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カテゴリ:正法誌No40
神道の「精進落し」と「直会」
日本の神社神道はまた不思議なしきたりを持っている。 お祭りがある前になると祭主や祭人達は一ヵ月くらい、精進潔斎するが、お祭り が終わったとたんに「精進落し」すなわち「直会」をやって俗人として生活する というわけである。 ここまで書けば、なぜ伊勢神宮のよこに遊郭があったかおわかりでしょう。 平安末期から鎌倉時代にかけて伊勢信仰の強化が行われ、御師と呼ばれる祈祷師 が、参宮の斡旋、宿泊の世話、祈願、各檀家への神札の配布などの世話をし、室 町時代になると各地に伊勢講ができ、江戸時代になるにつれて、講参りといって 伊勢講全体がお詣りしたり、また代表が一人あるいは二人と代参をするというこ とになり、せめて一生に一度はお伊勢詣りをという熱望がやがて爆発的な「お陰 参り」となった。 その名残りが今でも農村地帯では伊勢講として残っているし、部落の後ろの小高 い丘の上に伊勢神宮の方に向かって礼拝したあとが残っている。 お伊勢詣りに行く人達は、神様にお詣りに行くのであるから、行く前から、また 道中も、精進して行った。 お詣りが終わるとこれで役目は終わった。 さぁ精進落しだというわけで遊郭が繁盛した。 お伊勢詣りに行った夫が旅の途中の女と一緒になったり、遊郭で帰りの旅費まで 使い果たして帰れなくなったり、乞食のようになって帰ってきたという悲劇も あったわけである。 正法誌N040号 1981年 12月号より抜粋 【目次】(「BOOK」データベースより) 序章 まさかの離婚、リストラ―苦しみ続けたからこそ得た一つの結論/第1章 まだまだ捨てたものではない自分―人間、五十代になったときから人生は始まる/第2章 自分の「居場所」の見つけ方―心をどこに置けば幸福になれるか/第3章 人生の後半は「穏やかチャレンジ」だ―限られた生を生き切るために/第4章 人生の醍醐味とは―自分の生きた証を残そう/第5章 いつまでも夢を持ち続ける生き方―ためらわず、恥ずかしがらず、素直に
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Last updated
2010.10.19 02:27:01
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