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カテゴリ:正法誌No40
正しい批判精神を失わせる宗教は偽教である 私は「偽教」という言葉を使うことにする「宗教産業」という言葉をはじめて 使ったのは私であると思っているが(昭和三十八年)「偽教」という言葉を使う のも、私が初めてであろう。 なぜ偽教という言葉を使うか。 「邪教」という言葉は使われてきた。 自分の宗教だけが正しいので、他の宗教は「邪教」である、というような言葉の 使い方が習慣的にされてきた。 他の宗教をすべて邪教だとすることによって自分の宗教だけが正しいのである と、自分の宗教を正当化するために使われてきた。 邪教だといわなければならないようなオカルト宗教、霊能力中心の宗教もあるに はある。 しかし、多くの宗教団体を一括して「邪教」というわけにはいかない。 なぜなら、どの宗教団体が説いていることも全部が間違っているわけではない。 正しく説かれている点もあれば間違っている点もある。 「ニセモノ」というのは「ホンモノのようであるがホンモノではない」というこ とである。 ホンモノそっくりであるがどこか違うのである。 人間は正しく生きるためには、正しい批判精神を失ってはならないのである。 ある宗教団体に入信したからといって、よいことも悪いこともいっしょくたにし て、悪い事まで信じてはならないし、悪いことは悪いと言い切る勇気を持たなけ れば本当に正しい信仰はできないのである。 正法誌N040号 1981年 12月号より抜粋 仏陀が臨終直前に説いた教えを、紀元前に編纂された古い『涅槃経』と、紀元後に創作された新しい『涅槃経』の2つの『涅槃経』を対比しながら解き明かす。
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Last updated
2011.09.03 20:30:45
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