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楽天・日記 by はやし浩司

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2009年04月24日
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カテゴリ:生きザマの問題



●客観的に見る


自己中心性の肥大化をいかにして、防ぐか。
それが人格の完成度に深く関係しているとするなら、常に自分を客観的に見る。
その努力を怠ってはいけない。


その訓練法のひとつとして、私が考えたのに、こんなのがある。
以前にも書いたが、相手の脳みその中に、自分を置いてみる。
電車などで、対峙して座った人でもよい。
そういう人を選んで、その人の脳みその中に一度、自分を置いてみる。
そこから自分を見つめてみる。
「あの人から見ると、私はどんな人間に見えるか」と。


私のばあい、職業がら、子どもの脳みその中に自分を置くことが多い。
が、それだけではない。
ときどき、「この子たちがおとなになったら、私という人間は、どのように
彼らの心の中に残っているか」と考えるときがある。
それには、私の過去が役に立つ。


私にも子ども時代があった。
いろいろな先生に、めぐり合った。
よい印象をもった先生もいるが、悪い印象をもった先生もいる。
そういう自分を思い出しながら、「悪い印象だけは、子どもたちに与えたくない」
と。


それはそれとして、いつもそれを繰りかえす。
そうすると、自分の姿が、客観的に見えてくるようになる。
ちょうどビデオカメラか何かで、自分を撮影するように。


●私は(私)を知らない


さらにつづきがある。
この方法で自分を訓練していくと、逆に相手の心の中をのぞくことができるようになる。
「この人は、自己中心的だな」とか、「この人は、こちらの心の中を理解しているな」とか。
その結果、ときとして、ぞっとするほど自己中心的な人に出会うときがある。
そういうときは、そういう人とは、すぐ別れる。
それっきり。


……ということで、改めて自分を知ることの大切さというか、むずかしさを
思い知らされている。
だれしも、(私もそうだったが)、「私のことは私がいちばんよく知っている」と
思っている。
しかしその実、何もわかっていない。
「わかっている」と思い込んでいるだけ。
最後にこんなこともあった。


●AD・HD児だった、G君


G君は、小学校の低学年時まで、どうしようもないような(失礼!)、AD・HD児だった。
(当時はまだAD・HD児という言葉もなかった。)
学校でも、私の教室でも、騒ぎまくった。
そのためG君のために、クラスそのものが崩壊してしまったことが、何度かある。


「崩壊」というのは、つぎつぎとほかの生徒がやめていくことをいう。
経営が成り立たなくなってしまったことをいう。
学校社会でいう、「学級崩壊」とは、少し意味がちがう。
もちろん指導など、不可能。


しかしAD・HD児でも、小学3~4年生を境に、急速に落ち着いてくる。
自己管理能力が育ってくるためである。
で、そのG君は、もちまえのバイタリティがよいほうに作用して、県下でも
トップクラスの高校に入学した。
そのときのこと。
私はG君に、こう質問してみた。


「君は、幼稚園児や小学1、2年生のとき、クラスでみんなに迷惑をかけたが、
覚えているか」と。
が、それに答えて、G君はこう言った。


「ぼくは何も悪いことをしていないのに、先生も友だちも、みな、ぼくを目の敵
(かたき)にして、いじめた」と。


私はその話を聞いて、何度も念を押した。
「君は、みなに迷惑をかけたという意識が、本当にないのか?」と。
G君は、それに対して、同じ答をそのつど繰り返した。


そのとき私はこう思った。
「自分を知ることは、むずかしい」と。
恐らくG君は、おとなになっても、それに気づくことはないだろう。
教育の世界に入っても、それに気づくことはないだろう。


自分を知ることのむずかしさの一例として、G君をあげた。



Hiroshi Hayashi++++++++APRIL・09++++++++++++はやし浩司


●逆進的歴史観


++++++++++++++++++++++++++++


宇宙に広がったゴミを観測すると、その様子から、太古の昔の
様子が、わかるそうだ。
たとえば現在の今も、この宇宙は拡大しつづけている。
それを逆回しに過去へ過去へと戻っていくと、太古の昔、この
宇宙は、「ビッグバン」と呼ばれる、爆発で生まれたことが
わかる。
(用語の使い方が、適切でないかもしれないが、そこは許して
ほしい。)


で、同じように、この「社会」も逆回転させることができる。
たとえば現在の今をていねいに観察、分析すると、江戸時代という、
あの封建時代が、どんな時代だったかがわかる。
そのひとつ。
身分による差別意識。


+++++++++++++++++++++++++++


●退職者のあがき


私の年代の人たちは、今、つぎつぎと退職している。
民間企業に勤めていた人たちの中には、2度目、3度目の退職を繰り返し、
「今度こそ、本当の退職」という人もいる。


私もその中の1人だが、こうして退職していく人たちには、一定のタイプが
あるのがわかる。

(1) 悠々自適タイプ
(2) 趣味三昧タイプ
(3)勤労タイプ
(4)ボランティア活動タイプ
(5)引きこもりタイプ
(6)真・善・美の追求タイプなど。

それについては前にも書いたので、ここでは省略する。
で、ここではその先について書いてみたい。


●内面世界で分類すると


先のタイプは、いわば外面を分類したタイプだが、内面で分類すると、
つぎのようになる。

(1) 過去、決別タイプ
(2) 過去、引きずりタイプ

「過去、決別タイプ」というのは、退職と同時に、まったくの別人となって、
新しい人生を歩む人をいう。
「過去、引きずりタイプ」というのは、過去の学歴や職歴、肩書きや名誉に
しがみついて生きる人をいう。


もちろん程度の問題もある。
それほど過去にこだわらない人もいれば、かなり過去にこだわる人もいる。
その一方で、学歴や、職場での肩書きに、異常なまでにこだわる人もいる。
「私は○○会社の、元部長だった」とか、など。





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最終更新日  2009年04月24日 13時37分15秒
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