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楽天・日記 by はやし浩司

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2012年01月04日
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 1月 4日
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【映画・新少林寺を観る】2011/11/26

++++++++++++++++++はやし浩司

昼寝をしたあと、ワイフと映画『新少林寺』を観てきた。
星は5つの、★★★★★。
文句なしの5つ星。
過去、いろいろな映画を観てきた。
が、最後の『The End』の文字まで観たのは、
この数年で、この映画が、はじめて。

熱い涙が止まらなかった。
同時に、こう思い知らされた。
「私は仏教徒だったんだなあ」と。

私の体の中には、仏教が染みこんでいた。
子どものころからの思い出が、つぎつぎと
現れては消えた。
歓びや悲しみ、楽しかった思い出や、つらかった思い出……。
それが内なる世界から、熱い涙を押し出した。

映画『新少林寺』は、最後の10分間で、
これから私が生きる道に、大きな示唆を与えてくれた。
すばらしい映画だった。

もし『新少林寺』を観る機会があったら、
最後の最後まで観てほしい。
「The End」の文字が、しっかりと止まるまで……。

++++++++++++++++++はやし浩司

【欲望論】(本能とは)

●白い太もも(大腿部)

 家を出たとき、若い男と女が道路を歩いていた。
どこか物欲しそうに、しかし怪しげな歩き方だった。
が、何よりも目についたのは、女の白い太もも。
大腿部。
短いパンツに、ロング・ブーツをはいていた。
太ももは、99%、露出していた。
99%。
最後の1%で、左右のパンツがつながっていた。

●ミューチュアル・アタッチメント(相互愛着)

 2000年に入ってから、ミューチュアル・アッタチメント(相互愛着)という言葉が
使われるようになった。
母親(父親)と乳幼児の関係についていったもの。
つまりそれまでは、母親と乳幼児の関係は、一方的なものと考えられていた。
母親側から乳幼児へ。

 しかしそうではないことがわかってきた。
つまり乳幼児のほうからも、母親側に働きかけがあることがわかってきた。
あの乳幼児が、母親に、である。
わかりやすく言えば、乳幼児は、自ら、自分の(かわいさ)を演出することによって、親
の愛情を自分側にひきつけようとする。
エンゼル・スマイルもそのひとつと言われている。

 このことは逆に考えてみれば、よくわかる。
もし生まれたての赤ん坊が、母親に向かって、こう言ったとする。
「おい、ババア、乳よこせ!」と。

 とたん母親は乳をくれるのをやめてしまうだろう。
つまりその時点で、人類は絶滅の危機に立たされる。

●赤ちゃん返り

 幼児期によく知られた、愛情飢餓による現象に、「赤ちゃん返り」というのがある。
ほとんどは「下の子」が生まれたことにより、「上の子」が、赤ちゃんぽくなる現象をいう。
あの赤ちゃん返りは、本能的な部分に根ざしているため、叱ったり、説教しても意味はな
い。
そういうことをすれば、症状は、ますますひどくなる。
ばあいによっては、慢性的な発熱など、身体的症状などを伴うこともある。

 つまり乳幼児でも幼児でも、無意識のうちに、求める相手を自分に引きつけようとする。
ここにも書いたように、本能に近い部分から命令が発せられるため、本人がそれを意識す
ることはない。

●本題
 
 さて本題。

 太もも(大腿部)を99%見せて歩く、若い女。
明らかに男のS欲(禁止用語)を、刺激している。
しかしもちろん、本人には、その意識はない(……だろう)。
「どうしてそんな服装をしているの?」と聞けば、こう答えるにちがいない。
「ファッションよ」と。
つまり、オシャレ、と。

 しかし私はそうは考えない。
その理由のひとつが、ミューチュアル・アタッチメント。
乳幼児でも、その程度の本能がある。
いわんや思春期の娘、をや。

●無意識下の行動
 
 私の行動には、無意識に支配されるものが多い。
その例として赤ちゃん返りをあげた。
今までに何百という例を見てきた。
その子どもは、外から見たところ、本人の意思で行動しているように見える。

 その延長線上に、あの「太もも」がある。
そう考えたところで、論理的に無理はない。
つまり女性は無意識のうちにも、男性を誘惑するように行動する。
言い換えると、男性のほうが女性のそういった服装を見て、興奮するのではない。
女性のほうが、男性をして、そう思わせるように仕向ける。
先にも書いたように、本能に根ざしているだけに、本人がそれを意識することはない。
無意識のまま、そうする。

●「形あるものは、すべて無」(「新少林寺」)

 映画『新少林寺』で受けた感動が、まだ残っている。
その余韻もあって、過去に書いた原稿をいくつか探してみる。

++++++++++++++++++はやし浩司

●希望と期待

 希望にせよ、期待にせよ、それが「欲望」から発したものであれば、それは未来を約束
した希望や期待にはならない。
よく「光」という言葉を使う人がいる。
「希望は光」と。

 しかしそれは光ではない。
身を焦がす炎(ほのお)である。

たとえば子を育てる親の希望や期待には、際限がない。
受験にしても、やっとB高校へ入る力がついてくると、「何とかしてA高校へ」となる。
そのA高校が視野に入ってくると、今度は、「S高校へ」となる。

 こうして希望や期待は、際限なくふくらんでいく。
その結果、いつまでたっても、安穏たる日々はやってこない。
ひとつの希望や期待がかなえられるたびに、その先でまた新たなる苦悩がやってくる。
処し方をまちがえると、家庭騒動、親子断絶、さらには家族崩壊へとつづく。
ただの「光」ではすまない。
つまり「炎」。
なぜか?
それが冒頭に書いたことである。
欲望から発しているからである。

●老後の希望

 若いうちは、まだよい。
それが意味のないものであっても、その希望や期待に、酔いしれることができる。
時間を無駄にしても、そこにはありあまるほどの余裕がある。
(本当は、余裕などないのだが……。)

 が、歳を取ると、そういうわけにはいかない。
刻一刻と、時間は短くなっていく。
無駄にできる時間など、一瞬一秒もない。
そこで何度も書くが、エリクソンという学者は、「統合性の確立」という言葉を使った。
老齢期の生き方を説いたものである。
3年前に書いた原稿だが、参考になると思う。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司





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最終更新日  2012年01月04日 14時28分56秒



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