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楽天・日記 by はやし浩司

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2009年02月08日
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カテゴリ:育児問題
一緒に抗議に行ってほしい!
過関心は百害のもと(失敗危険度★★★★★)

●問題は母親に
 ある朝、一人の母親からいきなり電話がかかってきた。そしてこう言った。いわく、「学校の席替えをするときのこと。先生が、『好きな子どうし並んでいい』と言ったが、(私の子どものように)友だちのいない子どもはどうすればいいのか。そういう子どもに対する配慮が足りない。こういうことは許せない。先生、学校へ一緒に抗議に行ってくれないか」と。その子どもには、チックもあった。軽いが吃音(どもり)もあった。神経質な家庭環境が原因だが、そういうことはこの母親にはわかっていない。もし問題があるとするなら、むしろ母親のほうだ。こんなこともあった。

●ささいなことで大騒動
 私はときどき、席を離れてフラフラ歩いている子どもにこう言う。「おしりにウンチがついているなら、歩いていていい」と。しかしこの一言が、父親を激怒させた。その夜、猛烈な抗議の電話がかかってきた。いわく、「おしりのウンチのことで、子どもに恥をかかせるとは、どういうことだ!」と。その子ども(小三男児)は、たまたま学校で、「ウンチもらし」と呼ばれていた。小学二年生のとき、学校でウンチをもらし、大騒ぎになったことがある。もちろん私はそれを知らなかった。

●まじめ七割
 しかし問題は、席替えでも、ウンチでもない。問題は、なぜ子どもに友だちがいないかということ。さらにはなぜ、小学二年生のときにそれをもらしたかということだ。さらにこうした子どもどうしのトラブルは、まさに日常茶飯事。教える側にしても、いちいちそんなことに神経を払っていたら、授業そのものが成りたたなくなる。子どもたちも、息がつまるだろう。教育は『まじめ七割、いいかげんさ三割』である。子どもは、この「いいかげんさ」の部分で、息を抜き、自分を伸ばす。ギスギスは、何かにつけてよくない。

●度を超えた過関心は危険
 親が教育に熱心になるのは、それはしかたないことだ。しかし度を越した過関心は、子どもをつぶす。人間関係も破壊する。もっと言えば、子どもというのは、ある意味でキズだらけになりながら成長する。キズをつくことを恐れてはいけないし、子ども自身がそれを自分で解決しようとしているなら、親はそれをそっと見守るべきだ。へたな口出しは、かえって子どもの成長をさまたげる。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

勉強だけをみてくれればいい!
何を考えている!(失敗危険度★★★★★)

●アンバランスな生活
 どうしようもないドラ息子というのは、たしかにいる。飽食とぜいたく。甘やかしと子どもの言いなり。これにアンバランスな生活が加わると、子どもはドラ息子、ドラ娘になる。「アンバランスな生活」というのは、たとえば極端に甘い父親と極端に甘い母親で、子どもの接し方がチグハグな家庭。あるいはガミガミとうるさい反面、結局は子どもの言いなりになってしまうような環境をいう。

こういう環境が日常化すると、子どもはバランス感覚のない子どもになる。「バランス感覚」というのは、ものごとの善悪を冷静に判断し、その判断に従って行動する感覚をいう。そのバランス感覚がなくなると、ものの考え方が突飛もないものになったり、極端になったりする。常識はずれになることも多い。友だちの誕生日に、虫の死骸を箱につめて送った子ども(小三男児)がいた。先生のコップに殺虫剤を入れた子ども(中二男子)がいた。さらにこういう子ども(小三男児)さえいる。学校での授業のとき、先生にこう言った。

●「くだらねえ授業だなあ」
 「くだらねえ授業だなあ。こんなくだらねえ授業はないゼ」と。そして机を足で蹴飛ばしたあと、「お前、ちゃんと給料、もらってんだろ。だったら、もう少しマシなことを教えナ」と。

 実際にこのタイプの子どもは少なくない。言ってよいことと悪いことの区別がつかない。が、勉強だけはよくできる。頭も悪くない。しかしこのタイプの子どもに接すると、問題はどう教えるではなく、どう怒りをおさえるか、だ。学習塾だったら、「出て行け!」と子どもを追い出すこともできる。が、学校という「場」ではそれもできない。教師がそれから受けるストレスは相当なものだ。

●本当の問題 
が、本当の問題は、母親にある。N君(小四男児)がそうだったので、私がそのことをそれとなく母親に告げようとしたときのこと。その母親は私の話をロクに聞こうともせず、こう言った。「あんたは黙って、息子の勉強だけをみてくれればいい」と。つまり「余計なことは言うな」と。その母親の夫は、大病院で内科部長をしていた。
 

はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

いらんこと、言わんでください!
女の修羅場(失敗危険度★★★★)

●子どもは芸術品
 母親たちのプライドというのは、男たちには理解できないものがある。その中でも、とくに子どもは、母親にとっては芸術作品そのもの。それをけなすとたいへんなことになる。こんなことがあった。

 スーパーのレストランで、五歳くらいの子どもが子どもの顔よりも大きなソフトクリームを食べていた。体重一五キロ前後の子どもが、ソフトクリームを一個食べるというのは、体重六〇キロのおとなが四個食べる量に等しい。おとなでも四個は食べられない。食べたら食べたで、腹の調子がおかしくなる。で、その子どもと目が合ったので、思わず私はその子どもにこう言ってしまった。「そんなに食べないほうがいいよ」と。が、この一言がそばにいた母親を激怒させた。母親はキリリと私をにらんでこう叫んだ。「あんたの子じゃないんだから、いらんこと、言わないでください!」と。またこんなことも。

●江戸のカタキを長崎で討つ
 母親というのは、自分で自分の子どもを悪く言うのは構わないが、他人が悪く言うのを許さない。(当然だが……。)たとえ相手が子どもでも許さない。これは実際あった話だが、(ということを断らねばならないほど、信じられない話)、自分の子ども(年長男児)をバカと言った相手の子ども(同じ幼稚園の年長男児)を、エレベータの中で足蹴りにしていた母親がいた。そこで蹴られたほうの母親が抗議すると、最初は、「エレベータが揺れたとき、体がぶつかっただけだ」と言い張っていた。が、エレベータがそこまで揺れることはないとわかると、こう言ったという。

「おたくの子がうちの子を、幼稚園でバカと言ったからよ」と。江戸のカタキを長崎で討つ、というわけであるが、これに親の溺愛が加わると、親子の間にカベさえなくなる。ある母親はこう言った。「公園の砂場なんかで、子どもどうしがけんかを始めると、その中に飛び込んでいって、相手の子どもをぶん殴りたくなります。その衝動をおさえるだけでたいへんです」と。

●「お受験」戦争
 こうした母親たちの戦いがもっとも激しくなるのが、まさに「お受験」。子どもの受験といいながら、そこは女の修羅場(失礼!)。どこがどう修羅場ということは、いまさら書くまでもない。母親にすれば、「お受験」は、母親の「親」としての資質そのものが試される場である。少なくとも、母親はそう考える。だから自分の子どもが、より有名な小学校に合格すれば、母親のプライドはこのうえなく高められる。不合格になれば、キズつけられる。

 事実、たいていの母親は自分の子どもが入学試験に失敗したりすると、かなりの混乱状態になる。私が知っている人の中には、それがきっかけで離婚した母親がいる。自殺を図った母親もいる。当然のことながら、子どもへの入れこみが強ければ強いほどそうなるが、その心理は、もう常人の理解できるところではない。





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最終更新日  2009年02月08日 19時29分47秒
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