は、

その両方を説明してしまうのですが(本当にスゴイと思います)

ヘラクレイトスのステップがあったればこそ、だと思います。 

 

「すべては変化し続ける。

 永遠に不変の存在なんてありはしない」

この諸行無常という考え、東洋哲学とも通じますね。

 

ヘラクレイトスによれば、

「人間が、見ているものは、変化しているうちの一瞬にすぎない」のに、

「人間は、その一瞬を固定的で不変的なものと見なしている」として、

人間は愚かだと厳しく指摘します。

 

たとえば、光と闇とは、ひとつの現象が変化したある状態にすぎない。

それらは、もともとひとつなのである。

区別するのは、人間の勝手な解釈なのだ。

 

だから、「昼と夜」「生と死」「神と悪魔」「愛と憎しみ」「善と悪」

そういったものも、別々の存在ではなく、同じものが変化した姿だ。

だから、善だ悪だと大騒ぎすなと。

 

では、そういう変化を起こしているものは、一体なんだろうか?

 

ヘラクレイトスは、

「変化を引き起こしているのは

 『ロゴス(摂理、法則)』である」

と述べています。

 

「神様」や「悪魔」と出てこないところがスゴイです。

当時の世界観の中では革命です。

 

「世界は神が創ったものでもなければ、誰が創ったものでもない。

 世界とは、ロゴス(法則)によって決まったぶんだけ燃え......

 ロゴス(法則)によって決まったぶんだけ消える......

 永遠に変化しつづける『生きる火』なのだ」

 

ところで、こういう理論が生まれる背景は一体、何でしょうか?

そうギリシャの民主主義ですね。

ギリシャは小さな都市国家(ポリス)で、

国のことは何でも、みんなが一か所に集まって決める習慣があったのです。

 

ここで、とくに重要になるのは、口のうまさ…、

おっと、みんなを納得させることのできるような議論だったわけです。

いくら自分の考えが正しいと思っても、

他人に賛成してもらわなければ、どうしようもないのです。

 

また、当然、他人の意見をより多く聞くようになります。

そうすると、新しい視点を得ます。

新しい視点は、脳みそを格段に活性化させます。

だから、学問が急速に発達したのです。

 

もちろん、ギリシャの民主制は、不完全で、最後は衆愚政治に陥った

という批判はあります。

でも、王様の言う事ばかり聞いて、ゴマをすることだけにエネルギーを使う社会とは、

全然違った展開になることは、予想できますね。

ギリシャの民主制が、本当に、衆愚政治だったのか、後で検討したいと思います。

 

だいぶ脱線してしまいました。今日言いたかったのはこれです。

京都大学防災研究所のグループが、科学の基本の「予想」をしました。

関東に降った放射性物質などの調査データを使い、

東京湾に流れ込んで海底にたまる放射性セシウムの予測をしたのです。

それによると、放射性セシウムの濃度は2014年の3月に最も高くなり、

荒川の河口付近では、局地的に泥1キログラム当たり4000ベクレルに達する

ということです。

これは、2012年1月に福島第一原発から南に16キロの海底で検出された値と

ほぼ同じです。

また、下水のセシウム汚染汚泥に匹敵します。

そんな汚泥のような海底でプランクトンが育ち、…

考えただけで、ぞっとします。

 

フクシマの事故は、終わっていません。

現在進行中であり、未来進行形なのです。

 

ここ宮城北部の江合側でも、川魚が基準をオーバーしています。

どんどん流れ込んでいるのです。そして、海まで行くのです。

これからが最大値が出るのです



Last updated  2012.05.26 17:42:49
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2012.05.25

科学的精神と道徳

現代は、科学というものに、期待を込められているというより、

疑いの目でみられていることが多いんじゃないかと思います。

 

そこで、科学への誤解を少しでも解いていきたいと思うのです。

 

「科学的精神」という言葉くらい、いろんな意味に使われているものもありません。

この言葉に、どんな意義をもたせるかは、

その人の科学観や、社会的な立場によって、180度違ってきます。

太平洋戦時にも、「科学的精神」「科学する心」という言葉は、実は使われたのです。

戦後、左翼も右翼も、保守も革新も、好んで使ってきました。

 

この言葉を使うと、何かもっともらしく、高尚な感じがし、

自分の説に説得力をもたせることができるからでしょう。

ある時は、軍国思想の中でも使われました。

それは、批判精神の意味ではなく、「科学の限界」を認め

そこから不可知論へともっていく流れでした。

 

日本の理科教育の歴史の中でも、

第一次世界大戦直後の、バンバン景気が良い時代には、

スローガンとして「科学的精神の養成」「独創力の養成」が叫ばれました。

まあ、科学は儲かるという流れでした。

 

しかし、その後、その好景気の反動として、

深刻な慢性的な不況に陥ると、

産業・技術革命や、科学の発展は呪われる存在になってきます。

 

また、社会主義思想や民主主義思想が普及しはじめ、

支配層は、怖れを抱くようになります。

そして、科学教育は、危険思想の温床だと見られだします。

 

まあ、これは、もっともなことではあります。

だって、科学教育は、それが独創的・批判的な科学的精神の育成を目的としている限り、

つまり、合理的・実証的な考え方を養成するものである限り、

支配者が、科学に反する政策をとったら、それに批判の目を向けるようになるのは、

当然のことだからです。

だから、当然、邪魔もの扱いになります。

 

そこで、政府や文部省が、指示を出すまでもなく、

地方の教育担当者や、校長先生などの現場サイドで、

自主的に、理科教育に(科学教育でもないくせに)冷淡になっていきます。

 

それに対して、理科教育こそ、「思想善導」をもたらすものだ、という説が台頭してきます。

また、理科教育は情操教育に役立つという説も出てきます。

理科教育は、「物質主義」に偏っているのではなく、

精神教育にも重要な役割を果たすのだ、ということを、強調しだします。

ついには、「美的・宗教的な心情を養う」ものと言われてしまいます。

 

 

私は、ここで、アタマの整理をしておかなくてはいけないと思います。

物理を中心とした、純粋な科学の世界と、

科学技術を中心とした、工学の世界です。

これを、しっかり分けて考えるべきだと思います。

 

原子力発電所を筆頭にして、建築物や機械、バイオ、医学も含めて、

人間の生活に役立たせる技術は、高い倫理性が必要です。

特に原発に携わる人間は、滅私奉公、高潔な人格が絶対条件です。

 

しかし、科学の研究は、真偽を追及するのですから、

それに、価値観を挟むと、真偽判定が、歪んでしまいます。

 

たとえば、ゴミ処理の問題も、倫理的には、整理整頓、「もったいない」

などなど、いろんな私たちの道徳と絡んで、ものごとを見てしまいますが、

こと、資源を大切にするため、とか、環境に優しくあるため、という観点から研究するなら、

常識的な道徳に縛られないで、冷静に計算していくことが必要です。

そうすると、分別回収が、もしかすると必要なかったり、

ペットボトルは燃やしてしまった方が、お得だったりします。

それは、倫理的なものとは違う結論になることが多いのです。

 

化石燃料にしてもそうです。

常識的に考えれば、有限な資源を使うのだから、

「もったいない」「もったいない」で指導して政策も立ててしまいますが

実は、現在見つかっている資源だけでも、何百年も使い続けることができることが

わかっています。

 

原発に問題があっても、原子力の研究は、全然別です。

この宇宙のヒミツは、道徳論とは別の世界で、どんどん追及されなければなりません。

そうでないと、中世の宗教裁判と同じことになってしまいます。

科学の歴史は、この世は、人間の思い描いた、こうあるべき構造とは

いつも食い違いを見せてきた歴史だからです。

 

 

しかし、また、逆になりますが、

放射能対策などは、高い倫理性が求められます。

子どもや住民をどれほど大切に考えるのか?

目先の金との綱引きで、負けるような情けない人間は、

絶対に技術者になってはいけません。

もし、大工の棟梁が、金の亡者だったら、安心できますか?

 

だから、高潔な人間が日本に存在しないのだったら、

原発は、あきらめるべきだと私は思います。



Last updated  2012.05.25 14:35:08
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2012.05.24

社会の変化にもエネルギーの蓄積が

自然科学の世界では、

固体⇔液体⇔気体の状態変化の説明のために、

原子分子の運動の研究から、潜熱の概念が発見され、

近代力学がほぼ完成されたと言えますが、

社会の変化にも、ある事件が起きれば、すぐに社会が変わるものではないことを見れば

潜在的なエネルギーの蓄積が、社会変革にも必要なことが

見えてくるのではないか、と思います。

 

ある力が働けば、すぐに目に見えるような画期的な現象が生じるとは

期待してはいけないのでしょう。

水は、加熱しても、すぐに沸騰を起こすわけではありません。

温度が少しずつ上昇するだけです。

 

じゃあ、状態変化を起こすまでの時間を見積もるには、どうしたらいいのでしょうか?

物理的に考えれば、動かそうとする力の大きさの他に、

その力に、抵抗する力の大きさを知らなければなりません。

また、その事物を動きにくくしている慣性の大きさも

認めなければなりません。

そこから、事物を動かすのに必要な最低のエネルギーを推定し、

それを蓄積するまでの時間を計算するのです。

 

ただ、フランス革命などを見ると、

単純な民衆の不満の蓄積だけでなく、

いわゆる敵失、王側の、失策による加速度がずいぶんあります。

原発問題でも、敵失がずいぶん転がり込んで来ています。

事態は、予想以上に急展開する可能性もあります。

 

悠久の人類の歴史から見れば、現在は、一瞬です。

歴史の流れの中で、私たちは、どちらに身を置いたと言えるのでしょう。



Last updated  2012.05.24 15:40:54
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2012.05.23

ガンコな考えを変える難しさ

ガンコな子どもも、結構います。

いや、その方が多いとも言えます。

先日は、「塩水では電気を通さない」という理由を堂々と述べて、

みんなを導いちゃった子がいました。

もちろん、結果は逆で、相当恥ずかしい思いをしたようですが、

すぐに、「あ、砂糖水の間違いだった」と、間違いを認めてくれました。

お蔭で、みんなにとっても良い影響を与えてくれました。

 

ところで、戦争中に、科学者の立場で、国粋主義を主張し、

軍国主義を煽った人々は、敗戦で、何か反省し、考えを変えたのでしょうか?

 

私は、数人しか、知りませんが、

それらの人々は、結局、考えを改めなかったようです。

それらの人々にとって、敗戦は、武力の問題であって、

国粋主義そのものの間違いを証明したことにはならなかったのです。

逆に、この資源の無い日本が、十数年も、世界の大国相手に戦えたのは、

日本の科学力や方針の素晴らしさを証明している、と自慢をしています。

 

生徒は、授業の時も、先生から教わったことを、

本当に納得してアタマに入れていることは少ないと思います。

一つや二つの実例を出して、または、実験結果を見せられて、

それから、世の中というのは、こういうもんなんだ、と言われても、

ヒネクレ者の心には、反発が生まれるだけです。

しかし、そういう抵抗を抑えるために、「テストに出すぞ」という脅し文句で、

無理矢理、疑問は封印されてしまいます。

 

しかし、子どもの奥の、納得いかない心は、ずうっと残って、

ついには、学問嫌い、科学嫌いにさせてしまうと思います。

たとえ、先生の言葉が正しくても (ほとんど、先生の方が正しいんですが)

それでも、子どもの心を納得させるのは、難しいものです。

 

柔軟性のある子どもでさえ、そうなんですから、

アタマの固くなった、大人なら、ちょっとやそっとの「事件」で、

考えが変わるなんて、机上の空論に近いかもしれません。

 

じゃあ、どうしたら、考えを改めさせて、間違いを気づかせることができるのでしょうか?

それは、正々堂々とした「実験」しかないと思います。

それも、一回の実験ではなく、いろいろ条件を変えた、一連の実験シリーズです。

 

そして、自分の間違いだけでなく、新しい考え方を使うと、

世界を見渡すのに、とっても有効だ、ということも気づかせて、

はじめて、新しい考え、ものの見方に、シフトするわけです。

まさに、パラダイム転換です。

 

ここで、障害になるのが、私は「善悪」の問題だと思います。

科学的な事実に、善悪や価値観がからむと、とっても難しいものになってしまいます。

とても、素直に、「事実」を受け入れてもらえません。

つくづく、学問、特に科学からは、価値観や宗教は切り離しておくべきだ、と思います。



Last updated  2012.05.23 14:23:21
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プールは安全

「園で、プール遊びをさせても良いか?」、というご質問をいただきました。

私は、専門家ではありませんが、常識的に考えてお答えしたいと思います。

 

ご質問の現地の空間線量は、0.12~0.14マイクロシーベルトだそうです。

プールは屋外です。

 

現在、園庭で子ども達は、思いっきり遊んでいます。

プールもそれと、ほとんど変わらないものと思います。

 

もちろん、そもそも外遊びが良いのか?

という疑問がありますが、外遊びをしているのなら、プールも同じだ、ということです。

 

裸だと、危ない?

そんなことはありません。

かえって、水の中の方が、アルファ線、ベータ線を遮断してくれます。

そして、ガンマ線は、服を着ていようがお構いなしに、通過します。

 

水を飲んだら?

まず、プールの水は、水道水を使われるのでしたら、

水道水が安全なら、大丈夫ですし、

そもそも、基準は、1リットルを飲むとどうだ、っていうことですから、

そんなにプールで飲むはずがありません。

 

だから、まとめますと、

プールの中は、かえって安全でしょう。

ただ、外側がどうなっているかです。

ホットスポットがないかどうか、それだけを気にすればいいと思います。

注意すべきは、シーズン前のプールの掃除ですね。

去年、使っていなかった場合、

昨年からのホコリが溜まっているかもしれません。

側溝も気をつけてください。

 

これらの掃除は、念のため、大人が測定器を持ちながら、清掃するといいと思います。

 

とにもかくにも、数値は低い方がいいですし、

ちょっとでも被曝させないに越したことは無いのは変わりません。

 

継続的な園全体の測定と、除染の試みをお願いいたします。

あと、子ども達にホコリを吸わせないように、お願いいたします。



Last updated  2012.05.23 08:49:45
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