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カテゴリ:正法誌No39
不慮の災害に合わないために
通り魔殺人とか、あるいは東京の新宿でビルの屋上から投身した人が、路上を通りかかった人 にぶつかって、その青年が死んだという事件、こういう事件はまだこれから増えてくるであろ うが、こういう場合、今までの宗教指導者は「殺された人は前世で、その人を殺したから、今 度は自分が殺されたので、みな前世の業である」と説明している。 それは間違いである。 自分の心の中に人を殺し、また、人を殺すと同じような想念がなかったら、我々はそういう人 にそういう場面に会うことはないのである。 殺された人は、前世で自分が殺されたから今度は自分がその人を殺したのであるということに なって、人を殺すということが正当化されることになる。 人殺しを正当化していいはずはない。 それが本当だとするならば、例えば、強盗に入られて者を盗られた人は、前世でその人の物を 盗っていたからということになり、人を殴っても、その人は前世で自分が殴られたから殴り返 したのであるということになって、すべての悪事が正当化されることになり、そうなれば、こ の世は混乱して、この世からは一切悪事はならないことになる。 そういう悪事を正当化する宗教は宗教ではない。 すべての原因を、前世の業だとか、先祖の業だと説いているのは間違いである。 この世のことはこの世の人々の心に原因があるのである。 ほとんどの宗教団体が前世の業、先祖の業を説いているが、こういう事件があった。 東京都内のある支部長が、会員から三十万円を借りて、営業資金にした。 ところが商売がうまくゆかない。 会員が返済してくれと言ったら「わしが借金して金が返せないのは、前世で君がわしから借金 していたからだ」と。 こういうことが本当だとしたら、思う存分、金を借りまくって、金を貸してくれた人にみな 「前世であなた達は、わたしから借金して返さなかったのを、今、返してもらったんだ」とい えばそれですむことになる。 それでは社会は混乱して悪知恵の働く者が得をするということになる。 会員から金を借りて返せなくなった支部長の中にはこういう人もいた。 「わしは金を返そう返そうと一生懸命になっているが、わしがお前に金を返せないのは、お前 のお題目が足らんからだ。 お前の信心が足らないから、お前は貸した金を返してもらえないのだ」 盗人猛々しいという言葉があるが全くその言葉そのままである。 また一九八一年前後の事件で通り魔殺人で殺された婦人もまじめないい婦人であり、新宿で死 んだ青年も親孝行のいい青年だったと新聞は書いていた。 だから新聞を読んだ人達は、どうしてそういういい人達がああいう目に遭うのであろうかと疑 問に思うのは当然である。 この世で原因が見つからないとすれば、今までまちがっていわれてきた前世の業を引っ張り出 してきて、あの人達は前世で人殺しをしていたから、今度は自分が殺されたのであると、辻褄 を合わせたくなるのもまた自然である。 しかしこれは殺人を正当化することになるから正しくない。 ではその原因はどこにあるのであるか? 正法誌N039号 1981年 11月号より抜粋 悩み、苦しみ、迷い…誰にも頼らず、自分ひとりで解決できる『反省・内観』。心にかかった雲を取り去って、新しい自分に生まれ変われる方法として注目を集める『内観』と『反省』を誰もが自宅で実践できるよう、著者自らの経験を踏まえながらやさしく解説した『反省・内観』の入門書。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.04.22 19:59:25
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