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カテゴリ:育児問題
どうして生徒なんか紹介するのよ!
すべて計算づく(失敗危険度★★) ●母親族たち 母親たちを総称して、「母親族」という。決してバカにしているのでも、また差別しているのでもない。一人ひとりの母親をみていると、どの母親もすべて違う。しかし全体としてみると、その母親にはどこか共通点があるのがわかる。そういう母親像を最大公約数的にまとめて、「母親族」という。それはちょうど、若者たちをみて、「若者族」、老人たちをみて、「老人族」というのに似ている。決して気分を悪くしないでほしい。で、その中の一例。 ●母親族の特徴 (1)サービスも、三回つづくと、当たり前……ある音楽教室でのこと。レッスン時間はレッスン時間としてあるのだが、たまたま隣の部屋があいていた。そこで学校帰りの子どもについて、早く来た子どもはその部屋を自由に使ってもよいということにした。宿題がある子どもは宿題を、レッスンをしたい子どもはレッスンを、と。最初のころこそ、親も子どももどこか遠慮がちにその部屋を利用していたが、三か月もすると様子が変わってきた。その日のレッスンでない子どもまでやってくるようになった。その上、三〇分とか一時間という常識的な時間ではなく、中には数時間もいる子どもまで出てきた。そこで半年ぐらいたったある日のこと、その音楽教室の先生は、その部屋を閉鎖した。が、母親たちは納得しなかった。中には怒って、「約束が違う」と、音楽教室をやめてしまう母親すらいた。 (2)すべてが計算づく……これはある英会話教室の話だが、この不況下、その教室でも生徒集めに苦労をしていた。その教室では、生徒数が一〇人前後いないと、講師に払う時間給が赤字になるのだが、生徒数はたったの四人。が、その講師の先生は、アメリカの州立大学を優秀な成績で卒業した女性。教え方もうまい。しかし三か月たっても、半年たっても、生徒はふえなかった。クラスを閉鎖しようと経営者は何度も考えたが、その講師を手放すのは忍びなかった。で、結局ほぼ一年間、その状態がつづいたが、やっと一人、新しい生徒が入ってくることになった。が、そのときのこと。その新しい生徒は、先の四人の中の一人が紹介した子どもだったのだが、生徒の親どうしの間で、争いが起きたというのだ。「どうして新しい生徒なんか紹介するのよ。生徒がふえれば、それだけうちの子たちがていねいに教えてもらえないでしょ!」と。親たちは協力しあって、新しい生徒がふえることに抵抗していたのだった。 (3)こまかい授業設定……これは学習塾での話。その塾では、小学五年生のクラスだけで、それぞれ別々の四クラスがあった。週二回のレッスンだったので、計八クラスということになる。が、小学五年のG君だが、ほとんど毎週のようにレッスン日の変更を申し出てきた。「今度の火曜日に行かれないので、明日の月曜日にしてほしい」とか。受付の女性はそのつど、その申し出に応じていたが、ある日、出席日数をチェックしてみて驚いた。どの子どもも、週二回、月八回のレッスンになっていたが、G君だけは、毎月九~一〇回になっていた。変更をうまくやりくりしながら、レッスンの回数をふやしていたのだ! つまり塾というところは、月単位で運営するところが多い。だから月によっては、四週あるクラスと、五週あるクラスがうまれる。五週あるときは調整休みをするのだが、その間をうまく行ったり来たりすると、月八回のレッスンを、九回にしたり一〇回にしたりできる。……とまあ、ふつうの人なら、こんなこまかい計算はしない。しかしG君の母親はした。しながらレッスン日をふやしていた。 ●母親族こそ犠牲者 結論から先に言えば、今、子育てそのものが、個人の欲得の追求の場になっている。エゴイズムが、その底流ではげしくぶつかりあっている。「自分の子どもさえよければ、それでいい」「何とか自分の子どもだけでも」と。そしてそれが日本全体を包む大きな流れであるとするなら、その流れの中で翻弄されている母親族こそ、本当の犠牲者なのかもしれない。だれもそういう母親族を責めることはできない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年02月08日 19時23分40秒
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